聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

唯物論者とそれに答える輩

どちらもどちら

 

日ごろから神・仏・霊の実在を否定している人、目に見えるもの以外は全く認めようとしない唯物論者たちまでが、先祖供養というこの四文字にはコロリとまいっているのは不思議なものです。

 

霊の存在を否定している人にとって、なぜ先祖供養が必要なのかと首をかしげたくなりますが、現実には、そのような人たちが、やれ葬式だ法要だと言っては、宗教的儀式に莫大な金をつぎこんでいるケースが多いのです。

 

そして、そこはいかにも唯物論者らしく、儀式が立派でありさえすればご先祖様は喜ばれているのだと固く信じて、当人もすっかり満足しているのだから、ますます困ったものです。

 

どうやら、普段、目に見えるもの、聞こえるもの、しか信じない合理的、唯物的思考の持ち主ほど、簡単に先祖供養の催眠術にかかってしまい、美々しい葬式に狂奔しやすいものらしいようです。

 

しかし、その一方では、この先祖供養の四文字を大々的に鼓吹して莫大なる利益団体があるわけで、どちらもどちら、迷信を増長させる悪しきな存在と言うべきです。

 

 

 

 

 

win-winの関係

 

唯物論者たちまでが、先祖供養というこの四文字にはコロリとまいっているのは不思議なものです。

 

考えたこともありませんでしたが、確かに明らかに神様を信じていない人も、イヤ、信じていない人ほど、見た目を立派に見せたがる気がします。

 

たぶんですが、彼らにとっては葬式も法要も、全てが生きている現世の基準で見ているのでしょう。

だから見た目を大事にするのでしょう。

 

そして、亡くなった人も同じように喜ぶだろう、と自己満足をしているのでしょう。

 

>この先祖供養の四文字を大々的に鼓吹して莫大なる利益団体があるわけで、どちらもどちら、迷信を増長させる悪しきな存在と言うべきです。

 

なるほど、先祖供養をもうかる商売と考えている輩もいますね。

 

どちらもwin- winの関係でしょうか……

 

子供に孝行にされる親になれ

先祖供養より子孫供養

隈本確先生の嫌いな言葉は「先祖供養」ですが、それと同じくらい嫌いな言葉は「親孝行」という言葉です。

 

ある宗教関係者は、先祖供養の第一歩は親孝行からと説いているといいますが、それも、よく考えるとおかしなことです。

 

だいたい、この「親孝行せよ」という言葉は、いったい、誰の口から出てくるのでしょうか。

 

もし、それが子どもたちの口から自然に出てくるものであれば、確かに親孝行も大いに結構です。

 

しかし、実際に「親孝行せよ」と言っている張本人は、当の親たち自身なのではないでしょうか。

 

全く、押し付けがましい限りのことだと思います。

 

隈本確先生には三人の子供さんがいますが、隈本確先生は、その子供さんたちに対して「親を大切にしなさい。親孝行しなさい」といったことは、ただの一度もありません。

 

大切なことは、子供に親孝行を強いることではなく、親自身が、子供に大切にされる親になることなのです。

 

だから、隈本確先生に言わせると「親孝行せよ」ではなくて、「子供に孝行される親になれ」という事になります。

 

そして、子供に孝行される親になるためには、親として、また、それ以前に人間として、毎日の生活の中で自分の言動、想念の管理をきちんとしていかなければなりません。

 

自分の子供に対して「親孝行せよ」と強要したり、あるいは、子供に対する悪口、罵詈雑言を平気で口に出したり、心の中で子供を憎んでいるような親は、親として失格であるばかりか、人間としても失格しているのです。

 

そのような人間の魂は、死して霊界入りした暁には、必ずや地獄界に堕ちていくでしょう。

 

隈本確先生は、よく先祖供養よりも、より以上に大切なのが子ども、子孫供養であると言っています。

 

黙っていても子供から大切にされる親になるという事は、非常に難しいなのかもしれません。

 

