前回の続きです。
霊界に対する正しい認識をもっていないと・・・
「ただいま、そなたの言葉を聞くところによると、そなたは生前仏門にあって、最高の修行を積んできたという、私からも、それは確かだと認めよう。
また、そなたは、生前において心の浄化にも懸命に努力をした後が見受けられる。
よって、私の力で、そなたを助けてしんぜよう。
しかし、そなたは生前、仏教という教えの世界の中のみ修業を積んできたのであって、真実の霊界を知ろうという努力を全くしていない。
すなわち、知恵の世界で生み出された行においてはその奥義を極めていようとも、霊界に対する正しい認識は何一つ持っていないという事だ。
そして、そなたは守護神の存在についても、知らずに過ごしてきておるのであろう。
よって、ただいま、そなたはこのような結果に陥ったのである。
だが、先ほども、このわたしが申したとおり、そなたは生前、心の浄化という事に大変努力をしてきておる。
よろしい、必ず、私がそなたを助けてしんぜよう。
今後、そなたは神の世界へ行き、毘沙門天大神と名乗り、神の世界でさらに向上をはかるようにいたせ」
隈本確先生は、招霊していた僧侶の霊に対して、胸中深く、そう命ずると、天界向けて朱印の九字を勢いよく七回切りました。
こうして、瞬時にして僧侶の霊は浄化され、きらめく高き霊界の住人となりました。
その仕事を終えて、隈本確先生がホッとした瞬間、目の前に座っていた石田さんが、不意に大きな声でいいました。
「あきました!あきました!パチッ、音がしたような感じでした。」
「あっ、あいた!あいた!本当にあいた!」
続いて、驚嘆の叫びをあげたのは、同席をしていた石田さんを連れてきた知人の女性です。
それから、隈本確先生は、石田さんに尋ねました。
「あなたの御親戚で、お坊さんはいらっしゃいましたか」
「はい、私の実家はお寺ですが
石田さんは、ぱっちりとあいた瞳をびっくりしたようになお大きく見開いてそう答えると、さらに言葉を続けました。
「……わたくしの実家はN教のお寺で、現在は、わたくしの伯父が後を継いであります。
伯父も本山から高いくらいをいただいておりますが、亡くなった祖父は、僧侶として本当に偉い人だったと思っております。
もちろん、本山からは最高に属するほどの位をいただいておりました。
そして、祖父は生前、自分の因縁は自分一代で完全に切ってしまって、絶対に子孫に残さないと言っておりました。
そのため、何年も山にこもり、断食をしたり、滝に打たれたり、それはそれは大変な修行を積んでいた、と聞いております。
亡くなる少し前には、わたくしたち子孫に対しては、毛筋ほども悪い因縁を残していないと断言していたのですが……」
そこで、隈本確先生は、すぐ側にある机に両肘をついて手で頭を抱え込むしぐさをして、ジーッと下を向きました。
次回に続きます。

人の世界と霊界は違う
>すなわち、知恵の世界で生み出された行においてはその奥義を極めていようとも、霊界に対する正しい認識は何一つ持っていないという事だ。
そして、そなたは守護神の存在についても、知らずに過ごしてきておるのであろう。
現界で大変な修行をしたとしても、霊界に対する正しい認識をもっていないと、そして守護神の存在をも知るという事でしょうか。
こういう話になると、何度も書きますが、2020年に亡くなった三浦春馬さんを想います。
というのは、三浦春馬さんの生前の生きざまを見ると、人としてこれほど正しく生きた人って、そうはいないのではないかと思います。
とにかく知れば知るほど、驚きの連続です。
亡くなったのが30歳と3カ月です。
23歳の頃から事務所からの冷遇が始まり、亡くなる2年ほど前から壮絶ないじめにあっています。
連続ドラマの最中に亡くなったのですが、そのドラマの中でもガスライディングと言われるいじめ嫌がらせが、激しかったのです。
ガスライディングとは、心理的虐待の一種で、被害者に些細な嫌がらせを行ったり、わざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法です。
ほとんど休みなしで、三浦春馬さんの部屋には監視カメラが付けられていました。
監視カメラは、知人とのインスタライブで春馬さんが、意図的に映したと思われる場面があります。
いじめが始まって亡くなるまでの7年間、命も狙われていたと思われます。
そんな中でも、20代の若さで懸命に生きています。
彼は、いつも笑顔で口から出る言葉はいつも前向きでした。
あれほどの容姿で天狗にもならず、俳優業も歌もダンスも全て本業の人達のトップクラスの人達と同じくらい、その上、誰よりも努力をしていた、そして、誰にも分け隔てなく裏表もなく人に優しい、亡くなって2年半が過ぎましたが、悪い話は一つもない、それより一般の人から、こんなに親切にしてもらったとかいう話は未だに出てきている人です。
所属務所を退所して、世界へ旅立ちたいと願い、その願いも目前にしての突然のことでした。
亡くなった年の年末には、日英合同のミュージカルの主演も決まっていました。
そんな三浦春馬さんが亡くなった後の様子を見ると、そんなに高くなかったのです。
そりゃ、行動ではなく想いの世界だと言われますが、彼は心も美しかったので、きっと高い所に行っていると思っていました。
でも、現実は低いところではないけれど、私が思っていたほど高くはなかったので、あらためて隈本確先生の言っている心の浄化だけではないということは本当なんだと思いました。