聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

大往生を遂げた僧侶が暗く深い穴の底に・・・

マブタガあかない女性がやって来た

 

現在の宗教家や加持祈祷師が行っている人間界発想による一般的祭りごとでは、本当の意味での先祖の供養・救済という事はできません。

 

長時間にわたる読経、祝詞、供物の数々、立派な祭壇……、これらの目に見えり世界のものは、全て実在する神霊世界とは全く無縁の存在なのです。

 

常識的に考えると、僧侶と言えば先祖供養の専門家です。

 

しかし、現実には、その供養の専門家たる僧侶が、霊界の真実の姿を知らなかったばかりに、死後の世界で大変苦しんでいる、という事がありえるのです。

 

これからお話する実例が、それです。

 

ある日のことです。

 

知人の紹介で35、6歳になる石田春美さんという女性が、長崎道場にやってきました。

 

聞けば、石田さんは一年半ほど前から、どうしたわけかマブタがあかなくなり、パッと瞬間的に開いても、又すぐに下がってしまうという奇病に悩まされているというのです。

 

もちろん、何カ所も病院をめぐり、針灸などもしてみましたが、いっこうに良くならず、どのお医者様にも原因不明と言われ、すっかり絶望的になっていたのだそうです。

 

なるほど、治療所に入って来た時から、ずっと下を向きっぱなしだったわけです。

 

どこも悪いところはないのにマブタだけがあかないという不思議な状態なので、隈本確先生は、ジーッと石田さんを霊視してみました。

 

すると、何百メートルあるかもわからないような、暗い深い水なし井戸の底に、ひっそりと頭を抱え込んでうずくまっている僧侶の姿が霊視に映ってきました。

 

—―ははあ、石田さんのマブタがあかなくなっているのは、この坊さんが原因しているな、ととっさにそう思った隈本確先生は、胸中深く、その僧侶に向って問いかけました。

 

「そなたは、なぜに、そのような暗く深い穴の底にうずくまっておるのか」

 

と、いきなり、隈本確先生の胸中につくられた霊界に、けたたましいばかりの想いの言葉がはね返るように、ひびいてきました。

 

「見えない、見えない、見えない、何も見えない!真っ暗だ、真っ暗だ、うーっ!何も見えない、ここはどこだーっ!」

 

隈本確先生は、さらに問いかけました。

 

「そなたはここはどこだと問うが、今現在、そなたは坊さんの姿をしておる。

そなたは、生前坊さんであったか」

 

この隈本確先生の問いに、意外にも、物静かで素直な言葉が返ってきました。

 

「おおせのとおり、わたくしは生前、仏門に仕える僧侶の身でございました。

そして、仏道の修行においては最高の奥義をつかみ得たという自信をもって、いわゆる大往生を遂げました。

ところが、死後の世界に来てみると、全く当てが違っているのでした。

自分が生前修業したところの仏道の世界と霊界では、もう、全く、全然違うではありませんか。

で、霊界に来てみたところが、何にも見えない――。

真っ暗闇で、動くこともできない。

自分はいったい、この先何百年、何千年、このような状態で過ごすさなければならないのだろうか――と、思うと、そら恐ろしくなって、ひたすら誰か助けてくれる人はいないかと、その言葉ばかりを考え続けておりました。

あなた様がどなたであるか存じませんが、しかし、貴方様には、このわたくしの存在がわかられるのでしょうか。

どうか、わたくしをお助け願えませんでしょうか」

 

この僧侶の霊の静かな言葉に、隈本確先生の心は少なからず動かされました。

 

次回に続きます。

 

 

  

 

 

意外な展開

 

意外な展開になってきました。

 

>自分が生前修業したところの仏道の世界と霊界では、もう、全く、全然違うではありませんか。

で、霊界に来てみたところが、何にも見えない――。

真っ暗闇で、動くこともできない。

 

仏道の世界と霊界では、全く違うんですね。

 

今のお坊さんは、一般人と何ら変わりない邪心をもった人が沢山います。

 

中には一般人より、俗っぽい人もいます。

 

でも、このお坊さんさすがに、仏道の修行においては最高の奥義をつかみ得たという方だけあって、隈本確先生の質問への答え方が、とても物静かで素直な方でした。

 