しかし、そのような心がけで一生を過ごしたなら、その人の魂は霊界入りした後、必ず高き神霊に迎えられ、ひたすら向上の道をたどるでしょう。

 

と同時に、他界して、そのように浄化・向上していく霊が、なんで己の子孫に憑依したり、因縁で苦しめたりすることがあるでしょうか。

 

先祖供養という気の遠くなる迷路に踏み込むよりも、高き神界にあられる守護神の霊流を奉持し、まず己が完全に助かり、その上で清き霊流を子々孫々に流す――、この子孫供養こそ、我々人類にとって、よほど大切な言葉ことだと思われます。

 

 

   

 

 

子供を大切にすることは自分も救われる

 

>大切なことは、子供に親孝行を強いることではなく、親自身が、子供に大切にされる親になることなのです。

 

私も以前から同じようなことを思っていました。

子供に親孝行を強要するようでは、子供は心から親孝行をしたいとは思いません。

 

思い起こせば、わたし自身も子供たちに親孝行を強要したこともありませんし、私の親から親孝行をしなさいと言われたことはありません。

 

そういう面では、親に恵まれたかもしれません。

 

逆に言われたことがないから、大事にしたいと思いました。

 

これが、強要されたら親から逃げたいと思ったかもしれませんが……

 

隈本確先生は、よく先祖供養よりも、より以上に大切なのが子ども、子孫供養であると言っています。

>黙っていても子供から大切にされる親になるという事は、非常に難しいなのかもしれません。

 

なるほど、子孫供養という発想は私にはありませんでしたが、黙っていても子供から大切にされる親になりたいという事は願っていました。

 

 

>そのような心がけで一生を過ごしたなら、その人の魂は霊界入りした後、必ず高き神霊に迎えられ、ひたすら向上の道をたどるでしょう。

 

確かに、そこにつながるかもしれません。

 

気を付けたいと思います。

 

 

 

本当の先祖供養

実在の神からエネルギーをいただくことが本当の先祖供養

 

以前の隈本確先生は、神霊治療の際、必ず守護神を出現させていました。

 

その現界での名称を依頼人当人に告げていました。

 

隈本確先生の言う守護神とは、当人の無数にいる先祖諸霊のうち、その人に善の意志を持つ最も浄化された格の高い実在の霊界人です。

 

そして、依頼人は以降、生涯、自分の守護神を奉持していくことによって、その心身が守られていくことになるのです。

 

例えば、何かのひょうしにそこらにいる低級霊に憑依されてしまい、心身のどこかに不調が現れたとしても、強い念をこらして守護神にお願いすれば、それ、すなわち自らの力で行い得る先祖供養法でもあります。

 

隈本確先生が、かつて隈本確先生と隈本確先生の守護神から言われたように、あなたもあなた自身の守護神の霊魂奉持者となり、まず、あなた自身が救われることなのです。

 

そうすれば、必然的に、あなたに関与する数多くの先祖霊も救済されていくことになります。

 

守護神の霊流が、当人の体を通して関係諸霊や、当人の家族にまでおよぶのです。

 

 

もちろん、当人が想いの世界で、より深く、強く、守護神と結びつくことによって、当人の魂の浄化もはかられるのです。

 

しかし、この先祖供養の方法では、あくまでも守護神が出ている人のみにしか通用しません。

 

心(想念)の世界とは、時間も距離も超越した世界です。

 

人間の強い想い、強い願いかけというものは、時間や距離を超えて作用するのです。

 

それゆえに、神霊治療においては遠隔治療という事さえ可能なのです。

 

例えば、隈本確先生は長崎にいながらにして、北海道にいる病人を治すことができます。

 

その場合には、隈本確先生は、たった今、その病人が「私のすぐ目の前にいる」という、絶対的な想いの世界を自分自身のうちに作り上げなければなりません。

 

