前回の続きです。
肉体、頭脳、精神のピーク
最後に、人間の精神についてはどうでしょうか。
肉体の成長は二十歳代をピークで、頭脳の成長ピークが三十歳から四十歳にかけての時期がピークなのに対して、精神のそれは七十歳まで上昇の一途をたどっています。
このように、ほとんどの人間の精神世界の向上、発展は、肉体や頭脳の能力が衰えてからもなお、およそ七十歳まで、ずっと続くわけです。
そして、ここで注目していただきたいのは、若い時代には肉体や頭脳の成長が遅かった精神の成長が、中年以降、急速な速さでそれを、凌駕し、加えて肉体や頭脳の働きは減退の一途をたどることから、その差が歴然としてくるのです。
ここで、私達人間がはっきりと気がつかないうちに、生活の知恵として自然に体得した面白い例を紹介しましょう。
例えば、相撲、ボクシング、野球、その他いろいろなスポーツの選手について、私達はこんな表現を使います。
「三十歳という年齢にかかわらず、よく頑張っていおります」
「あの力士はもう三十歳だ、あと何年相撲をとれるだろう」
「あのラガーマンは三十歳だというのに、若者たちに混じって大変な活躍をしている。あの根性を見ならわなくては」……などなど。
このように、私達はスポーツを初め、肉体を駆使するところのあらゆる活動に対しいて、その限界が三十歳代であることを無意識のうちに知っています。
このことは、頭脳労働においても同様のことが言えます。
奇抜なアイデアや科学的大発見が四十歳以降の人間になされることはほとんどないことは先程書いた通りですが、そんなユニークな発想に限らず、一般の勉学、例えば語学など始めるにしても、四十歳を過ぎてからではちょっと辛い気がします。
四十歳を過ぎた医学者、化学者、工学者などの場合、それまでの体験と実績によって、管理者的存在になるのが普通のようです。
ところがこれに対して、心の世界、精神世界の問題になると事情が一転します。
例えば、三十歳の力士を見て「あんな年なのに、よく頑張っている」といっていた同じ人間が、三十歳の会社経営者をを見る時には、
「あんな青二才に会社経営がやっていけるんだろうか」、ということになります。
要するに、三十代の社長では、まだまだとても若造で頼りないということなのです。
一般的には四十歳代の社長と言っても、まだ若造の部類のようです。
そして、五十代に入ってようやく社会的認められることになるのです。
「あの社長はまだ五十歳だ。なかなかやりてだから、今後あの会社は伸びるだろう。」といった具合です。
次回に続きます。
年をとると・・・
私の経験で言うと、年を取ってからの方が感情の起伏が少なくなった気がします。
私がそうだからと言って、他の人も同じかどうかはわかりませんが。
歳をとったら、何があっても感情に振り回されないかと言うと、そういうことでもありませんが。
やはり、押し寄せる感情はありますが、若い頃よりは引きずることが少なくなったことと、切り替えが早くなった気がします。
若かった頃は、やっとおさまったと思った怒りが、突然襲って来たりしましたが、年をとった今は突然襲ってくることも少なくなってきたのと、感情の切り替えが早くなって生きることがずいぶん楽になってきました。
これは、年齢だけでなく、聖の親様からのお力も多分にあるのではないかと思っています。
怒りの気持ちを無意識のうちに、聖の親様にあずかっていただいている気がします。
なんだかうまく表現ができません。
話は飛びますが、隈本確先生の本の内容を書いていると、隈本確先生の語彙力の豊かさを感じます。
自分の語彙力のなさも同時に実感しております。
年齢だと言われるかもしれませんが、残念ながら今の私は、隈本確先生が今書いている内容の本を執筆しておられる年齢よりはるかに年上です。
大霊界の勉強だけでなく、文章の勉強もさせていただいています。