聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

高き天界を望む覚一氏

娘の里衣さんと共に長崎道場にやって来た覚一氏

前回の記事で書いた覚一氏の娘さんの里衣さんが、覚一氏の葬儀がすんだ約一か月後に、日神会の長崎道場にみえました。

治療室に入ってこられた里衣さんは、畳に片手をつくと、泣き笑いのような顔になって言いました。

先生、3、4日前から肩が重くて重くて、どうにもならないのです。わたくしなりに、いろいろと心の中で模索してみたのですけれど……、霊界からおじいちゃんの連絡の様な気がして仕方がないのです。先生、どうかよろしくお願いします」

しかし、隈本確先生の心眼は、里衣さんが治療室に入ってこられた瞬間に、すでに働いていました。

里衣さんのすぐ後ろに、非常に真剣な、厳しい顔つきをした覚一氏が立っていたのです。

隈本確先生にピンと感じていました。

—―ハハァ、霊界入りした覚一氏が、娘さんを通じて何か隈本確先生に依頼に来られたな、と。

そこで、隈本確先生は早速朱印の九字をパッと覚一氏の霊を招霊しました。

隈本確先生は、隈本確先生の守護神の代権と代行とを行使して、すなわちご守護神になりかわって、覚一氏の霊に霊界語で問いかけました。

「そなたは、何があって当道場へ娘ともどもまかり越したのか」

覚一氏の霊体は、待ちかねていたように、即座に想いの波動を返してきました。

「生前においては、先生に用事があるときには、いつでも心やすくお会いできたものが、いざ霊界入りしてみますと、どうも勝手が違うのです。

先生のもとへ、すぐにも参ろうとした私ですが、巨大な炎の壁にさえぎられて、どうしても先生のお側へ直接おうかがいすることができませんでした。

それで、どうしても先生にお会いしてお願いしたく、ただいま、このように娘ともどもやってまいりました次第でございます。

実は、先生もご承知のように、霊界入りいたしました直後はまことに羽毛のごとく軽やかの想いで、さわやかそのもの、霊界とはこのように素晴らしい世界だったのかと、大喜びに喜んでおりました。

さて、しばらくしてから、わたくしなりに高き神界への道をさらに進もうと模索し始めたのですが、生前の地球的視野でものを見る癖のついている私にとって、霊界とはあまりにも果てしなく広い世界でした。

うち仰げば、どこまでも続くともしれない青々と萌え輝く山々と、見はるかす紺碧の大海原。

一転、奈落の底に心眼を凝らしてみれば、底なし沼のような黒々とした魔の淵……、苦悩と深い悲しみの地獄・魔界のすさまじさ。恐ろしさに打ち震えたわたくしは、再び、静かに面を高き天界に転じてみれば、透明にきらめく金、銀、白亜の世界。それは、どこまでも、どこまでも、どこまでも続いている……、わたくしには、まったくはかり知れない極みのない世界です。

これが、大霊界というものだったのでしょうか。わたくしの周囲を見渡せば、涼やかな野原が広がり、物語にでも出てきそうな家屋がそこここに点在しています。

そして、そこで生活している霊界人の姿も垣間見えるのです。

ですけれど……、わたくしには確かに感じられるのです。

今、わたくしがこうしているこの霊界人の生活の場が、わたくしの永遠の生活の場ではないという事が。

何か、もっともっとすがすがしい美しい世界があるのではないか、もっと自分自身にしっくりと感じられる世界があるのではないか。

しかし、わたくしの希望の星ともいえる、そんな素晴らしい霊界に到達するには、どのような修行の過程を踏めばいいのであろうか。いったい、何十年、何百年、いや何千年かかるのであろうか……。

このように考え始めたわたくしは、もう、矢も盾もたまらなくなってしまったのです。

――とにかく、隈本先生におすがりしよう。そうして現状の打開をはかるしか方法はない。

そう思いたった私は、さっそく先生のもとへ参ろうとしたのですけれど、先ほど申しました通り、それは、わたくしの独力ではかなわぬことでした。

そんなわけで、娘の里衣に使いを頼んで、今日、こうして参ったわけなのです。隈本先生、どうかよろしくお願いいたします」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

地球的視野とは……

>生前の地球的視野でものを見る癖のついている私にとって、霊界とはあまりにも果てしなく広い世界でした。

 

私も人間界と大霊界は違う、という事は理解をしています。

では、どう違うのか、肉体があるのと肉体はなく想いの世界だけ、という事が実際にはどう違うのか正直私には見当もつきません。

3年前にある人が亡くなりました。

その人のことは、私は名前だけ知っていてどういう人なのか良く知りませんでした。

亡くなってから知ったのですが、とても才能が豊かですが、その才能に甘んじることなく常に強い向上心を持ち、人の何倍も努力をした人です。

もちろん、自慢などしませんし、人としてもこんな完璧な人がいるのかというくらい、日神会の会員でもないのに謙虚礼節敬い愛慈しみの心をもった人でした。

亡くなって3年もたつのに、未だに悪い話を聞かない人です。

その代りにもっともっといい話しか出てこない人でした。

私も気になってその人のことを、今はどうなっているのか気になって見てみました。

ところが、その人は地獄にはもちろんいませんでしたが、私が想像していた霊界の高いところにいると思っていたら、そうでもなかったので、意外でした。

もしかしたら、私の見方が正確でないのかもしれませんが……

このお話を読んで、その人のことを思い出しました。

もしかしたら、その人も生前の地球的視野でものを見る癖のついているのかもしれません。

私の見る力が正確だったらの話ですが……

この地球的視野と、大霊界の違いを知りたいものです。