もし、ほんの少しでも、それを否定するような心があれば、遠隔治療は決して成功しません。

 

超意識帯における人間の想いの世界とは実に不可思議なものであり、また、想いの力とは実に偉大なものである、としか言いようがありません。

 

一般宗教家は、しばしば、先祖供養と因縁解除によって病気が治る、と誇大宣伝しています。

 

その考え方については、隈本確先生もまったく同感です。

 

確かに、先祖供養及び因縁解除によって、病気は治るのです。

 

ただし、一般宗教家たちが行っている現実的方法による形式的先祖供養と、隈本確先生が先程から言っている霊界的方法とでは、意味、内容が全く違っていますし、何よりも、効果の出かたに雲泥の相違があります。

 

 

隈本確先生は、実在する霊界人の働きによる先祖供養の原理を知り、それを実践しているがゆえに、一般宗教家、行者、加持祈祷師、神霊能力者などが盛んに行っている形式的先祖供養のあれこれに対して、それを信じられないばかりでなく、時には嫌悪すら感じてしまうのです。

 

 

 

 

 

強い想いが時間や距離を超えて作用する

 

>以前の隈本確先生は、神霊治療の際、必ず守護神を出現させていました。

 

私は、日神会の会員になって38年位になりますが、その頃には隈本確先生の写真を胸に描いて浄霊を行うという方法でした。

 

その後は、お札を使っています。

 

今は、いろんなグッズがあるようです。

 

そのグッズから日神会の守護神様からのエネルギーが流れています。

 

>人間の強い想い、強い願いかけというものは、時間や距離を超えて作用するのです。

それゆえに、神霊治療においては遠隔治療という事さえ可能なのです。

 

これは、私も家族で日神会を信じていないものがいますので、その家族にこっそり遠隔治療をしています。

 

>その病人が「私のすぐ目の前にいる」という、絶対的な想いの世界を自分自身のうちに作り上げなければなりません。

>もし、ほんの少しでも、それを否定するような心があれば、遠隔治療は決して成功しません。この方法で行っています。

 

治したい家族が、私の目の前にいると、信じ切って行っています。

 

家族がいると思うだけで、家族の細部まで描くという事はしていません。

 

浄霊したい家族がいるという事だけで、家族がどんな表情かとか、そんな事は一切気にしていません。

 

神霊治療こそが最高の先祖供養

霊能者としての心得

 

霊界の底辺に落ちて苦しんでいる低級霊の救済は、高き神霊の霊流を低級霊にあびせかけてやることによって、即座になされます。

 

そして、そのためには低級霊と高級霊の仲介役としての人間の存在が必要です。

 

隈本確先生は、「神霊治療こそが最高の先祖供養」と言っています。

 

なぜならば、神霊治療を受けて病気が治ったという事事態が、低級霊界で迷っている先祖霊が浄化されたという事だからです。

 

すなわち真の先祖供養と言っていも間違いがないでしょう。

 

だから、隈本確先生の神霊治療を受けて病気が治った人は、その後、形式的な先祖供養は一切する必要がありません。

 

神霊治療の依頼人の中には、亡くなった自分の愛する人達が霊界でどのように過ごしているかと質問をする人が良くいます。

 

それらの人達は、たいてい、以前どこかの霊能者や祈祷師に、いらぬことを吹き込まれている人達です。

 

例えば、「あなたの亡くなった娘さんは、うすい着物一枚で寒い野原をさまよい、ひもじさに泣いている」とか「あなたの亡くなったご主人は、氷の世に冷たい暗い地の底で、苦しい苦しいとうめき声をあげている」などなど、低級段階での霊視、霊感のあれこれを低級霊能者から聞かされているのです。

 

そんなふうに言われた依頼人としては、当然心穏やかでなくなってしまいます。

 

生前、あんなに愛し合っていた夫が、また子供が、霊界でそのような苦しい目にあっているのかと考えただけで、病気になってしまう人がさえいます

 

