聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

思いがけないに事に・・・

前回の続きです。

 

予想外の展開

 

隈本確先生の体に招霊した佐川君の生霊に対して、胸中深く問いかけました。

 

「佐川君、そなたは現在、川島君に対して何か思っていることがあるであろう。

私の体を使って、言葉に出して、思いのたけをしゃべってみよ」

 

と、突然、隈本確先生の口をついて、意外な言葉がほとばしり出ました。

 

「オイ、川島君、君はいつになったら金を返すんだ。

もうすごく返す、もうすぐ返すと、何度僕にウソをつくんだ。

僕は、君が、こんなだらしない人間だとは知らなかった。

見損なっていた。君から金を取り戻すまではいさかいをしたくないが、もし、金を取り返すことができたら、今後は一生君とは付き合わない、そう覚えておけ――」この霊ゴンをさえぎったのは、隈本確先生のすぐ側で聞いていたであろう川島君でした。

 

「おいおい、もういい、もういい!隈本君、もう止めてくれ!」

 

色を失って制止する川島君の慌てふためいた声に、招霊していた佐川君の生霊を突きの九字で本人に返し、我に返ったのでした。

 

間の前には、ぶぜんたる面持ちの川島君が、振り子のように首を左右に振りながら座っ

 

「あの佐川君の野郎、しつこい奴だなあ、この間あった時、必ず返すからもう少し待ってくれ、絶対間違いないと、あれほど念を押して言っておいたのに……。

こんなに根に持っているとは、あ人は案外、見かけによらんもんだなあ、……」

 

川島君は、自分が借金をしていることを棚に上げて、そんな独り言をブツブツ言っていたが、ひょっと隈本確先生の目を向けると言いました。「

 

隈本君よ、君は本当に最近佐川君にあっていいないのかァ?

このことを佐川君から聞いたんじゃないのかい?」

 

「いや本当に、もう二、三年ずっと会っていない。

僕は、彼がどこに住んでいるのかも知らないんだから」

 

じゃ、どうして、今の事を知っていたのか?」

 

「いや、知っていたんじゃない。

さっき言っただろう。

あれが、僕の神霊能力の中の霊媒能力というか、霊言能力なのさ」

 

「へーッ、霊言ねェ、霊言だか、霊媒だか、僕にはそんなひっちゃかむずかしいことはわからんが……、

しかし、まいったねェ」

 

とんだところで借金の一件を責められた川島君、首を振ったり、頭に手をやったり、大いに困惑していました。

 

このように、若い頃の、隈本確先生は霊媒体質でもあり、生霊であろうと死者の霊であろうと、とにかく、心身にビンビンと霊的感応があったものです。

 

しかも、この佐川君の霊言の場合は、隈本確先生自身が自己の意志の力で行った事だったからよかったのですが、かつての隈本確先生はと言えば、自己の意思が働かない時にでも、自然に霊の姿が見えたり声が聴こえたりして、全くイヤな思いをしたものです。

 

 

 

 

 

ノストラダムスの大予言

 

>佐川君の霊言場合は、隈本確先生自身が自己の意志の力で行った事だったからよかったのですが、かつての隈本確先生はと言えば、自己の意思が働かない時にでも、自然に霊の姿が見えたり声が聴こえたりして、全くイヤな思いをしたものです。

 

こんなことが自分の意思とは関係なく口から出たのではたまったもんじゃありませんね。

 

誰だって、人に言えないことや人に言いたくないことがいくつかあるはずですら、そんなことを勝手に他人に指摘されると警戒しますよ。

 

隈本確先生大変でしたね。

 

今回の記事とはちょっと違いますが、昔、私がまだ若かった頃、「ノストラダムスの大予言」というのがありました。

 

まだ子供が小さかった頃でしたが、私はその予言を本気で信じていました。

 

夜も眠れないくらいに。

 

子供たちがちゃんと生きていけるのか、生きていけるようにするにはどうしたらいいのか、とか真剣に考えていました。

 

そんなことを考えながら、考えている隅に小さい疑問がありました。

 

普通に考えて、人は何百年も先の世界なんぞ考えるのかな?と。

 

まあ、でもこの人は自分で浮かんだ予言はコントロールできないのかな……などと考えながら心配をしておりました。

 