そんな方でも、こういう世界に入ってしまうというのは、どういう事なんでしょうか。

 

この辺が未だによくわかりません。

 

霊界と人間界の違いと言われても、ではどういう事を気を付けて生きていけばいいのか、これから先に答えがあるのでしょうか。

先祖供養は無限に続く迷路の旅

先祖霊さかのぼれば無限の数

 

実は隈本確先生は、先祖供養が大嫌いなのです。

 

一般的先祖供養には、嫌悪感すら抱いているのです

 

それは、隈本確先生の小さい頃からの出来事からきています。

 

小さい頃、隈本確先生のお父さんはとても信心深い方だったのです。

 

小さい頃には、イヤイヤお寺参りに連れていかれました。

 

月に一回、僧侶を招いての先祖供養、そして、隈本確先生の家では、しょっちゅう親せきや知人が集まって法事を営んだり、色々な祭りごとに明け暮れていました。

 

隈本確先生は、その度に一時間も二時間もの間ジーッと正座をして、意味も解らないお経を延々と聞いていなければならないことがとても苦痛でした。

 

それにもまして嫌だったのが、僧侶たちのもったいぶったような、偉ぶったような態度でした。

 

こうなると、物々しい大仰な僧衣までが不快なタネになってしまいました。

 

先祖供養をするのに、いったいなぜあんな芝居がかったギンギラした衣装を身につけいる必要があるのでしょうか。

 

こういうことが重なって、隈本確先生は、法事、その他の宗教的儀式に出席させられる度に、子供心にも、なんでこのようにバカげたことが日常茶飯のようにして行われるのかと、いまいましくさえ思っていました。

 

だいたい、先祖供養の道とは、それをたどれば、無限に続く迷路の旅です。

 

仮に直接血のつながりのある先祖だけを考えても、20代さかのぼりのある先祖だけを考えても、20代さかのぼればざっと20万人、30代さかのぼれば億という数になってしまいます。

 

まさに無限に広がり、霊の因縁の世界になります。

 

ここで、ちょっと考えていただきたいのですが、わたしたちは、果たして自分の何代前の先祖までを知っているのでしょうか。

 

父方、母方共に、祖父母をよく知っているという人がいれば、おそらく、その人は直接の先祖について、よく知っている部類に入るでしょう。

 

隈本確先生は、父方も母方共に祖母しか顔も名前も知りません。

 

要するに、私達の無数にいる先祖のうち、ほとんど全てに近いくらいの人達が、私達の日常生活の中に溶け込んでいない、という事です。

 

しかも、考えてみれば、太古から徳川時代にいたるまで、私達の先祖たちは、同じ民族同士でありながら、殺戮の歴史を繰り返してきました。

 

という事は、今の宗教的考え方で言うならば、私達の無数にいる先祖の中には、当然、地獄に落ちて苦しんでいる霊もたくさんいるはずなのです。

 

したがって、先祖供養の道を進むという事になれば、これらの膨大な数にのぼる地獄に落ちた先祖霊といちいち対面し、処置をしていかなければならないことになってしまいます。

 

もし、ここに「先祖の因縁」という言葉を出すならば、我々人類のうち、ただの一人だって、先祖の因縁から逃れることはできないはずです。

 

隈本確先生は、依頼人の方々が先祖供養について質問してくるたびに、次のように答えるようにしていました。

 

「あなたは本当に、あなたに関係する先祖さんの全てを供養しようと思うならば、あなたが百回生まれ変わっても、それは不可能です」

 

 

  

 

 

お坊さんの僧衣

 

>それにもまして嫌だったのが、僧侶たちのもったいぶったような、偉ぶったような態度でした。

>こうなると、物々しい大仰な僧衣までが不快なタネになってしまいました。

 

私の実家は、隈本確先生のおうちほど法事や祭りごとをするという事はありませんでしたから、法事等には私は抵抗感はありませんでした。

 

それより、お坊さんの僧衣に疑問を感じていました。

 

宗派にもよるのかもしれませんが。

 

私の実家は、浄土真宗でした。

 

母の通夜葬式の時は、葬儀場で行ったのですが、僧衣がとても派手なのです。

 

