聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

美の波動と悪の波動

美の波動と悪の波動

 

隈本確先生は、無数の招霊体験があるといいます。

招霊というのは、自分自身の体中に霊を招き入れかからせることです。

自分の意志の力でトランス状態(自己催眠状態もしくは入神状態)にはいり、その霊の意志や想念を自分の体で表現することで、霊媒現象などがそれです。

ですから、招霊時の隈本先生の感覚は隈本確先生のものではなく、招き入れた霊の感覚そのものになりきります。

 

 

高級神霊の招神だと、隈本先生の肉体、心気に加わる美の波動は、天人の羽衣が風に揺れて優雅に軽やかに舞っています。

また、大海原の水平線に、今、まさに昇らんとする日輪を持ち、仰ぐがごとく平和と溢れ出ような幸福感とを、隈本確先生の身内に呼び起こしました。 

それは、全身に満ち足りた、透明な美の感覚が全身に満ち溢れてくるのでした。

 

その反対の低級霊、悪霊の招霊の場合の隈本確先生の肉体、心気に加わる悪の波動は、汚泥の淵に引きずり込まれたように重苦しく、全身には耐えがたいきしみを感じた上に、せかせかと駆り立てられるような焦燥感、いらだちが心の中に沸き上がり、不平不満の思いが沸き上がって、ついには激しい'忿怒の想いがわきあがってくるのでした。

 

このような神霊の波動をはっきりと感じるのは、隈本確先生が神霊能力者だからあって、私達のような一般人は漠然とした気配や、雰囲気として感じるのだそうです。

 

 

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私たちが発する波動 

 

私達が発する念の波動が高い程度のものであっても低い程度のものであっても、それは相手の人の超感覚的世界で正確に受け取られことになります。

だから、私達一人ひとりが自分の魂から高い美の波動を出すことによって、お互いの精神世界を平和と愛でみたされたものにできるのです。

 

物質的に満たされている人であっても、心が平和で満たされた想いでなければ、永遠の霊界での幸福はあり得ないのです。

 

神霊治療というのは、人体に憑りついた霊を救済することによって結果的に病気を治すことになります。

したがって、私達が神霊能力を高めるためにも、高い美の波動を持った魂を育てていくことがとても大切なことになってきます。

 

私がここ数カ月あたりから感じていることですが、霊流をいただく時に自分の想いを、深い深い愛と慈しみの想いを持つと、流れてくるエネルギーが非常に強く、そして流れてくるエネルギーにもまた深い深い愛と慈しみを感じます。

私の想いに聖の親様が答えてくださっている気がします。

 

目に見えない波動

目に見えない波動

 

 隈本確先生は、以前不倫の記事の時に書いた高木さんのことを書いています。

高木さんが隈本確先生の治療所に入って来た時に、何とも言えない美の波動を感じたそうです。

美の波動というのは、高い神霊や浄化された魂自体が発散させる、目には見えないある種のエネルギー、霊流といっていいものだそうです。

 

 

私達人間はすべての人が魂(心)を持っていますし、背後に控える多くの霊ともかかわりをもっていますので、誰でもが必ず、常になんらかの波動を周囲に発散しています。

念も一種のエネルギーですので、私達は自らも波動を発していながら、生きている人間からも、死んだ人間(霊)からも、四六時中受けていることになります。

 

波動というものは、人間の心や霊の存在が目に見えないのと同じ様に、それだけでは肉眼で見る事はできません。

何かの意志と方向性を持った強い波動が、現象界にある“一つの事実”をもって初めて私たちは、その波動の結果を知ることになります。

 

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“なんとなく”

 

私達は、“あの人は、なんとなく、いい人だ”とか“なんとなくイヤな人だ”、“きょうはなんとなくいい日だ”、“なんとなく今度の旅行はいきたくない”……などと“なんとなく”という言葉を使うことがあります。

この“なんとなく”という言葉を使うときは、それこそ“なんとなく”で深い考えがあるわけではありません。

“あの人が好き”にしても“嫌い”にしても、そこに“なんとなく”がつくと、それこそ“なんとなく”ではっきりとした理由はないのではないでしょうか。

それにもかかわらず、“なんとなく”ある特定の人を恋しく思ったりすることがありますが、それは何故なのでしょうか。

 

 

私も“なんとなく”という感覚で感じのいい人、イヤな感じの人という思いを持った経験は幾度となくありますが、これほど深く考えたことがありません。

私は“なんとなく”なので、何も考えたことがありませんでした。

この“なんとなく”に意味がある、という事を見つけ出された隈本確先生に、偉大さを感じています。

 

 

この理屈では説明ができない感情、思いというものが何を根拠にどこから生じてくるのか、ここに目に見えない波動の問題につながってくるといいます。

例えば、特定の誰かのことを深い理由もなく“なんとなく好きだ”と感じた場合、その相手の人が発散する波動を感性でキャッチし、感性でその波動を好ましく判断しているのだそうです。