ノストラダムスの大予言」関連の本を読んでいるうちに、あれ?この予言て、過去に起きたことをこれはもしかしたら、ノストラダムスの書いていたことはこのことではないか、と後になって彼の書いた予言に当てはめているのではないか、と思うようになったら予言と言えば予言だけれど、後になって結び付けたら予言になっていないのではないか、と考えるようになりました。

 

長ったらしい表現になってしまいました。

 

私の読んだ本に書いてあったのは、ノストラダムスの予言があまりに当たるので、当時の王様がノストラダムスを重宝していましたが、そのうち気持ち悪くなりノストラダムスは命を狙われるようになったので、わかりにくい表現であらわすようになったと書いてありました。

 

要するに、そうなるとわかりにくいから、どうでも解釈ができるという事になります。

 

ネットで今でも調べると、ウクライナのロシアの侵略も予言されていたのではないか?と、書いてある記事もありました。

 

『「闇の3日間」が訪れ人類の3分の2が滅亡するだろう』とい書かれているものです。

 

う~ん、これでロシアのウクライナ侵攻に結びつけるのは無理がある気がしますが……

 

人それぞれ解釈に違いがあるので、完全に否定はできませんが……

 

生霊の招霊で霊言

若い頃の隈本確先生は生霊の招霊が得意

 

若い頃の隈本確先生は、他人の生霊の招霊が得意でした。

 

親戚、知人、友人などが集まると、よくいたずら半分に生者の生霊を呼び込んで、その場で霊言をし、周囲の人達を驚かせていました。

 

この時も、そうでした。

 

たまたま友人の川島君が隈本確先生の家に遊びに来た時のことでした。

 

あれこれ話している時、もののはずみのようにして霊言をすることになりました。

 

「川島君、友達の佐川君が、今、君のことをなんて思っているか教えてあげようか」

 

「隈本君、いつ会ったんだ?佐川君に」

 

「いや、もうずっと会ってないよ。

もう二年か三年になるかな」

 

「じゃあ、どうして、佐川君が今思っていることなんて、わかるんだ?しかも、ぼくのことについてなんて……」

 

「霊言してみりゃ、すぐわかるのさ、佐川君の言葉が、僕の口をついてペラペラ出てくるよ」

 

「レイゴン?レイゴンてそれなんだ?」

 

「幽霊の“霊”に、言葉の“言”と書いて、霊言さ。

つまり、ぼくが神がかり状態になって、佐川君の生霊を僕の体中に入れると、彼の生霊の力で、僕の口が自然に彼の言葉をしゃべり始めるんだよ」

 

「へーッ、霊言なんて、そんなことあるのか?

でもなあ、隈本君、まさかなあ、そんなマジシャンみたいなこと、やっぱり信じられないなぁ」

 

「本当にできるの?」

 

「へーッ、そうかな。

でも、ほんとにできるていうんなら、目の前でやって見せてくれよ」

 

「うん、それでは、佐川君が今、君について何を思っているか、やってみよう。

佐川君の生霊を僕の体にかからせて、僕の口からペラペラしゃべらせるからな。

でも、佐川君の生霊が何を言い出すかは僕にもわからないからな、もし、変なことを言ってもハラをたてないでくれよ」

 

「ああ、いい。わかった。

何を言ってもハラをたてないから、早くその霊言とやらをやってくれ」

 

川島君の承諾を得た隈本確先生は、即座に朱印を組んで、隈本確先生自身の顕在意識、さらに潜在意識の抹消にかかりました。

 

隈本確先生は、隈本確先生自身の意志の力で、日常的な感覚の全てを消し去って、深いトランス状態(入神状態)に入っていったのです。

 

こうして、わずか二秒か三秒の間に顕在意識と潜在意識とを抹消し去った隈本確先生は、自己の感覚で感じるか感じないかのごくわずかな意識を残して、完全に超意識帯、すなわち霊魂交流帯に入っていきました。

 

そして、胸中に描かれた佐川君の映像めがけてパーッと朱印の九字を突き出しました。

 

突き出したその瞬間、即座に両手を引き戻し、隈本確先生は朱印を組んだまま、相手生霊の招霊を行いました。

 

次回に続きます。

 

 

  

 

 

気になること

 

今回の記事で気になることがあります。

 

というのは、隈本確先生は生霊の招霊が得意だったと書かれています。

 

隈本確先生に大変失礼なのですが、自分一人で勝手に行う分には良いのですが、人前でその場にいない人の了解も得ず、人の心の中のことを言うというのは、周囲の人が警戒をして離れていかないかという事です。