金ピカなのです。

 

私達一般人は喪服と言えば黒なのに、お坊さんの僧衣は金ピカなうえに、赤い色も入っています。

 

思わず「なかなか派手だなぁ・・・」と口には出しませんでしたが、思っていました。

 

そう思っていた時に、隣で姉が「スリッパがピンクだよ」と私の耳元でささやいていました。

 

思わず、私の目はお坊さんの足元に言ってしまいました。

 

宗派によるのか、個人の好みなのかわかりませんが……

 

>30代さかのぼれば億という数になってしまいます。

 

考えたことはありませんでしたが、確かにそういうことになりますね……

 

すごい数です……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先祖供養という言葉は耳障りの良い言葉

先祖供養という言葉

 

宗教関係者、行者、祈祷師というと、口を開けばふたこと目には、先祖供養、先祖供養と連呼する人が多すぎます。

 

おそらく、これまで数カ所の宗教団体を巡って来たという人であれば、先祖供養についてさんざん聞かされて、もう、耳にタコができてしまっているのではないでしょうか。

 

現に、隈本確先生のところへ寄せられる膨大な手紙の中には、先祖供養についての質問、問い合わせが大変多いのです。

 

たとえば、ある祈祷師に先祖供養の重要さをこんこんと聞かされて、供養料という事で要求されるままに多額の金銭を払い続け、とうとう家屋敷まで手放さなければならなくなってしまった、などという切羽詰まったものまでありました。

 

では、実際のところ、供養、先祖供養とは何なのでしょう。

 

供養という言葉そのものの意味と言えば、「死んだ人の霊にものを供えて、冥福を祈ること」という事になります。

 

言われてみれば、先祖供養という言葉、確かに耳障りが良く、美しく、人々の心を引き付ける言葉に違いありません。

 

先祖供養をして、ご先祖様が霊界で救われれば、子孫である自分たちにもご加護があり、いかにも、病苦やその他の不幸から解放されそうな気がしてきます。

 

どうやら、一般の人たちにとって、先祖供養という言葉は、一種の催眠的作用を持つもののようです。

 

 

 

 

 

私の父と母

 

>供養、先祖供養とは何なのでしょう。

 

日本人ならほとんどの人は、「先祖供養」という言葉は小さい頃から耳慣れた言葉でしょう。

 

先祖供養というと、私は法事という言葉に繫がります。

 

数年前に父と母の法事があり、久しぶりに姉夫婦と実家に行きました。

 

実家につくと、玄関に入ってすぐの6畳の部屋では、父と母が並んで笑顔で迎えてくれました。

 

父が亡くなった頃は、弟の息子二人は小学生でした。

 

父は脳梗塞で倒れてから意識が戻らないまま一年余り入院をして、息を引き取りました。

 

父が入院していた頃に、甥二人が父に「おじいちゃん早く良くなってね」という手紙を書いてくれたました。

 

その手紙を父が亡くなった時に、父と一緒に入れました。

 

父はその孫の手紙を手にもっていました。

 

今でも父にとっては宝物なのでしょう。

 

父の葬式の時の話を思い出しました。

 

その頃の母は、もうだいぶ認知症が進んでいました。

 

言った後から、忘れていきました。

 

認知症の母でも、父の葬式の時には大勢の人が来てくれましたので、何かあると気が付いたようです。

 

私達姉妹に「今日は何かあるのかと」と聞きました。

 

それに対して「あなたの旦那さんのお葬式だよ」というと、「ふうん」と言っていましたが、ものの2~3分するとまた同じように「今日は何かあるのか?と聞きます。

 

聞ける間は、ズーッと繰り返し聞いていました。

 

ふうんと答えたものの、おそらくあなたの旦那さんの意味もわかっていなかったのではないか、と思います。

 

今ならもっと早いうちから、母に他者治療をしてあげられたのに、と残念です。

 

私が習い事をしている先生が、内緒で遠隔治療を毎日少しづつ行っていますが、ずいぶん良くなっています。

 

 

 

 

転生思想

転生思想の功罪

 