霊能者たるもの、たとえそれが霊視に映って来た真実だったとしても、いたずらに依頼人を嘆き悲しませるようなことを口外してはならないはずです。

 

ましてや、自分で救済することもできない霊についてあれこれ言うなどの無責任きわまりない放言とあっては、それは霊能者として罪深い行為と言うべきでありましょう。

 

隈本確先生としては、それらの事情について考えた時、隈本確先生のもとにやって来る依頼人が 亡き子供や夫を心配して、霊界での様子を聞きたがる心情は察するに余りあります。

 

しかし、もし依頼人が、隈本確先生の神霊治療の本質を理解していたならば、それらの心配はいっきょに氷解してしまうはずなのですが……。

 

というのも、もし、あなたが一番愛していた人、例えば子供や夫大が死後霊界で苦しんでいたとしたら、あなたと愛する人との間には次元を超えて「心」(想い)の橋がかかり、亡くなった子供や夫は必ずあなたに霊界通信をして来るからです。

 

そして、その霊界通信とは、生者側にとっては心身の痛み・苦しみを隈本確先生の神霊治療によって癒しに来られたあなたは、つまりは、亡くなった子供や夫の供養に来られた、という事になるのです。

 

また、いつも言っていますが、隈本確先生の神霊治療というのは、一体か二体の霊視の救済で終わるものではありません。

 

体全体に憑依している何十、何百という先祖霊、因縁霊そこらで拾ってきた霊の救済を行っているのです。

 

片っ端から、瞬間にそれらの霊を救済していく隈本確先生神霊治療では、現在、一切霊査という事をしていません。                                   

 

隈本確先生は、神霊治療の能力者として、本人の納得がいくまで、依頼人の病苦の快湯感、心身の爽快感んを徹底的に追及するのです。

 

隈本確先生に言わせれば、依頼人の心身に快癒感がないという事は、まだ霊障が残っているという事に他なりません。 

 

 

  

 

 

原敬之の場合

 

>霊能者たるもの、たとえそれが霊視に映って来た真実だったとしても、いたずらに依頼人を嘆き悲しませるようなことを口外してはならないはずです。

 

私がまだテレビを見ていた頃の話ですので、かなり前です。

 

原敬之という人がいます。

 

この記事を読んだときに、江原敬之氏が、亡くなった母親の今の状態を教えてほしいという依頼人に対して答えた内容を思い出しました。

 

その依頼人というのは、人数は覚えていませんが、とても大勢の兄弟がいました。

 

母親がその大勢の子供たちの面倒を見ていました。

 

母親はとても疲れていました。

 

睡眠時間を削って毎日必死に働いていました。

 

母親はとうとう倒れてなくなってしまいました。

 

子供たちは途方に暮れていました。

 

特に年長の子供たちは自分たちより年下の兄弟たちの面倒を見ながらも、心のよりどころにしていた母親がいなくなったことで、不安定でした。

 

そこで、年長の子供達数人で江原氏に母親の状態を聞きに来ました。

 

その時の江原氏は、「お母さんは、とても疲れていて眠っているけれど、でも、あなたたち兄弟が頑張って支えあっていることを、お母さんは天国で見守っています」というようなことを言っていました。

 

そして、あなたたち兄弟でこれからも仲良く、助け合って生きていってほしい、とお母さんが言っています、というようなことを言っていました。

 

それを聞いた長子であるお兄さんが、ほっとしたような顔をしていました。

 

江原氏からお母さんの様子を聞いた依頼人の兄弟たちは、これから兄弟仲良く頑張ります、と笑顔になっていました。

 

ずいぶん前の話なので、少々違うところもあるかもしれませんが、大まかな流れはそんな感じでした。

 

その頃は、私は少しは亡くなった人の状態を感じることができるようになっていたので、私もなくなったお母さんの様子をみてみました。

 

亡くなったお母さんは、眠っていました。

 