 

わたしなんぞが、おこがましいかもしれませんが、ちょっと気になりました。

 

>わずか二秒か三秒の間に顕在意識と潜在意識とを抹消し去った隈本確先生は、自己の感覚で感じるか感じないかのごくわずかな意識を残して、完全に超意識帯、すなわち霊魂交流帯に入っていきました。

 

私はこの記事にある顕在意識と潜在意識を抹消するという行為が、とても難しいです。

 

この顕在意識と潜在意識を消し去るという事は、思い込みや願望を消し去るという事ですよね。

 

ほんの少しでも残っていると、別の結果が出てきますから。

 

いつかこれができるようになると、真実が見えてくるのではないかと思っています。

 

 

 

 

 

 

「転生」とは

「転生」に見えるけれど・・・

 

「転生」とは、仏教用語では「輪廻」といい、生命あるものは、いったん死んでも、それで終わりではなく、又生まれ変わって生を繰り返すという思想をあらわす言葉です。

 

簡単に言ってしまえば、生まれ変わりのことです。

 

すべての生あるものは、生き変り、死に変わり、霊魂が転々としながら、他の生を受けて迷いの世界をめぐり続けるというのです。

 

この転生という事については、それが真実であることを裏付けるべく報告が世界各国で多数なされていますし、文献も豊富にあります。

 

例えば、有名なところでは、前世を記憶していると言われる子供たちの霊などがそれです。

 

ですが、神霊能力者としての隈本確先生は、いまだに転生の事実を肯定できないでいます。

 

長い間神霊活動を続けている隈本確先生は、一見、あたかも転生の事実を証明しているかのような状況に出くわしたことは無数あります。

 

たとえば、治療依頼人である子どもが、当人は全く知るはずもない他界している親戚、(その子どもの出生以前に他界している)の人がかつて秘密にしていたようなことを急にしゃべりだしたり、亡くなっているその親戚の人そっくりの声色で霊言(入神状態に入った人間の体を借りて、憑依霊がその想いのたけを語ること)を始めたりするわけです。

 

おそらく、神霊能力をもたない一般の方たちがその場に立ちあっていたら、さっそくそれを「転生」と受け取ってしまうでしょう。

 

しかし、隈本確先生の目から見れば、それは転生ではありません。

 

たんに、依頼人の子供に、亡くなった親戚の霊が憑依しているという事なのです。

 

この場合は、憑依現象が自然発生的に生じているわけですが、神霊能力者や霊媒能力者となると、自ら人為的にトランス状態(入神状態)に入り、すでにこの書に存在しない死者の霊魂を奨励し、生前そっくりの声音でしゃべる(すなわち、霊言)ことができるのです。

 

また、神霊能力者、霊媒能力者によっては、その死者を招霊しての霊言中、死者の生前置かれていた環境の状態すら、映画のフィルムさながらに心の世界に再現してくるものです。

 

その他、神霊能力者次第では、死者ではなく、現在生存中の一面識もない他人の生霊の招霊、および霊言も行うことができるのです。

 

 

  

 

 

 

「輪廻転生」は当たり前になっている

 

色んな記事を読んだりいろんな人の話を聞いていると、沢山の人が今度生まれ変わったらという事を当たり前のように目にしたり聞いたりします。

 

大勢の人が、何の疑いもなく当然のように言います。

 

わたしとしては、隈本確先生がはっきりと否定しているので、そういう事を目にしたり聞いたりすると何となく違和感がありました。

 

私自身も以前にもブログに書いたことがりますが、「転生」がないと知った時はほっとしたのです。

 

子供の頃、母が「転生」を信じていましたので、人が不幸な目にあっていると前世で悪いことをしたからだ、と言っていたのを時々耳にしていたからです。

 

母は、悪気もなく前世で悪いことをしたから、人間に生まれ変わっていいことをすれば、極楽に行けるという意味で言っていたのでしょう。

 

でも、母自身の人生は苦労の連続で、子供の私から見ても何ために生まれてきたのか、と思うような大変な人生でした。

 

父の両親である祖父と祖母、父が亡くなってやっと自由になれた頃は、認知症が進んでいました。

 

そんな母も、自分の苦労の連続の人生に対して、前世で悪いことをしたからの苦労の人生だとは言ったことはありませんでした。

赤ちゃんが霊的存在を内在する時期

胎児霊は見つからない

 

