前回の続きです。
肉体を脱いだ覚一氏の想い
「先生には生前ずいぶん浄霊をしていただきましたが、お陰様で、祖父はあの世への旅立ちを大そう立派に済ませたようです。そうでなければ、このように穏やかな満足そうな顔をしているわけがありません」
覚一氏の顔を覗き込むようにしながら語る栄介氏の話を聞きながら、隈本確先生も、その生前さながらの覚一氏の顔にジーッと見入っていました。
と、突然か周囲のざわめきの声がパタッと途絶えたと思うと、隈本確先生の霊視に、柩のうえにすくっと立っている覚一氏の姿が映ってきました。
いかにも威勢良く胸を張って立っている覚一氏、隈本確先生と顔が合うと、途端に豪快な笑顔となってさも嬉しそうに語りかけてくるのでした。
「隈本先生、おいでくださいまして、ありがとうございます。死の旅立ちの、このような軽やかさを初めて体験いたしました。身も心もすがすがしく、まるで羽毛になったような軽やかな気分です。やはり、生前、先生に何回も神霊治療をしていただいていたおかげで、何の因縁も背負うこともなく、このようにすっきりとした軽やかな想いで霊界に入ることができたのですね。隈本先生、ほんとうにありがとうございました。この軽やかさを、どのように表現をしたらいいのかわかりません」
続いて、しめやかに葬儀に参列しているらっしゃる方々をグリッと見回した覚一氏、沢山の知っている顔を見つけて、相好をくずして言いました。
「おお、M市長、来てくださいましたか。村木覚一です。このように元気です。軽やかです。おお、C社長、わざわざ遠くから……。M頭取まで、どうもどうも、やあ、Fさん、Kさん……」
と、このように、列席者の一人ひとりに愉快そうに気さくに呼びかけていく覚一氏ではありましたが、隈本確先生以外の誰にも、その威勢のいい覚一氏の姿が、声が、知覚できるはずもありませんでした。
しかし、覚一氏の霊界への旅立ちの第一歩が、まるではしゃぎまわる子供のように平和と喜びそのものの楽し気なものだったので、隈本確先生は大いに安心して帰途についたのでした。
私も平和で喜びに満ちた想いで逝きたい
>隈本確先生の霊視に、柩のうえにすくっと立っている覚一氏の姿が映ってきました。
最近は、家族葬で済ませるおうちも多くなってきたので、以前ほどお葬式に行くこともなくなりました。
お葬式に行くと、亡くなられたご本人はどこにいるのだろうと見ると、いない時もたまにありましたが、たいていの方は、この方のように柩のうえに立っていることが多かったように思います。
>覚一氏の霊界への旅立ちの第一歩が、まるではしゃぎまわる子供のように平和と喜びそのものの楽し気なものだったので、隈本確先生は大いに安心して帰途についたのでした。
私もこの覚一氏のように平和と喜びに満ちた想いで、霊界に旅立てることを願っています。