生前は、眠りたい眠りたいと願いながら必死に生きていたようです。

 

容易には起きそうにないくらい、眠りこけていました。

 

この時、私は江原氏が嘘も方便を言ったことに気が付きました。

 

ああ、これでいいんだ、これでこの兄弟たちは母親の死を受け入れて前に進むことができるんだ、見事だと思いました。

 

隈本確先生のお話で、このことを思い出しました。

 

 

   

本当の先祖供養

守護神からのお言葉に従っている隈本確先生

 

隈本確先生の信念です。

 

それは、先祖供養というより自分自身が助かることが先決だと思っています。

 

先祖供養をすれば即座に自分も救われるだろうとは、思わないほうが良いのです。

 

以前にも書きましたが、無限の数にのぼる地獄界に落ちた先祖霊の供養など、とうていできるものではありません。

 

それゆえに、私達にとっては、無限に続く迷路の旅ともいえる先祖供養に明け暮れることよりも、自分自身が直接、霊界の高い所におられる神の流れを奉持していくことこそが大切になってくるのです。

 

隈本確先生は、隈本確先生のご守護神より、次のような霊言をいただいているのです。

 

「代よ、そなたは、まず己れ自身が完全に助かることに全力を挙げよ。

たとえ、いかなる悪霊、低級霊の波動を受けようとも、また、いかなる先祖因縁霊の流れがあろうとも、決して自らが苦しむことのないだけの神格を有する自己の魂をつくりあげることである。

さらに、これらいろいろの悪しき波動を跳ね返すことの出来る強靭なる肉体をつくることである。

それから重要なことは、そなたの魂が天命界(霊界の最高位)の深奥に進みゆくよう、常に守護神の霊流保持者たることである。

さすれば、そなたは神界の最高位・天命界にある余の霊流を受け続ける事であろう。

そして、時と共に、そなたを通して余の霊流は、そなたに関与する多くの先祖霊団にもおよび、それら諸霊は、どんどん浄霊され、向上し、救済されていくことになろう。

代よ、よく聞け。

そなたが余の霊流奉持者である限り、そなたと意を同じくする者、また、そなたを奉持する者には、やはり、そなたを通じて余の霊流をがおよぶであろう。

さすれば、それら凡夫に関与する諸先祖霊も、凡夫のそなたに対する想いの深さに応じて、必ず浄化、救済されよう」

 

これが隈本確先生が、隈本確先生の守護神よりいただいたお言葉です。

 

隈本確先生は、このお言葉に従い、何をさておいても、まず高きご守護神の霊流奉持者たる努力だけは怠りませんでした。

 

そして、隈本確先生はそれから今まで、そのお言葉を、しっかり奉持しているのです。

 

そして、その結果こそが、今日の隈本確先生の神霊治療能力だと思っています。

 

そうでなければ、本来、ただの人間である、隈本確先生にこれだけの奇跡の力が出るはずがないのです。

 

 

 

 

 

隈本確先生の守護神からのお言葉

 

>「代よ、そなたは、まず己れ自身が完全に助かることに全力を挙げよ。

たとえ、いかなる悪霊、低級霊の波動を受けようとも、また、いかなる先祖因縁霊の流れがあろうとも、決して自らが苦しむことのないだけの神格を有する自己の魂をつくりあげることである。

さらに、これらいろいろの悪しき波動を跳ね返すことの出来る強靭なる肉体をつくることである。

それから重要なことは、そなたの魂が天命界(霊界の最高位)の深奥に進みゆくよう、常に守護神の霊流保持者たることである。

さすれば、そなたは神界の最高位・天命界にある余の霊流を受け続ける事であろう。

そして、時と共に、そなたを通して余の霊流は、そなたに関与する多くの先祖霊団にもおよび、それら諸霊は、どんどん浄霊され、向上し、救済されていくことになろう。

代よ、よく聞け。

そなたが余の霊流奉持者である限り、そなたと意を同じくする者、また、そなたを奉持する者には、やはり、そなたを通じて余の霊流をがおよぶであろう。

さすれば、それら凡夫に関与する諸先祖霊も、凡夫のそなたに対する想いの深さに応じて、必ず浄化、救済されよう」

 