転生思想は、もともと古代インドの思想でしたが、初期の仏教では、善業によって善の世界に、悪行によって悪の世界に生まれ変わると説いています。

 

この転生思想によれば、人間はその行いによって畜生に生まれ変わったり、逆に、現世の畜生が来世には人間となって生まれ変わって来ることもあると言います。

 

……だから、私達は行いを正しくしなければいけませんよ、などとこじつけてみれば、これは、いかにも教育的な物語の世界そのものです。

 

にもかかわらず、現在、わが国でも転生という事を信じている宗教関係者や神霊能力者、行者、加持祈祷師が大勢いることにびっくりしてしまいます。

 

隈本確先生は、この転生思想というものについて、人間界のモラルを保たれるために考えだされた方便の教えであると解釈しています。

 

それを大の大人が真に受けて、現世での過ごし方次第ではキツネやタヌキ、ヘビ、ネコなどに生まれ変わるなどと言っているのだから、いったい、世の中どうなっているのでしょうか。

 

ある種の不安と恐ろしささえ感じてしまいます。

 

それでも、キツネやタヌキに生まれ変わるなど言うのはまだ愛嬌がありますが、人間が魚やクモ、ハエ、カに生まれ変わるなどというのはまだそんなことをまじめに説いている宗教関係者、神霊研究家は、一度、精神科へでも行って、とくと頭を冷やしたほうが良いでしょう。

 

一般の人たちにとっては、精神世界のことがら全体が全く常識外のことなのですから、その正解の判断がつかなくても、ある程度はしかたがないとは思います。

 

しかし、それにしても、人間が小さな昆虫のたぐいに生まれ変わるなど、ちょっと考えられないことではないでしょうか。

 

隈本確先生の場合は、神霊能力があるがゆえに、神霊世界の常識、非常識についても、はっきりとわかるのです。

 

教えの世界の宗教者や神霊研究家「非神霊能力者」が、あたかも神霊世界の熟知者であるかのような言動をすることは、大いに慎まなければならないことです。

 

 

  

 

 

前世思想は当たり前になっている

 

>キツネやタヌキに生まれ変わるなど言うのはまだ愛嬌がありますが、人間が魚やクモ、ハエ、カに生まれ変わるなどというのはまだそんなことをまじめに説いている宗教関係者、神霊研究家は、一度、精神科へでも行って、とくと頭を冷やしたほうが良いでしょう。

 

実は私の子供の頃、大人から言われていたのはこの説でした。

子供だった私は、本気で信じていました。

 

悪いことをしたり、ウソをつくと次に生まれ変わるときは何に生まれ変わるかわからないよ、と言われていました。

 

だから、一所懸命いい子でいようと思っていても、子供ですから夢中になると、そんな事はすっかり忘れて、大人からいけないと言われていたことをしたりしていました。

 

自分の子供の頃のことを思い出すと、思わずニヤリとします。

 

成長して大きくなると、小さい頃のことはすっかり忘れていました。

 

でも、大人になって世間の人達を見ると、前世は当たり前で、次に生まれ変わったら幸せな人生を……という会話が普通に聞きます。

 

中には、今私がうまくいかないのは、前世に悪いことをしたからだわ、とそう思う事で納得している人もけっこういたりします。

 

これはこれで、本人が納得できるもとになるのならいいのかな……と、何となく引っかかるものがありますが……

 

私は、隈本確先生の前世はない、という話を読んでホッとしました。

 

というのは、本当かどうかわからないし、本人も全く記憶がない犯罪を仕立て上げているわけですから、えん罪だと思っています。

 

>教えの世界の宗教者や神霊研究家「非神霊能力者」が、あたかも神霊世界の熟知者であるかのような言動をすることは、大いに慎まなければならないことです。

 

残念ですが、現実の世界ではまかり通っています。

 

そして、自信たっぷりにウソの言動を、信じる人たちが一定数います。

 

 

 

 

「転生」の真実

「転生」は憑依現象

 

霊言の話に戻ります。

 

前回の記事の依頼人のお嬢さんの霊言をした吉沢女史の場合、隈本確先生が「もうよろしい、霊言をそれでやめなさい」というと、即座に「はい」と言って、本来の吉沢女史に戻ることができます。

 