ただし、ここでいう感性というのは、一般に言う感性である五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)ではなく、五感を超えた超感覚的感性というものだそうです。

 

この超感覚的感性と書くと難しそうですが、実際には私達人間は日常的にこの超感覚的感性の指示によって物事を判断したり、決断をしたりしています。

このことは、私達が目に見えない多くの波動を、私たち自身の目に見えない魂の力で受け取って判断をしているという証なのだそうです。

目からウロコです。

こういう事って、ものすごく心当たりがありますが、それこそ“なんとなく”なので、深く考えたこともありませんでした。

 

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波動の色々 

 

何も語らなくても一緒にいるだけで心が安らぐ人がいます。

一緒にいるだけで心がウキウキ楽しくなってくる人がいます。

こういう人は、優しく和やかな波動を投げかけているからであり、陽気で明るい波動を投げかけているからなのだそうです。

またこの反対もあります。

一緒にいるだけで、こちらの気分までもが暗く沈んで来るという人もいます。

この場合は、その人が暗く陰気な波動を流しているからということになります。

 

この波動といっても上から下まで無数にありますが、死者の霊魂や人間の魂にもいろいろな段階がありますので、それぞれに程度が違ってくるそうです。

これは、今までの説明で納得です。

 

改めて、日常生活の中での自分自身の心の在り方を神の心を意識して、生活することの大切さを感じました。

私も一緒にいるだけで安心できるとか、楽しくなってくると言われるようになれるよう、日々心の在り方に気を付けたいと思います。

 

 

一日に一回、自分を振り返る

一日に一回反省する

 

一日一回、自己反省をするという事、これは私の場合は「聖の親様」に一日の終わりに感謝の言葉を言う時に、自分の一日を振り返って、感謝の気持ちを伝えると共に反省の中身を言って、これからはこういうところを治したい、といいます。

 

隈本確先生のような方ですら、毎日反省の心を忘れないでいるという事です。

私のような凡人は、反省だらけです。

 

反省をすることによって、自分の中にある動物的心や悪魔的心があることに気づき、自分で意識することによって、神の心に変えることができますし、人からの念障害を防ぐこともできます。

 

いますよね、何かあるとすぐに人のせいにする人。

自分のことは自分では気がつきにくい時ってあります。

端から見ている人間の方が、早く的確に気がついたりします。

大人になればなるほど、人の欠点は誰も教えてくれなくなります。

 

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母に言われたこと

 

私が子どもだった頃、母に言われたことがあります。

私が母に叱られて納得していなくて、ふてくされていたんだと思います。

その時、母が私に言った言葉です。

「今は叱られて嫌かもしれないけれど、大人になったら誰も教えてくれないよ。陰でいろいろ言っても直接言ってくれる人はほとんどいないんだよ。今は、言ってもらえるだけありがたいと思いなさい。」と。

 

大人になった今は、母の言っていたことがよくわかります。

 

 

お久しぶりです。

お久しぶりです

 

お久しぶりです、せいわです。

 

「聖の親様と共に」のブログで、沢山の方たちに読んでいただきました。

ありがとうございました。

 

ブログをやめて2年以上たちました。

あれから考えてい

ました。

もう一度「聖の親様と共に」のブログの続きを書こうかどうしようか……と。

ブログをやめた後も「大霊界」のご本を一人で読み返し続けておりました。

やっぱり初代会長先生の「大霊界」は、何度読み返しても新しい発見があります。

自分ではわかっていたつもりだったのに、まだ理解不足だった……と、そんなことが沢山ありました。

 

聖師教様のご本も素晴らしいのですが、私は古い会員です。

初代会長先生の「大霊界」のご本がなじみ過ぎたのかもしれません。

 

 

「聖の親様と共に」の時は、ほぼ毎日更新していましたが、このブログは不定期になると思います。

よろしくお願いします。

 

 

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 隈本確先生の「大霊界」や「聖の会」の会報等を読んでいると、ただ神霊のことだけでなく、普段の人としての生き方、心の在り方も魂の向上には欠かせませんとあります。

 

隈本確先生は、人生を車の両輪にたとえています。車(人生)は両輪がそろって、はじめて正しい走行ができると言っています。両輪とは、神霊の霊流をひく想念界での努力と、人間自身による人間界による現界での努力です。」と、「大霊界」9巻P154に書いてあります。

 

私は、子供の頃から人はどう生きるべきか、ということに関心がありましたので、隈本確先生の書いていらっしゃることに、一つ一つが心の中にすんなり入ってくることが多くありました。

 

 

このブログでは、大霊界のことと共に、人としての生き方、心の在り方とも絡めて書いていきたいと思います。

そして、いろんな分野から広い視野で絡めていきたいと思います。

 

「聖の親様と共に」の時は、ほぼ毎日更新していましたが、このブログは不定期になると思います。

よろしくお願いします。

 

