前回の続きです。
異常行動のF先生
あろうことか、F先生が、娘の首筋から肩、背中……と、大きな舌を出して、ベロベロ、ベロベロなめ始めたではありませんか!!
「ギャッ!!ギャーッ!ギャーッ!ギャーッ!助けて、母さん、助けて!!」
背中からF先生に馬乗りにされ、ガッシリと抑え込まれたまま、娘は死に物狂いで暴れ、息も絶え絶えにわめきちらします。
するとF 先生は、その度に「静かに!静かに!」と大声をはりあげて、なおも娘を強くガキッと押さえつけて、背中と言わず、腰と言わず、ベロベロとなめまわすのです。
「ギャーッ!!ギャーッ!!ギャーッ!!」
必死の声を張り上げて叫び、のたうち、暴れまわる娘の腰をガキッと抑え込んだこのF先生、馬乗りになった姿勢のまま、私の方をキッと振り向くと、こんなことを言いました。
「見なさい、お母さん!お嬢さんの、このあばれ、のたうち回る様を!!これこそ、憑りついている黒ヘビが、わたしの修法によって苦しみ、もがきまわる姿ですぞォ!!」
それから、さらにF先生は、汗水たらしながら一心に、娘の背中から、腰から、ベロベロ、ベロベロなめ回しているのでした。
今から考えると、わたくしは、この現実離れした場面に居合わせて、気がおかしくなりかかっていたのかもしれません。
ケダモノのようなF先生の言葉を真に受けて、心底、地獄絵図のように暴れまわる娘に憑りついているヘビの怨霊の恐ろしさに、唖然としていたのですから……。
そして、しばらくするうちに、今度は、身動き一つしなくなってしまったのです。
見れば、娘は虫の息のありさまで、気を失っているのでした。
すると、娘の上に馬乗りになって必死の形相で娘の体中をなめまわしてたF先生は、ようやくなめるのやめて、もったいぶった調子で言いました。
「さあ、とれたぞとれたぞ、ヘビの怨念がとれたぞ、これで、もう大丈夫じゃ」
それから、F先生は娘の背中から降りると、額の汗をぬぐいながら言ったのです。
「お母さん、もう大丈夫ですよ。
ヘビの怨念は解けました。
お嬢さんは、しばらくしたら気がつくでしょうから、そうしたら連れて帰りなさいおそらく、腰の痛みはもうとれているはずです」
F先生が部屋を出て行ってしまってから、十分ほどして娘を揺り起こしたわたくしは、まだ意識がもうろうとしている娘にようやく服を着せ、そのまま、抱きかかえるようにして家へ帰りました。
けれども、家に帰ったその日からの娘は、今までの娘とは全く違う娘になってしまいまいした。
まず、帰宅後丸二日間というものは、食事もせず、水も飲まずという状態で、ひたすら眠ってばかりでした。
三日目、これでは体が本当にまいってしまうと思ったわたくしは、無理矢理のようにして娘を起こして、食事をさせました。
ですが、その食事の量も、ふだんの五分の一程度というありさまでした。
次回に続きます。
もって生まれたもの
このF先生はわかってやっているのか、それとも本気でヘビが憑いていると思ってのことかわかりませんが、キーボードを打っていて気持ちが悪くなります。
娘さんは、どれほど気持ちが悪く辛かったか……
正気の沙汰とは思えません。
この話とは別の話になります。
最近、参政党という新党の街頭演説の動画が面白くて、毎日見ています。
参政党の副代表兼事務局長の神谷宗幣参議院議員の子供の頃の話なのですが、子供の頃から頑固で大人のいう事を全く聞かない子だったそうです。
あまりに言う事を聞かないので、おばあちゃんが「この子には物の怪がついているから」と二度もお払いに連れていかれたそうです。
神谷氏が言うには、未だにそういうところは変わっていないそうです。
本人が言うには、その当時は言われなかったけれど、今の時代に生まれていたら発達障害だと言われていたと思う、と言っています。
今回の大阪府知事選に参政党から出馬をしている吉野敏明氏がいます。
この人も小学生の頃は、皆と同じことをせず、自分のやりたいことをしていたので、いつも先生の隣に座らせられていたといいます。
お母さんは、先生からよく呼び出しをくっていたといいます。
どちらも小さい頃は成績が良くなかったといいます。
でも、どちらも自分でやる必要を感じてからは頑張ったようです。
神谷氏は関西大学を出て、大学院にも行ったようです。
吉野氏は岡山大学だと言っていました。
二人とも、今の日本が危ないから、日本人に目を覚ましてもらいたくて、命懸けで演説をしています。
この二人は、言葉に出すと命が危ないようなことを言っていますが、人のいう事を聞かないとか、ウソをつきたくないから本当のことを言う、誰に何を言われても今の日本や日本人のために自分の考えを突き通しています。
小さい頃は、大人から見ると問題行動であっても、小さい頃から変わらないその様子は、大人になって必要なものだったのではないかと、私は感じています。
私も子育て真っ最中の頃は、子供の問題行動を親である自分の責任のように感じていましたが、子供が大人になった今思うのは、親がどんなに努力をしてもどうにもならないもって生まれたものが備わっている気がしてなりません。
今思い起こすと、昔私が子供の頃の大人は、普通より活発な子や大人が思いがけないことをする子を、将来は大物になるぞと嬉しそうに言っていました。
そういう子は、今は発達障害と言われているようです。