しかし、神霊能力者でもない、単なる霊媒体質の少年少女、あるいは幼児(青年期以降には、ほとんど見当たらない)となると、しばしば、数時間、数日間にわたって神がかり状態(入神状態)となり、自然的招霊現象を起こし、全く別人格になってしまうことがあります。

 

長年、神霊の仕事をしていると、このような現象には少なからず遭遇するものです。

 

それらの現象を、神霊能力者ではない一般の神霊研究家や宗教家は「転生」、すなわち「生まれかわり」であると錯覚してしまうのです。

 

転生とは、死者の霊魂が生者の体中に入り込み(憑依現象)、死者の生前の記憶が、生者によって再現される現象を言います。

 

したがって、時間の経過により、生者側の魂が力を増し、復原されてしまえば、「転生現象」は消滅してしまいます。

 

転生と言われる現象が、魂の力がまだ未熟で精神的にも不安定な未成年者に発現し、二十歳を過ぎた成人にはほとんど起こらない現象であることからも、それが単なる例の憑依であることがわかります。

 

例えば、世界中にかなりの数の報告がある、前世を記憶していると言われる子どもたちにしても、成長するにしたがって、大方は普通に人間になっていくものです。

 

こうした現象について、多くの神霊研究家たちは「成長するにしたがって、前世の記憶を忘れていく」などと説明しているようですが、そうではありません。

 

実際のところは、子供が成長するにしたがって、自己の生霊(魂)の力が増大し、他からの憑依現象が説かれていった結果の現象なのです。

 

全くの素人はもとより、一般宗教家や単なる神霊研究家たちは、目の前にいる子供たちが別人格をあらわしたり、当人の知るはずもない先祖のことなどをペラペラとしゃべり始めると、途端に生まれ変わりではないかと錯覚するのですが、熟練した心理絵能力者には、それが憑依現象であることが一目でわかるのです。

 

ここで一つ言えることは、意志や精神力が強く、顕在意識のしっかりとしている人には、決して自然的に「転生現象」は起こらないという事です。

 

加えて言えば、自らの意志で容易にトランス状態(入神状態)になりえる神霊能力者や霊媒能力者においては、自己の意志で人為的に行い得る現象でもあります。

 

 

 

 

 

目からウロコでスッキリ

 

>転生とは、死者の霊魂が生者の体中に入り込み(憑依現象)、死者の生前の記憶が、生者によって再現される現象を言います。

 

私は最初、この隈本確先生の話を読んだとき、目からウロコが落ちた気がしました。

 

私は、すんなり受け入れることができました。

 

転生とは、隈本確先生の書かれている通りだろうと思いました。

 

というのは、以前も書いたことがありますが、母が不幸な目にあっている人を見て、あの人は前世に悪いことをしたからだ、という事を言っているのを聞いていて、子供心に何となくですが、イヤな気持になっていました。

 

母は意地の悪い人ではなく、むしろお人好しなくらい人の良い人でしたが、その母が何の疑いもなく前世の罪を言っているのを聞いていると、素直な母は信仰心の熱い人でしたから、教えられた通りのことを言っていたのでしょう。

 

もちろん、不幸な目にあっている本人に対して言っているわけではありません。

 

私は、隈本確先生の話を読んで、今まで引っかかっていたものがスーッと取れてスッキリした思いでした。

家族の想いを大切に

前回の続きです。

 

家族の為と思ってしたことが・・・

 

吉沢女史が霊言現象で言った依頼人の女性の娘さんの言葉に、依頼人の女性はすっかり余裕のない表情になってきました。

 

目は引きつり、硬直した唇は今にも震えだしそうでした。

 

「先生、どうしましょう。

娘だけならともかく、主人までもがそんなことを……。

先生、どうしましょう、どうしましょう」

 

その女性は、吉沢女史の顔と隈本確先生の顔とを交互に見比べると、いかにも切羽詰まった哀願の調子で震えかかっている唇で、やっとそれだけのことを言いました。

 

「ちょっと待ってください。

お母さん、落ち着いてください。

私からおたずねしますが、あなたのお嬢さんはシュークリームが食べたいとか、ケーキを買ってもらえないとか、つまり甘いお菓子類が食べたいのですね。

それから、黒いかたいご飯、これは何の意味ですか」

 