なるほど、先祖供養は隈本確先生の守護神から霊流をいただくことによって、おのずと先祖供養になっているという事ですね。

 

私が以前から、不思議に思っていた人間界で言えば聖人君子であっても、高いところに行けないわけはここにあるんですね。

 

人間界で聖人君子であっても、波動が人間界の波動なんですね。

 

生前から神様からの波動を受けることによって、神様の世界の波動を身につけることが可能になるのでしょう。

 

もちろん、本人の想いの世界でも神様を信じていると、神様の世界にすんなり入ることができるという事でしょう。

 

 

霊界を正しく知らなければ、死後、大変苦しむ

前回の続きです。

 

霊界を正しく把握

 

「石田さん、このようなお坊さんの姿が見えますよ」

 

あっ、もう、近頃の伯父がいつもそのようにしておりますよ。

何かというと、すぐにそういう格好をして、ジーッと考え込んでいるのです

 

「いや、これはあなたのおじいさまの霊界での姿ですよ」

 

「えっ?祖父の姿……」

 

「そうです、近頃、伯父様もそのようなしぐさをしょっちゅうするというのなら、おじいさまの霊に感応してるという事でしょう」

 

「はぁ……」

 

びっくりして、言葉も途切れがちになってしまった石田さんに対して、隈本確先生は、ここで少々厳しい説明をしなければなりませんでした。

 

神霊能力者として、「ウソも方便」では通らないと思ったからです。

 

「石田さん、よく聞いてください。

霊界というのは、私達が住んでいる現界とは全く異質の世界なのです。

あなたが言われるように、確かに、あなたのおじいさまは生前、よく修行を積んだN宗の立派なお坊さんでした。

しかし、おじいさまが信じ、精進なさった仏道それ自体、人間界発想の知恵の教えによるもので、霊界に実在する神・仏・霊の教えとは全然違うものだったのですね。

すなわち、おじいさまは、生きている人間があみ出した教えに従っての修行は奥義を極めていたでしょうけれど、霊界からの通信による修行をされたわけではなかったのです。

そういうわけで、あなたのおじいさまは、何一つ霊界について知らずに亡くなられ、そこで迷ってしまわれたのです。

そして、何もわからないままに、だんだん、だんだん、深い地の底に沈んで行かれてしまったという事ですね。

でも、もう、大丈夫ですよ。

私が今、深い地の底に沈んおられたおじいさまを私の体に招霊して、一挙に高い神の世界へ送って差し上げましたから、今後は、もう絶対にあなたのマブタがあかなくなる、というようなことはないでしょう」

 

この隈本確先生の説明を、息をのむようにして聞いていた石田さんですが、もちろん、目はパッチリとあいたままです。

 

そして、数日後、石田さんはさわやかな笑顔でお礼にみえました。

 

「おかげさまで、一年半ぶりに主人の顔をまじまじと見ました。

世界が見えるという事は、こんなに楽しい事でしょうか」

 

開口一番、そういった石田さんは、まるで子供のように全身に喜びをみなぎらせていました。

 

死後、霊界で苦しむのは、生前、悪心や嘆きの心を持っていた人ばかりとはかぎりません。

 

どんなに心の浄化に専念しつつ生きてきても、霊界というものを正しく把握していなければ、霊界入り後は、道に迷って泣き叫ぶ子供同然という事にもなってしまうのです。

 

そして、ただいまの実例でもはっきりとおわかりいただけたことと思いますが、供養のオーソリティーたる僧侶にしたところが、正しい霊界を知らなければ、死後、大変苦しむことになるのです。

 

