聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

人の性格は守護神の性格から影響を受けている

守護神の性格から影響を受けている

 

私達人間の性格というのは、人によって千差万別ですけれど、もっとも特徴的な点において、守護神の持つ性格をそのままあらわしていることが多いのです。

 

だから、ある人の性格を知ろうと思ったら、その人の守護神を知ればいいという事もできます。

 

また、このことから、守護神がまだ出ていない人は、自己の性格から類推して五種類の守護神のうち、どの神霊の作用を強く受けているか知ることもできます。

 

すなわち、自分の性格を本書に書かれた守護神の流れを強く受けているという事がわかってきます。

 

これから、五種類の守護神について、その性格や働きを説明してきますが、ここではあわせて、それらの守護神の流れを受けている人達の性格的特徴や改めるべき性格的欠点、あるいは長所などについても言及します。

 

〇 不動尊(ふどうそん)

気性の激しい荒神

白黒をはっきりとつけたがり、あやふやなことを嫌う短期決戦型性格の神霊です。

生前は山伏(修験者)行者、武士などだった場合が多いです。

不動尊を守護神として守護神としていただいている人、またはこの神の流れを強く受けている人は、総じて動作が身軽で機敏です。

また、性格には戦闘的なところがあるので、スポーツ、特に格闘技においては抜群の強さを見せます。

何事につけても起動力が強く、引くことを知らない強引さを発揮します。

最大の性格的長所は、裏表がなく正直だという言ことです。

しかし、気性が激しく一本気なだけにけんかっぱやく相手を押しまくるようなところがあります。

短所としては、粘りの弱さ、忘れっぽさ、我の強さ、口数の多さ、暴力的なことなどがあげられます。

だから、不動尊を守護神としていただいている思われる人やその流れを受けていると思われる人は、できるだけ短気を起こさないようにしなければなりません。

また、何事にも控え目に抑え、周囲の人たちに対しては、いたわり、和、慈悲の心を忘れてはいけません。

 

 

   

 

 

人を見る基準

 

>私達人間の性格というのは、人によって千差万別ですけれど、もっとも特徴的な点において、守護神の持つ性格をそのままあらわしていることが多いのです。

 

まさか人の性格が、守護神の持つ性格がそのまま表れるとは思いもしませんでした。

 

 

の記事の内容とは関係のない話ですが、私は、26年近くの間、義母と同居していました。

 

けっこう大変でしたが、亡くなった今思い返しますと、学ぶことも多かったと思います。

 

考えようによっては、いなくなった今だからこんなことを書けるのでしょうが……

 

今思い返して学べたと思うのは、二つあります。

 

一つは、人を見る基準ができたことです。

 

というのは、人と付きあう時にどこまで自分をさらけ出していいか、という基準が難しかったのが、義母との同居でわかるようになったのです。

 

というのは、義母により近い人に対しては表面上の付き合いをして、あまり自分を出さない、という私なりの基準ができました。

 

私に近い人には、自分からどんどん自分をさらけ出すようにすると、相手の人もさらけ出してくれます。

 

人付き合いがとても楽になって、楽しくなりました。

 

だからと言って、義母に近い人には大人の対応で、表面上は笑顔で対応します。

 

もちろん、距離を置いているという様子は見せません。

 

相手はどう感じているかはわかりませんが。

 

こういうのは、肉体があるから可能ですよね。

 

肉体が亡くて、魂だけだったら不可能ですね。

 

だから、肉体が無くなって魂だけの存在になると、おのずと行き先が決まってしまうんですね。

 

できるだけ、魂をきれいにしておきたいものです。

 

もう一つの義母から学んだことは、今度機会があったら書きます。

 

守護神の出現の方法

前回の続きです。

 

守護神を出現させる方法

 

日神会の神霊治療能力者の守護神は、ほとんどが聖天界にあられます。

 

依頼人の守護神を出現させるにあたって、まず能力者は、自分の守護神を自己の胸中に内在させます。

 

そして、その胸中にある守護神の力を借りて、依頼人に関わる膨大な背後霊の中から最も格が高く力のある神霊を選び出し、出現をうながすのです。

 

それは非常に高度な技術を要する作業ではありますが、時間にすればほんの2~3秒の間に能力者の胸中に繰り広げられるでき事なのです。

 

ただ、出現した守護神はほとんど人間界の理念を解消し、人間の五感を超えた存在でありますので、その姿はわずかに輪郭のみ人間の形跡をとどめているにすぎません。

 

あるいは黄金色、白銀色に輝きわたる長方形、楕円形の光体でしかありえません。

 

こうして出現した高級神霊の世界には、本来、人間界に通用する名称など必要なく、もちろんそんなものはありません。

 

高級霊界とは、霊界人同士にしか通用しない想念の世界なのです。

 

ところが、そうなると困るのは人間の方です。

 

せっかく出現された守護神であっても、目にも見えず、名前もないとなると、人間にとってはまことにつかみどころがなく、それゆえに信心が定まらないことにもなります。

 

現象界には決して姿をあらわさない想念の世界(霊界)におられる守護神であれば、人間側としては、ただ"守護神様、守護神様”といっていても、己の胸中に守護神様が内在していらっしゃるという確固たる信念はもちにくいものです。

 

そこで、隈本確先生は、隈本確先生自身の守護神の指示により、依頼人の守護神を出現させる場合に、人間が霊界人と交信を持つために名称を付けることにしたのです。

 

依頼人の守護神が現れた際、隈本確先生の胸中においてほとんど瞬間的に、隈本確先生の守護神によって相手の名称が与えられ、そして、確認され、相手の守護神もそれを承諾するのです。