「はい、それは玄米のことです」

 

「ほう、するとお宅では、家族の方に甘い菓子類は一切食べさせない、ご飯と言えば必ず玄米、そのうえ、肉も魚類もあまり食卓には出さないわけですね。

それでお嬢さんは、お母さんが大嫌いだとか、家を出ていくとか、ご主人まで別れたいとか――、しかし、いったいどうして、そんな変則的な食生活を強要するのですか。

もし、私がそのよううなことをされたら、やっぱり、私もそんな奥さんが嫌になってしまうでしょうね。

お嬢さんやご主人のいう事がもっともですよ」

 

隈本確先生がそう言うと、この母さんはすっかり肩を落として、小さくなってしまいました。

 

そして、か細い声で言いました。

 

「はあ……、実は先生、それは、わたくしが現在ある宗教に入っている関係上、そのようにしなければならなかったのです。

娘は風邪をひきやすいし、主人はいつも腰が痛いと言っておりました。

それである宗教に入って、色々な修法をしてもらっていたのですが、その宗教では体の健康は自分自身でつくりだすといっているのです。

で、食事はからなず玄米で、甘いものは体を悪くする元だから一切ダメ、肉類や魚類には霊が宿っているから口にしないほうが良いと……」

 

そこまで聞いていた隈本確先生は、このお母さんにはお気の毒ながら、思わずこみ上げてきそうになる笑いをかみ殺しながら言いました。

 

「私が神霊能力者でなくても、大好きな肉や魚が食べられない、また、子供にまで甘いものを禁止するような宗教なら、お断りですね。

たとえ、逆にどんな大金をつぎ込んで入信してくれと言ってきても、絶対に嫌ですね」

 

それから、隈本確先生は自分の三人の子供たちには肉でも魚でもお菓子でも、食べたいだけ食べさせてやり、文字通り医者知らずの健康体に育ったこと、さらに、変則的な食餌療法が家族に役に立っていないどころか、逆に心の病気を作り出し、家庭の和を壊す働きしかしないという事を、こんこんと語って聞かせたのでした。

 

これら、隈本確先生の言葉に深くうなずいたこの女性は、家族一人ひとりの心、想いの世界というものがいかに大切なものであるかを悟って、さわやかな笑顔を残して帰っていきました。

 

そして、後日、その女性から感謝のお便りが届きました。

そのお便りによると、あの日以来、すっかり玄米食はやめ、肉も魚も日々の食卓に出すようにしていると言います。

 

その結果、ご主人やお嬢さんが明るく、朗らかな様子に、心の底から神に感謝する日々が続いているとのことでした。

 

 

 

 

 

家族の為が押し付けになっていたと座敷童

 

良かったですね。

 

家族を思うあまりに自分の考えを押し付ける形になっていたのですね。

 

こういう事ってわりとあります。

 

自分では押し付けているつもりはなく、家族のためにはこれしかない、と思い込んで行っていることが、逆に家族には不快な思いをさせているという事、本人が一番気がついていないのです。

 

子育てでもありがちです。

 

気を付けたいものです。

 

隈本確先生の言葉に深くうなずいたこの女性は、家族一人ひとりの心、想いの世界というものがいかに大切なものであるかを悟って、さわやかな笑顔を残して帰っていきました。

 

この想いは、家族だけでなく人間関係全てに言えることだと思います。

 

今回の記事とは関係がないのですが、毎日見ているmutaさんという方のブログの中にあったyoutubeです。

 

ブログのタイトルは「mutaの2023行政書士試験合格するぞと時々スピリチュアル」です。

 

mutaさんが、緑風荘という座敷童が出ることで有名な旅館で体験されたことをyoutubeに出されていましたので、mutaさんの了解を得て載せました。

 

私は、これを見てとても温かい波動を感じて、幸せな気持ちになりました。

 

よかったら見てください。

 

 

www.youtube.com

 

突然の霊言現象

「シュークリームが食べたい」

 

「転生の謎」を解き明かすカギとなる憑依現象、および霊現象・霊言現象が実際にあります。

 

