聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

すっかり変わった母娘

前回の続きです。

 

反省をした母親

隈本確先生がここまで言い終わると、それまで神妙な顔つきで隈本確先生と母親のやりとりを見守っていたお嬢さんが、不意にリラックスしたような、すがすがしい表情を見せたのでした。

それと引き比べて母親はと言えば、見るも無残に意気消沈の体であります。

それから、しばらく黙ってうつむいていた母親が、ようやく顔をあげるとポツリポツリと語り始めました。

「先生、私は見当違いをしていたようです。実は、今日は先生に、この子をしっかりと叱っていただこうと思っていたのです。ところが、先生のお話は全く反対でした。……私はショックでした。

ですが、お話を伺っているうちに、先生のおっしゃることがわかるような気がしてきました。たしかに、そうなのでしょう。私の中で、だんだん先生のおっしゃる通りなのだという気持ちが強くなってくるようです。今日から、この子は自分の子供ではなく、一番大切な先祖さんだという気持ちでやっていくことにします。

神霊治療以外にお手間をとらせ、大変失礼いたしました。どうもありがとうございました。」

そう言い終わると、すっかり肩を落として帰って行った母親でした。

帰り際に、お嬢さんは隈本確先生の方を振り返ると少々照れ臭そうに笑って小さくお辞儀をしました。

それから一カ月ほどしたある日のことでした。

隈本確先生の道場に、再び園田さん親子がやってきました。

お嬢さんもお母さんも、人ちがいしたように明るく爽やかな様子をしています。

いかにも愛くるしい少女と楚々とした風情の母親が仲良く肩を並べて、隈本確先生の前に座っていました。

「先生、この間はどうもありがとうございました。お陰様で、娘のあれほどとまらなかった鼻水もピタッと止んで、頭の痛みもすっかりとれたそうです。それに、頭がすっきりしたせいか、勉強が少しも苦にならない、などと申すのです。

それにつけても、先日、先生におうかがいしたお話、自分の子供を先祖だと思えというお話ですけれど、本当に身にしみて、深く考えさせられました

時々お嬢さんの方に優しいまなざしを注ぎながら、母親である園田さんは静かにそこまで言うと、ほんのしばらく間をおいて、再び語り始めました。

 

次回に続きます。

 

 

 

我が家の場合

良かったですね。

隈本確先生の言われたことが、お母さんはよくわかったようです。

私も経験がありますが、子育てをしていると子供が小さい頃の「お母さん、お母さん(我が家はママとは言わせなかった)」と言って、後を追っているうちはいいのですが、子供がだんだん自我に目覚めてくると、難しくなってきます。

時間に追われているとよけいに大変になります。

私の場合は、三人の子供それぞれに大変な部分はありました。

一番下の娘は、競技は言えませんが、自分から習いたいと言って、かなりマニアックな競技ですが、地域の人が教えていたのでそこに習いに行きました。

幼稚園の時からのお友達と一緒に、小一の時に三人で習いに行きました。

三人とも中学生まで続けましたが、かなりしんどい思いをしました。

習い始めた頃は、まだ興味があって楽しんでいたんですが、だんだんマンネリ化してくると、友達もいるのでやめたいとは言わないのですが、練習のある日の支度が遅いのです。

明らかに遅刻しそうです。

それでも、本人は時間関係なくゆっくりと準備をしています。

準備をして出かけようと思うと、玄関で忘れ物がないかもう一度確認をし始めます。

こちらは、仕事や家事がやることは山ほどあるのに、本人は全く関係なくのんびりしています。

練習も親がつきっきりの指導が必要な競技でした。

親である私がつきっきりで指導をしていても、本人はのんびりしたもので、こちらはイライラしっぱなしでした。

でも、ここで怒ったらへそを曲げそうだから、とほとんど自分との戦いでした。

中学生になって、中2の夏休みでだいたい皆やめるので、その時は正直ほっとしました。

だから、この園田さんのお母さんの気持ちはわかります。

子育ては、ほとんど自分との戦いでした。

隈本確先生が言われるように、自分の子どもをご先祖さまだと思えばもっと余裕をもって接することができたかもしれません。

反省です。