現界で一般宗教家が行っている供養とか因縁切の行というものが、神霊学的に見たらいかに無意味なものであるかというも、これで理解していただけたのではないでしょうか。

 

霊・先祖の供養、因縁解除は、ものや形にこだわった現界的事象(墓、仏壇、儀式)でなされるのではありません。

 

それは、あくまでも高き神霊の働きでこそなされるものです。

 

 

 

俗っぽい話

 

>霊界というものを正しく把握していなければ、霊界入り後は、道に迷って泣き叫ぶ子供同然という事にもなってしまうのです。

 

これです。

 

人間界で言う理想的な生き方をして、何があっても清く正しくまっすぐに生きても、霊界を正しく把握していないと石田さんのおじいさまのようになるという事ですね。

 

先日知人2人と死後の世界があるかどうかと、話をしました。

 

知人の一人は「何もない、何もないと思いたい」と言いました。

 

もちろん私は、「ある」と答えました。

 

もう一人の知人は何も言いませんでしたが、以前に「あると思う、あると思いたい」と言っていました。

 

世間一般では、先の知人が言っていた「死後は何もない、何もないと思いたい」という人が残念ながら多い気がします。

 

2つほど、俗っぽい話を書きます。

 

一つ目は、まだ義母と同居していた頃、義父の法事をおこなう予定でいました。

 

その時期は丁度、お彼岸の頃でした。

 

お彼岸だと、お寺では檀家の人達が集まります。

 

そうすると住職など位の高い人たちが、そちらの方に行きます。

 

義母が言いました。

 

「うちの法事に位の低いお坊さんだと嫌だ」と。

 

もう一つの俗っぽい話です。夫と私が結婚をする前に、お互いの実家に行きました。

 

夫の実家(今の我が家)は、曹洞宗です。

 

私は、初めて曹洞宗の仏壇を見て、口には出しませんでしたが、心で思わず「しょぼ……」と思いました。

 

小さくてとても地味です。

 

私の実家は浄土真宗です。

 

浄土真宗は、とても派手で大きいのです。

 

夫は私と反対に、私の実家の仏壇を見て「派手で、でかい」と思ったようです。

 

同じ仏教でも宗派の違いで、真反対でした。

 

 

 

霊界に対する正しい認識が必要

前回の続きです。

 

霊界に対する正しい認識をもっていないと・・・

 

「ただいま、そなたの言葉を聞くところによると、そなたは生前仏門にあって、最高の修行を積んできたという、私からも、それは確かだと認めよう。

また、そなたは、生前において心の浄化にも懸命に努力をした後が見受けられる。

よって、私の力で、そなたを助けてしんぜよう。

しかし、そなたは生前、仏教という教えの世界の中のみ修業を積んできたのであって、真実の霊界を知ろうという努力を全くしていない。

すなわち、知恵の世界で生み出された行においてはその奥義を極めていようとも、霊界に対する正しい認識は何一つ持っていないという事だ。

そして、そなたは守護神の存在についても、知らずに過ごしてきておるのであろう。

よって、ただいま、そなたはこのような結果に陥ったのである。

だが、先ほども、このわたしが申したとおり、そなたは生前、心の浄化という事に大変努力をしてきておる。

よろしい、必ず、私がそなたを助けてしんぜよう。

今後、そなたは神の世界へ行き、毘沙門天大神と名乗り、神の世界でさらに向上をはかるようにいたせ」

 

隈本確先生は、招霊していた僧侶の霊に対して、胸中深く、そう命ずると、天界向けて朱印の九字を勢いよく七回切りました。

 

こうして、瞬時にして僧侶の霊は浄化され、きらめく高き霊界の住人となりました。

 

その仕事を終えて、隈本確先生がホッとした瞬間、目の前に座っていた石田さんが、不意に大きな声でいいました。

 

「あきました!あきました!パチッ、音がしたような感じでした。」

 

「あっ、あいた!あいた!本当にあいた!」

 