当時の隈本確先生の主催する東京支部の師範役である吉沢キヨ女史は、霊言の名手でした。

 

ある時、神霊治療も終わり、すっかり明るい表情で隈本確先生の前に座っている依頼人である女性に、隈本確先生が、後々の自己治療法やその他の注意事を説明していた時です。

 

治療所には同席していた吉沢女史が、突然入神状態に入り、霊言現象をあらわしだしたのです。

 

「シュークリームが食べたい、シュークリームが食べたい、甘いものが食べたーい……」

 

師範役の吉沢女史が、まるで童女のようなかわいらしい声で、いかにも切なげに言うのです。

 

隈本確先生と対座していた中年女性が、ギョッとした様子で吉沢女史の方を向きました。

 

「そ、それは、わたくしの娘の声です。

小学校五年の娘ですが、いつもあんなふうに言っているのですよ!」

 

その言葉にびっくりしたのか、ハッとしたように吉沢女史は入神状態から覚めました。

 

当時より神霊治療能力がずっと高くなった現在では、自然発生的な神がかり現象を絶対に示さなくなった吉沢女史ですが、数年前までは、来会した依頼人に感応して、しばしば自然入神状態に入っていきました。

 

そして、依頼人の憑依霊や、依頼人に関わる他人の念、家族の生霊の想いなどを、よく霊言していました。

 

この時も、丁度そんな状態だったのです。

 

そこで、隈本確先生が言いました。

 

「吉沢さん、この方のお嬢さんが普段から何を思っているか、もっと続けてごらんなさい」

 

と、吉沢女史は、一瞬ためらう表情になりました。

 

「よろしいのでしょうか、先生。

突然、このような霊言をいたしまして……」

 

「いいですよ、これも何か、このお母さんにアドバイスをするきっかけとなるかもしれませんからね。

どうぞ、続けてください」

 

それから、再び入神状態に入った吉沢女史、またもや、童女の様なかわいらしい声で、何とも切ない調子で言いました。

 

「お母さんは大嫌い、嫌い、嫌い、嫌い……。

いつも黒いかたいご飯しか食べさせてくれない、よそのお友達は誰だって真っ白いふかふかご飯か、綺麗なパンを食べているのに、大好きなお肉もお魚も、少ししか食べられない。

お菓子だって、ケーキだって、いつもダメ、ダメ、って言って買ってくれない。

もう、こんなお母さんは大嫌い、いや、いや、いや、あたしは家を出ていっちゃうから」

 

吉沢女史が霊言するさまを、唖然と見つめていたこの依頼人の女性、やっと我に返ったように口をはさんで

 

その通りです。

そのとおりです。

いつも子供が、そのように言っておりますよ」

 

かわいらしい童女の声の吉沢女史の霊言は、さらに続きました。

 

「お父さんも言っているわよ、こんな頑固な母さんは大嫌いだって。

ご飯のことから、何から何まで小うるさく文句ばかり言って、この母さんとはいつかきっと別れてやるって……、お父さんも、いつも言っているわよ」

 

次回に続きます。

 

 

  

 

 

「シュークリームが食べたい」

 

隈本確先生と対座している時に、いきなり「シュークリームが食べたい、シュークリームが食べたい、甘いものが食べたーい……」

 

などと言われたらギョッとするでしょうね。

 

しかも、自分の娘が普段言っていることを、全く知らない他人の口から聞かされたら驚きますよね。

 

口から出てしまった吉沢女史もまた驚くとともに、居心地の悪い思いですよね。

 

でも、隈本確先生はその依頼人の娘さんの言葉に、何かを感じたんですね。

 

だから、吉沢女史に霊言を続けるように言ったんですね。

 

この場合は、隈本確先生のいるところだったから良かったのですが、そうでなく全く誰も知らない人ばかりの場所で、いきなりこういう言葉が出てくると、居心地が悪いですよね。

 

人前に出ることが嫌になるでしょうね。

 

隈本確先生も吉沢女史と同じように、いきなりの霊言現象の経験があって苦い思いも沢山してきたからこそ、吉沢女史の辛さもよくわかるんですね。

 

数年後には、吉沢女史も霊言現象がなくなって良かったです。