聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

お嬢さんの気持ち

前回の続きです。

 

お嬢さんの想い

不意に激しい調子のこのお嬢さんの心の声が、隈本確先生の胸いっぱいに広がりました。

「こんな母さんは、あたしの母さんじゃないよ!鬼だ、鬼ババァだ。こんな鬼ババァは一日も早く死んじゃえばいいでんだ。いつかなんか、学校へ行くとき電車が混んでいて乗り遅れて遅刻をした。そしたら、それを知った母さんは、ほんと、気ちがいみたいになって、あたしを怒りとばした。で、それからはもう、あたしのすることなすこと、いちいち監視の目を光らせていて、本当にうるさいったらありゃしない、ヒステリー!

だから、あたしは今度は、わざと学校に遅れるようにした。わざと学校に行かなかった。母さんが、あんまりうるさくって、憎ったらしいからよ!もう、学校なんか全然行きたくない。勉強なんか全然したくない。高校なんて行ったって、しょうがないもん。

でも、家にいたってちっとも面白くない。母さんは一日中、ブツブツ小言を言っているか、わめき散らしているかのどっちかなんだから、あたしは、もう本当に死んじゃいたいわ。学校の屋上から飛び降りてやろうと思ったことだって何度もあるんだ。本当なんだから。もう、こんな母さんと毎日いるなんて、いや、いや、いや!あたし母さんより腕力強くなったら、もう絶対黙っていないから。絶対、あたし、母さんを殴り返してやるわ!」

隈本確先生の胸中にガンガンと響き渡るような、けたたましいお嬢さんの霊言を聞いた隈本確先生は、まったく、あきれて何も言えない心境になってしまいました。

もう、この二人の母子は親子ではありませんでした。

母親とわずか15歳の少女だというのに、互いに憎しみあい、容易には収拾がつかないほどの相克の図を示しています。

—―いったい、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

隈本確先生は、この不幸な親子を目の前にして、ほんの2、3秒、心の中で考えました。

何と言っても、この二人は母娘には違いがありません。

決して、対等の立場で渡り合える道理はありません。

まして、子供はと言えば、まだ自分というものもしっかりと出来上がっていない中学生の少女です。

そんな思春期の動揺しやすい年頃の娘に対して、親が自分の我を前面に押し出して、いったいどうなるというのでしょう。

子供が成長して一人前の社会人となる過程にあっては、親の想念のあり方、そして家庭教育というものがいかに大切かということを身をもって知っていた隈本確先生は、この際、神霊能力者としては、どうしたってお嬢さんの立場に立たないわけにはいきません。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

>そんな思春期の動揺しやすい年頃の娘に対して、親が自分の我を前面に押し出して、いったいどうなるというのでしょう。

 

子供は、成長していくと親に容赦ない言動が目立つようになってきます。

そんな時、カチンと来ますが、親は子どもと対等になってはいけないのです。

 

>思春期の動揺しやすい年頃の娘に対して、親が自分の我を前面に押し出して、いったいどうなるというのでしょう。

 

そうなんです。

親が自分の我を前面に押し出してはいけないのです。

ところが、こういう時の親の免罪符の言葉があるのです。

「これは子どものため、子供へのしつけ」と自分で思い込んでしまうと、その言葉でブレーキがかからなくなります。

虐待する親は、そう思ってしまって大人の力で、子供を痛めつけるといいます。

端から見ると、どう見ても虐待であっても、当人はしつけのつもりだといいます。

怖いですね。