続いて、驚嘆の叫びをあげたのは、同席をしていた石田さんを連れてきた知人の女性です。

 

それから、隈本確先生は、石田さんに尋ねました。

 

「あなたの御親戚で、お坊さんはいらっしゃいましたか」

 

「はい、私の実家はお寺ですが

 

石田さんは、ぱっちりとあいた瞳をびっくりしたようになお大きく見開いてそう答えると、さらに言葉を続けました。

 

「……わたくしの実家はN教のお寺で、現在は、わたくしの伯父が後を継いであります。

伯父も本山から高いくらいをいただいておりますが、亡くなった祖父は、僧侶として本当に偉い人だったと思っております。

もちろん、本山からは最高に属するほどの位をいただいておりました。

そして、祖父は生前、自分の因縁は自分一代で完全に切ってしまって、絶対に子孫に残さないと言っておりました。

そのため、何年も山にこもり、断食をしたり、滝に打たれたり、それはそれは大変な修行を積んでいた、と聞いております。

亡くなる少し前には、わたくしたち子孫に対しては、毛筋ほども悪い因縁を残していないと断言していたのですが……」

 

そこで、隈本確先生は、すぐ側にある机に両肘をついて手で頭を抱え込むしぐさをして、ジーッと下を向きました。

 

次回に続きます。

 

 

  

 

 

人の世界と霊界は違う

 

>すなわち、知恵の世界で生み出された行においてはその奥義を極めていようとも、霊界に対する正しい認識は何一つ持っていないという事だ。

そして、そなたは守護神の存在についても、知らずに過ごしてきておるのであろう。

 

 

現界で大変な修行をしたとしても、霊界に対する正しい認識をもっていないと、そして守護神の存在をも知るという事でしょうか。

 

こういう話になると、何度も書きますが、2020年に亡くなった三浦春馬さんを想います。

 

というのは、三浦春馬さんの生前の生きざまを見ると、人としてこれほど正しく生きた人って、そうはいないのではないかと思います。

 

とにかく知れば知るほど、驚きの連続です。

 

亡くなったのが30歳と3カ月です。

 

23歳の頃から事務所からの冷遇が始まり、亡くなる2年ほど前から壮絶ないじめにあっています。

 

連続ドラマの最中に亡くなったのですが、そのドラマの中でもガスライディングと言われるいじめ嫌がらせが、激しかったのです。

 

ガスライディングとは、心理的虐待の一種で、被害者に些細な嫌がらせを行ったり、わざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法です。

 

ほとんど休みなしで、三浦春馬さんの部屋には監視カメラが付けられていました。

 

監視カメラは、知人とのインスタライブで春馬さんが、意図的に映したと思われる場面があります。

 

いじめが始まって亡くなるまでの7年間、命も狙われていたと思われます。

 

そんな中でも、20代の若さで懸命に生きています。

 

彼は、いつも笑顔で口から出る言葉はいつも前向きでした。

 

あれほどの容姿で天狗にもならず、俳優業も歌もダンスも全て本業の人達のトップクラスの人達と同じくらい、その上、誰よりも努力をしていた、そして、誰にも分け隔てなく裏表もなく人に優しい、亡くなって2年半が過ぎましたが、悪い話は一つもない、それより一般の人から、こんなに親切にしてもらったとかいう話は未だに出てきている人です。

 

所属務所を退所して、世界へ旅立ちたいと願い、その願いも目前にしての突然のことでした。

 

亡くなった年の年末には、日英合同のミュージカルの主演も決まっていました。

 

そんな三浦春馬さんが亡くなった後の様子を見ると、そんなに高くなかったのです。

 

そりゃ、行動ではなく想いの世界だと言われますが、彼は心も美しかったので、きっと高い所に行っていると思っていました。

 

でも、現実は低いところではないけれど、私が思っていたほど高くはなかったので、あらためて隈本確先生の言っている心の浄化だけではないということは本当なんだと思いました。