 

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早速始めたいと思いますが、今回は最初から強烈な話題になります。

不倫です。

 

不倫

 

大霊界」2巻にあります。

ページで言うと、p155~p177です。

簡単に説明をしますと、高木さんという女性が、知人からご主人の浮気を知らされます。

高木さんは初めこそショックで、何も手につかず落ち込んでいました。

 しかしある時、自分の顔を鏡で見た時、自分の顔が夜叉のような恐ろしい顔になっていることに気がつき、気持ちを入れ替えます。

そして、今までの自分が子ども(大学生と高校生)一辺倒で、ご主人に対しては、おざなりになっていたことに気がつき、女性としての身だしなみを整え、そして、ご主人の帰宅に合わせて夕飯を作り、ご主人の帰宅を待ち、夕飯はしっかりとご主人と向かい合い会話をします。

 

そのうえ、ご主人の不倫相手のところに行き、ご主人の着替え等をもって行き「主人がお世話になっております。主人をよろしくお願いします。」と、感謝の言葉と、よろしくお願いします、と言いに行きます。

 

 そんな生活が続き、ある日、ご主人が「お前には負けたよ。」といい、「彼女が神様みたいな奥様に申し訳ないから分かれてくれ、と言った」というのです。

そして、ご主人が「すまなかった、本当にすまなかった。申し訳ないことをしてきた。今後はきっとお前を大事にする」と言ってくれたといいます。

 

 このお話は、素晴らしいお話です。

本当に神の心で、ご主人に接することを実行されたのですね。

高木さんの神の心で、ご主人やご主人の不倫相手にも接することで、高木さんの美しい心がお二人に伝わったのですね。

こういうことを実際に行おうとしてもなかなかできることではありません。

このお話は、いかに神の心を持つことが大切なことか、ということを書かれているのだと思います。

 

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 この上記の件とは全く違った話になります。

 

不倫つながりの話

 

 

 ある芸能人の2組の親子の話です。

その2組とも離婚をしましたが、母親の子供への接し方の違いで成人してからの子供が大きく変わったという話を、何かで読んだことがありますので、書いてみたいと思います。

 

一組目は、有名な女優さんと歌舞伎役者さんでした。

ところが、この歌舞伎役者さんは結婚をしていくらもしないうちに、日本舞踊のお師匠さんと恋仲になり、自宅に帰宅しなくなりました。

奥さんである女優さんは、一年余り旦那さんを待っていましたが、帰ってこないので離婚を決意をして、一人息子を連れて離婚をしました。

 

このお母さんの凄いところは、息子さんに一言もお父さんの悪口を言ったことがないのだそうです。

TVで元旦那さんを見ると、息子さんに「あの人があなたのお父様よ」と、教えていたそうです。

結婚をして、まだ新婚の頃に一年以上も妻と息子の待つ家に帰らなかった元夫には言いたいことが山のようにあったでしょうに、息子さんには元夫の悪口を一言も言わずにテレビで元夫の姿を見ると「あの人があなたのお父様よ」とは、なかなか言えることではありません。

 

息子さんは、そのおかげでしょう、お父さんをとても慕っていたようで、いつか自分も歌舞伎役者になりたいと思っていたそうです。

高校生くらいだったと記憶していますが、息子さんはお父さんの元を訪れますが、お父さんは息子さんを冷たく帰したといいます。

 

この行為は一見冷たいようですが、お父さんは自分のしたことがどれほど元妻や息子にひどいことをしたか、自覚があったのでこういう態度をとったようです。

自分は息子に会う資格がない、と……

 

息子さんは、お父さんに追い返されたけれど、いつか歌舞伎役者になりたいという思いは変わらずにあり、いつか歌舞伎役者になるために今は役者になって自分の力を磨いておこうと考えたようです。

長い間努力をして、とてもいい俳優さんになりました。

 

お父さんは今は亡くられましたが、亡くなる少し前に息子さんを受け入れ、息子さんははれて歌舞伎役者になりました。

そして、お父さんは元妻に「息子を立派に育ててくれてありがとう」と、お礼を言っていました。

 この話に私は感動をしました。

 

 

その感動した話を聞いた後だったと思いますが、もう一組の離婚をした俳優さんと女優さんの話を聞いたのです。

その夫婦の離婚の原因はわかりませんが、娘さんがいたらしく離婚後はお母さんが引き取って、育てたようです。

 

でもこのお母さん、別れたお父さんの悪口を毎日娘さんに聞かせていたというのです。

私がその話を知ったころはすでに、娘さんの両親ともに亡くなっていて、娘さんも40代のようでした。

それでも今でも、精神的に不安定で、くすりを手放せないのだそうです。

 

わたしは、この二人の話を知った時、 どちらも両親が離婚をしています。

その後の親の対応で、子供に大きな違いが出ています。

神の心の対応というと、やはり一組目のお母さんの対応でしょうね。