歴史始まって以来、これが生命の原理であるとと消えた人は、まだ誰一人いません。

 

隈本確先生も、生命の原理、真理というものはわからないと言います。

 

水子霊の存在についても、いろいろな説があります。

 

例えば、ある説によれば受胎後2カ月ほどの胎児にはすでに霊がが存在していると言います。

 

また、別の説によれば、受胎後8か月ごろになって霊が存在するようになると言っています。

 

かと思えば、生後2か月くらいの赤ん坊に、ようやく霊魂の存在が確認できた、という話も聞いたことがあります。

 

いったい、人間の霊魂というものは、母親の体内にいる胎児時代にすでに存在しているものなのでしょうか。

 

それとも、出産されてから存在するようになるものなのでしょうか

 

この問題については、隈本確先生にしても、どちらが正しいのか断言できないと言います。

 

しかしながら、隈本確先生は、神霊能力者としての感覚から推し量って、胎児霊(水子霊)の存在は是認できないでいます。

 

というのも、隈本確先生の長い神霊活動を通じて、ついに胎児の霊の存在を確認することができなかったからです。

 

以前にも書きましたが、胎児霊とは何ら霊的コンタクトをもつこともできなかったし、神霊治療に際して、胎児霊が浄化すべき対象の憑依霊であったことがありません。

 

話が横にそれるようですが、ここで、ちょっと次のようなことを考えてみました。

 

時いたらず完全に熟しきっていない果実のタネは、土中に埋めても決して芽ぐむことはありません。

 

しかし、完全に熟し、母体である親の木から自然に離れたタネは、土中に入ってから自ら芽ぐみ、その生命を立派に開花させていくはずです。

 

考えてみれば、この自然のあり方は、人間の生命についても当てはまるのではないでしょうか。

 

すなわち、人間の胎児も、月満ちて多くは自然出産の形で母体を離れることによって、初めて、その生命は未来に向かって躍動し始めまるのではないでしょうか。

 

そして、母の胎内において、すでに生命の源である遺伝子の格を譲りつけていた赤子は、出産されてから肉体の成長とともに、その生命の核も日々これも成長していくのではないでしょうか。

 

それが、霊の成長の過程だろうと、隈本確先生は言っています。

 

すなわち、母親の胎内で譲り受けていた遺伝子は、出産後、赤子の肉体という表に包まれて、2ヶ月以上かかって霊という形態をとりつつあるのではないかと推測されるのです。

 

また、赤子が本来の霊的存在を内在することができるようになるのは、それぞれの赤子によっても違いはあるでしょうが、だいたいにおいて生後6ヶ月以上、8ヶ月目まで辺りからではないかと考えられます。

 

ちなみに、ここで一つ付け加えれば、隈本確先生の神霊治療の体験の中で、胎児霊はもちろんのこと、十歳以下の子供の憑依霊による霊障という現象にも、まだ一度もぶつかっていないという事です。

 

はっきりと言えることは、胎児霊及び十歳以下の子供の霊には、大人の心身を苦しめるだけの想いの力、念がないという事です。

 

幼い子こどもたちの霊や、ましてや生まれてもいない胎児の霊が、成人が内在させている魂に対抗し、憑依しかかってくるという現象は、絶対にありえないことなのです。

 

 

 

 

 

我が家の場合

 

>幼い子こどもたちの霊や、ましてや生まれてもいない胎児の霊が、成人が内在させている魂に対抗し、憑依しかかってくるという現象は、絶対にありえないことなのです。

 

これにつきますね。

 

私も子供を3人育てて、みな成人をしていますが、子供の成長を見る事がとても好きです。

 

生まれたての赤ん坊は、泣くこととおっぱいを飲むことと寝ることしかできない状態です。

 

人間は動物と違って少しづつ成長をして一人の人間になっていきます。

 

最初はおっぱいの飲みが悪いのではないかとかいろいろ心配をしましたが、ああでもないこうでもない言っているうちに、赤ん坊は成長をして幼児になっていきます。

 

成長をしていく過程で、いろんなことがあります。

泣いたり笑ったり、悩んだり喜んだり、喧嘩したり仲直りしたり、そうやって成長していきます。

 

そういう中で魂も成長をしていくんですね。

 

私の場合は、子供が3人いても日神会を認めているのは娘だけです。

 

