聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

霊による自殺(その2、3)

前回の続きです。

 

霊による自殺(その2)

いろいろな手段によって現実に自殺をしたのにもかかわらず、霊界に入った当の霊魂には自殺をしたという意識がないのです。

なぜなら、彼らは自分が生前と全く同じような手足、顔といった幽体をもっていて、人間そのままの姿をしているからです。

しかも、死後間もない幽界霊はもともと人間界と波長が合いやすいために、彼らのは人間界のもようがはっきりと見えるのです。

家族も、知人も、友人も彼らにはよく見えるのです。

そんなわけで、彼らはますます自分が死んでいるとは考えられなくなっているのです。

もちろん、生前の想念がそのまま続いているのですから、心の悩みや苦しみも自殺前と変わりません。

かくて彼らは、もはや肉体がないのにもかかわらず、自らのそのような状態を悟ることなく、苦しみから逃れたいがゆえに、再び自殺をはかるのです。

しかし、実際は、彼らは幽界にある霊魂です。

彼らが何回ビルの屋上から飛び下りようと、走ってくる電車に飛び込もうと、現象界には何らの変化も 起きはしません。

こうして何度かの自分なりの自殺によっても、なお現界にいた時の苦しい想念に決着をつけることができなかった幽界霊が思いつくのが、現界人への憑依です。

彼ら幽界霊は、現界にいる人間の肉体を使って今一度の自殺をはかろうとするのです。

現象的に見れば、ここに現代人に対する突然の憑依現象が起こり、その現界人は、霊のいく度目かの自殺行の道連れとなってしまうのです。

このように自己の死を悟らない霊の憑依による自殺は、いく人もの人間のうえに繰り返されるのです。

自殺者の多い家系というのが、それなのです。

また、これらの自殺現象は現界に住む人間には何ら原因がない場合が多く、残された人たちに謎を投げかけるのです。

 

霊の憑依による自殺(その3)

霊の憑依により、その肉体に加わる圧迫に耐えられなくなった場合の自殺とは、一口に言えば、病苦による自殺です。

というのも、隈本確先生が繰り返し言っていることですが、霊の憑依が肉体面に起これば、普通肉体諸器官の病気となってその症状があらわれてくるからです。

例えば、不治のガンを宣告されたために絶望的になって自殺をしてしまったとか、十年、二十年と続いた頑固な偏頭痛のため生きていくのが辛くなって自殺をしてしまったといったケースが、これです。

 

 

 

 

 

自殺者は死ぬこともできない・・・

>いろいろな手段によって現実に自殺をしたのにもかかわらず、霊界に入った当の霊魂には自殺をしたという意識がないのです。

 

しつこいようですが、前回同様未だに自殺した人たちというのは、自殺をするときの痛み苦しみはあまり残らないのでしょうか。

日神会で教えてもらった、人は肉体消滅の時の瞬間の想いをそのまま続くということが気になって、私は自殺するときの痛み苦しみがあるから、それが残ると思っていたのですが、自殺する人というのは、自殺するときの痛み苦しみより、自分の悩み苦しみの方が勝るということでしょうか。

 

>もはや肉体がないのにもかかわらず、自らのそのような状態を悟ることなく、苦しみから逃れたいがゆえに、再び自殺をはかるのです。

 

恐ろしい事です。

死ぬこともできないという状態でしょうか…

 

>自殺者の多い家系というのが、それなのです。

 

ありますね、そういう家系。

そういうことだったのですね。

 

>不治のガンを宣告されたために絶望的になって自殺をしてしまった

 

がんに関しては、以前はありましたが、今は聞かなくなりました。