娘は、家にいる時は一日に一回は私に他者治療を頼んできます。

 

娘は一人住まいをしているので、いない時は私に遠隔治療を頼んでいるので、毎日娘に遠隔治療を行っています。

 

ところが、私が日神会と出会うきっかけになった次男は完全に否定をしています。

 

長男はも聞く耳をもちません。

 

仕方がないので、長男と次男にはこっそり遠隔治療を行っています。

 

夫は、無関心ですが、最近は内緒で遠隔治療を行っています。

 

家族全員日神会を信じているという方がうらやましいです。

 

 

 

 

 

「水子霊」のウソの公表のわけ

前回の続きです。

 

水子霊」のウソを公表したわけ

 

隈本確先生の治療所にやって来るたくさんの女性たちの、あまりに痛ましい、怯えきった様子を見るにつけ、隈本確先生の気持ちは少しづつ変っていきました。

 

先生……、実は、わたくしには水子霊があるのですけれど、どうしたらいいのでしょうか。

子供をおろしてしまった日から病気ばかり、その上、色々な不幸が続くのです」

 

うつむきながら、小さな声でボソボソとこのようなことを語る治療依頼の女性たちを見れば、全く、どの顔もどの顔も、世の中の不幸を一身に背負ったような暗い顔つきをしている、これでは水子霊の祟りならずとも、不幸がやって来るわけです。

 

彼女たちは幻の水子霊の影におびえ、ひたすら、われとわが身の不幸をかこちつつ、暗い毎日を過ごしています。

 

実態のない幽霊に、身も心も占領されかかっているのです。

 

のみならず、このように暗い想念で一生を送ったのでは、彼女たちは、必ず霊界入りした暁には、地獄界でのたうちまわり、再び、現界にUターン、人間に憑依しかかってくることにもなるでしょう。

 

こうして、遺された現界の人間も、霊界入りした当の女性も、ともどもに相苦しむことになります。

 

そうだとすれば、真実を知る神霊能力者として、水子霊の無実をあえて語らないこともまた、世の中の苦悩のタネを増やすことになりはしないでしょうか。

 

母親の胎内で、すでに生命の息吹を奏で始めている、将来は人間界の一員となれるはずがの退治を人為的に処理をしてしまうという事は、隈本確先生の心情としては、よほどの理由がない限り賛成できません。

 

しかし、隈本確先生はここでは水子霊障という社会悪ともいえる迷信の問題について論じているのです。

 

隈本確先生にとって、全くやりきれない水子霊障であるが、ここにいたって、隈本確先生は霊界の真実を公開し、水子霊障の無実を表明する決心をしました。

 

実際のところ、現在騒がれている「水子霊のたたり」というものは、丁度、私達が牛肉、豚肉、鶏肉を食べていながら、キツネ、タヌキ、ヘビのたたりを恐れるのと全く変わらない人間の感覚にすぎません。

 

いつの世にもブームという思のがありますが、神霊の世界にしても同様です。

 

キツネやヘビなど「動物霊のたたり」「墓相のたたり」などが少し前まで全盛だったとすれば、さしずめ、現在は、この「水子霊のたたり」と言えそうです。

 

それにしても、先ほどお話しした、年間、何百億という金を人の弱みに付け込んでかき集めている水子霊産業従事者たちの思惑、水子霊障の無実を明かすことによって生じるかもしれない人間界の側の倫理道徳の乱れ、数回の堕胎による母体の損傷等々について思いを巡らせていると、やりきれない気持ちになってきます。

 

中絶以前の避妊法を今少し社会が考慮することも諸問題の解消に役立たないでしょうか。

 

 

 

 

 

水子霊」は定着

 

>人の弱みに付け込んでかき集めている水子霊産業従事者たちの思惑、水子霊障の無実を明かすことによって生じるかもしれない人間界の側の倫理道徳の乱れ、数回の堕胎による母体の損傷等々について思いを巡らせていると、やりきれない気持ちになってきます。

 

隈本確先生が、これほどの思いで公表されたのですが、残念ながら今では水子霊は、一時のブームではなく定着している感じがします。

 

私は日神会に出会ってから、他の宗教にはほとんど関心がないし、私の周囲の人達とも宗教の話をすることもないのでよくわかりませんが、未だに「動物霊のたたり」はある気がします。

 

「墓相のたたり」はわかりませんが……

 

>中絶以前の避妊法を今少し社会が考慮することも諸問題の解消に役立たないでしょうか。

 

う~ん、これは難しい問題です。

 

以前、私の子供たちが学校に行っていた頃は、学校で教えていたこともありましたが、今はどうなんでしょう。

 

こういう話は、男性の先生は苦手意識が強かった気がします。

 

女性の先生の方が、積極的だった気がします。

 

私自身は、娘が専門学校に上がるときに「避妊をするように」という事は言いました。

 

もし万が一赤ちゃんができたら、おろすことは許さないと言いました。

 

私は、よほどの事情がない限り、堕胎は母体の心配だけでなく、自分の子供を殺すことだから、そのことを胸にきざんでおくように伝えました。

 

私がまだ独身だった頃、隣の職場の知人が「しょうがないのよ」と言っておろしていたことが今でも忘れられません。

 

水子霊のたたりはない

水子霊の霊障はない

神霊治療というのは、簡単に言うと、疾患の箇所に憑依、付着している霊を救済・向上させることによって人体から離し結果として疾患の痛苦を解消させる療法です。

 

隈本確先生は、長い間神霊治療に捧げてきましたし、手掛けてきた治療件数は膨大な数です。

 

隈本確先生は、実在する霊を扱う神霊能力者としての立場と体験から、はっきりと事実を言っています。

 

水子霊障というものは、絶対にありえません。

 

何よりも、隈本確先生は水子霊の霊障を解いて依頼人の病気を治したという体験がありません。

 

また、成人の霊であれば、霊界通信なりテレパシー(精神感応)なり、何らかの霊的感応が隈本確先生の心身にあるはずなのですが、水子霊にあっては、それが全くないのです。

 

したがって、このような観点から、隈本確先生は水子霊の霊障について否定しなければなりません。

 

ちなみに、病気の原因をつくっている憑依霊は、ほとんど二十歳以上の成人の人霊です。

 

隈本確先生が今まで水子霊のことに一切触れてこなかった理由がこのあたりにあります。

 

つまり、隈本確先生が真実の神霊、霊魂を扱う神霊能力者であれば、水子霊について言及した時、どうしても、水子霊の障りはない、という事を断言しなければなりません。

 

水子霊のたたり」なるものが霊界の真実とは全く違う、まやかしの言い草だったにしても、それが性のモラルの乱れや社会の混乱を防ぐうえでの、一つの社会的な歯止めの役割を果たしているでしょう。

 

ここで、隈本確先生が霊界の真実を明らかにし、水子霊の存在を否定することによって、水子霊の霊障を受けていると思い込んで、深い悔恨の念や恐怖におびえる人たちの心を救済することができても、その一方で、生のモラルがますます崩壊し、かえって苦悩の淵に沈む人々が増えてしまうのではないか――。

 

多くの人達に、水子霊に関する質問を受ける度に、隈本確先生は、こうした両極端な状況に思いをはせて、結局、今日まで水子霊についての真実のところを語らずに来たのでした。

 

次回に続きます。

 

 

   

 

 

 

水子霊の範囲

 

>霊界の真実を明らかにし、水子霊の存在を否定することによって、水子霊の霊障を受けていると思い込んで、深い悔恨の念や恐怖におびえる人たちの心を救済することができても、その一方で、生のモラルがますます崩壊し、かえって苦悩の淵に沈む人々が増えてしまうのではないか――。

 

隈本確先生の水子霊の祟りはないとはっきり言わなかった理由ですね。

 

私は長い間、水子霊というのはおろした子供だけ限定だと思っていましたが、何らかの理由で育たないで生まれることができなかった子や、流産した子も入ると聞いた時は驚きました。

 

今にして思えば、きっとそういう子も入れることで、儲かるからからでしょうか。

 

そういう子も入れると相当の数になります。

 

流産ならやむを得ないと思っても、当のお母さんからしてみれば、あの時あんな無茶をしなければよかったとか、悔やむ理由はいくらでも出てきます。

 

ましてややむを得ない事情とは言え、自分の意思でおろしたとなれば、ほとんどの母親は内心後悔と懺悔の気持ちをもつことでしょう。

 

ある意味、そこをうまく使った商売ですね。

 

全く違った話ですが、うちの子供たちがすっかり大きくなってしまった後に知ったことなのですが、まだ幼児位で少し会話ができるくらいの子供に、さりげなくお母さんのおなかにいた時のことや、お母さんやお父さんを子供が選んだ理由を聞くと、話してくれる子供がいると聞いたことがあります。

 

これを聞いた時、もっと早く知っていれば自分の子供に聞けたのに、と残念に思ったことがあります。

 

もし、丁度それくらいのお子さんがいらっしゃったら、お子さんに聞いてみると良いですよ。

 

興味津々で聞くと子供さんは警戒をして言わなくなるというので、さりげなく聞くと良いと聞いたことがあります。

 

水子霊商法による現実

水子霊商法は美味しい商売

 

昭和40年代まで、日本全国に水子霊を祀る寺院は一桁台ほどの数しかありませんでした。

 

それが、昭和58年では、全国に、寺院、その他の供養所を含めて、約8000もあるといいます。

 

毎日、どこかの新聞に水子供養を承るよしのお知らせが出ていますが、その一体につき、一万円とか二万円とか言う値段がつけられています。

 

そして、依頼者が、一万円なり二万円なりを供養所に送ると、それで水子霊は供養され、さっそく浮かばれるのだという供養所も多いのです。

 

しかし、もし、それが真実だとしたら、水子霊をもつと思われる人は全員、一体につき一万円なり二万円なりの供養料を送り続けることによって、病気も事故も、その他の不幸もすべて解消されてよさそうなものですが、現実に、そんなことはありえません。

 

いつだったか、隈本確先生は、某水子供養所のグラビア写真を見たことがありました。

 

それは、山を階段状に切り開いたものでしたが、おそらく見当たす限りといっても間違いではないと思いますが、それこそ、膨大な数に上る水子地蔵の群れです。

 

その様は、まるで墓石をびっしりと並べ詰めた碁盤を幾百、幾戦と、山肌に貼り付けたような異様な光景でした。

しかも、その水後霊地蔵たるや、写真を見ただけでもそれとわかるほどの安直な代物です。

 

その機械でポンポン、ポンポン量産されたであろう合成樹脂の黒い水子地蔵と思われる物体の塊の前には花一本、水一杯供えらえているでもなく、あちこちに傾いたり、転がったりしているのでした。

 

それは、言ってみれば、単に合成樹脂のの十センチあまりの人形を切り開いた山肌に並べてあるだけなのですが、手紙一枚と何万円かで、その供養を引き受けるという水子供養所の風景です。

 

全く、近年、水子産業も驚くべき勢いで広がったものです。

 

日本は堕胎天国と言いますが、そのあたりに目を付けた、実にあざとい商法と言うべきでしょう。

 

水子霊そのものについて論じる前に、まず、現在のような水子霊問題がブームのようにして昭和50年頃から急速に台頭してきたこと、そして、それに付随して水子産業たるものが発達し、地下で何百億円という金が動き、その恩恵に浴してはほくそ笑みの止まらない人達がいることを心にとめておいてほしいものです。

 

 

 

 

 

 

水子霊でぼろもうけ

 

考えさせられますね。

 

>山を階段状に切り開いたものでしたが、おそらく見当たす限りといっても間違いではないと思いますが、それこそ、膨大な数に上る水子地蔵の群れです。

 

私もこの写真と思われるものを見たことがあります。

 

当時は、隈本確先生のような鋭い見方をしていませんでした。

 

合成樹脂の水子地蔵などとは思いもしませんでした。

 

ああ、事情があってお腹の子供を堕胎するしかなかった女性の後悔や堕胎した子供への母親としての懺悔の気持があんな形になったのかな、というくらいにしか考えていませんでした。

 

>一体につき一万円なり二万円なりの供養料を送り続けることによって、病気も事故も、その他の不幸もすべて解消されてよさそうなものですが、現実に、そんなことはありえません。

 

これって毎年一回なのか、毎年春秋のお彼岸とお盆の三回に各一万円なり二万円なり供養料を送り続けるという事でしょうか。

 

だとしたら、私の中でぼろもうけじゃん!という曇った心がつぶやいています。

 

>現在のような水子霊問題がブームのようにして昭和50年頃から急速に台頭してきたこと、そして、それに付随して水子産業たるものが発達し、地下で何百億円という金が動き、その恩恵に浴してはほくそ笑みの止まらない人達がいることを心にとめておいてほしいものです。

 

う~ん、考えさせられますね。