 

隈本確先生が、隈本確先生の守護神より支持された守護神の名称は、不動尊毘沙門天大神、権現大神、観世音菩薩、天照皇大神の五種類です。

 

したがって、隈本確先生が依頼人の守護神を出す場合には、便宜上、必ずこの大きな分類に即してなされます。

 

すなわち、相手依頼人隈本確先生の前に座ります。

 

隈本確先生は、隈本確先生の守護神・本尊を胸中に内在させます。

 

隈本確先生は本尊の力を借りて、依頼人の背後に無限に広がる暗黒の霊界を霊視します。

 

この時、隈本確先生の本尊は、さながら強力なサーチライトです。

 

その光に照らし出され、招かれるようにして、依頼人の背後霊中最上級の格をもった霊界人がスーッと隈本確先生の目の前に(もちろん、心の目である)出現します。

 

隈本確先生は、その高級神霊である光体に対して、例えば"権現大神”と即座に呼称の確認をします。

 

すると、相手神霊も即座にそのことを了承します。

 

これが、隈本確先生の行う守護神を出現させる仕事の工程です。

 

もちろん、この後、依頼人に対しては守護神の名称を告げ、あわせて、想いの世界で守護神と深く結びつくための祈りの方法など指導しています。

 

ある霊能者によれば、個人の守護神を出す仕事は最低3カ月、長ければ半年くらいかかると言います。

 

時間と空間を超越した神霊世界に対する仕事に、このように長い月日を要するという事は、いったいどういう事なのでしょう。

 

その上に、当の霊能者の霊的波長自体が低級霊界にしか通用しないものであれば、いかに長い歳月をかけて出現させた守護神と言えども、実際に依頼人当人の病気を直したり、運勢を好転させる力を持つ高級神霊ではありえません。

 

このような場合、その神霊は依頼人の背後霊であっても、守護神とは言えません。

 

 

  

 

 

思いのみの世界

 

>日神会の神霊治療能力者の守護神は、ほとんどが聖天界にあられます。

 

この当時の神霊治療能力者の守護神は聖天界ですが、今現在は天命界です。

 

>出現した守護神はほとんど人間界の理念を解消し、人間の五感を超えた存在でありますので、その姿はわずかに輪郭のみ人間の形跡をとどめているにすぎません。

あるいは黄金色、白銀色に輝きわたる長方形、楕円形の光体でしかありえません。

 

そうなんですね。

 

>出現した高級神霊の世界には、本来、人間界に通用する名称など必要なく、もちろんそんなものはありません。

 

こういう事を知ると、想いだけの世界というのは人間界で当たり前のことや、人間界で必要不可欠なことが全くいらないんだと、改めて思います。

 

名前もそうですが、数字などもいらないんではないかと思います。

 

数字というのは、大きさをあらわすわけですから、思った瞬間にそのものが現れるとなると、大きさを表現する必要がないわけです。

 

と、私は想像してみましたが、本当のことはわかりません。

 

今回の記事は、守護神の出現の仕方でしたが、今は聖の親様または聖なる魂の親様です。

 

現在の御守護神様になったのは、隈本確先生の研究、模索、御苦労のたまものです。

 

 

 

 

 

 

神界の四~五段以上は人間の知覚に入らない

霊格の低い背後霊では神霊治療は不可能

 

霊界には多くの段階があります。

 

死後の世界は、下から地獄・幽界・霊界・仏界(十二段階)・神界(十段階)・聖天界・天命界とあります。

 

神界の四~五段以上にいる霊界人の姿は、もはや人間の知覚に映ってくることは絶対にありえません。

 

隈本確先生と同じ即効性の神霊治療能力を持つ日本神霊学研究会の多くの会員にも、もちろん、それの守護神が出ています。

 

けれども、これらの会員の面々も自分の守護神の姿を見る事はできません。

 

彼らと言えども、わずかに自己の想いの世界から必要に応じて守護神の霊界通信ができ、心の中に沸き上がってくる守護神の想いの波動によるお導きを受けることができるのです。

 

世の霊能者の中には、自分の守護神はこんな姿をしているとか、こんなところに住んでいるなどとあたかも自分の知人について説明をしているような調子で語る人がいるけれど、もしそれが事実だとしたら、それは隈本確先生が説くところの真に力がある守護神ではなく、単なる守護霊の一体にすぎません。

 

何故なら、隈本確先生がいつも言っているように、人間の五感知覚にとらえられる霊は低級霊だと断定できるからです。

 

そのような背後霊をいくら尊奉をしたところで、もともと霊格自体が低いのですから、神霊治療などできるわけがありません。

 

そうしてみると、高級神霊世界にあられる守護神とは、人間にとってはまるで雲をつかむような存在にあってきます。

 

その上、人間一人について直接血のつながりのある先祖だけを考えてみても、二十代前にさかのぼるとざっと二十万人、三十代さかのぼると一億人という数になります。

 

もちろん、必ずしも計算通りにはいかないかもしれませんが、このほか、人間一人ひとりに関する神霊の数を合わせると、気が遠くなるような膨大な背後霊の中から、隈本確先生を含めた日神会の神霊治療能力者たちはどのようにして、雲をつかむような存在である守護神を出現させたのでしょうか。

 

その手順について、簡単に説明をしていきます。

 

次回に続きます。

 

 

   

 

 

低級霊を守護神としたら怖い

 

>神界の四~五段以上にいる霊界人の姿は、もはや人間の知覚に映ってくることは絶対にありえません。

 

神界の四~五段以上は霊界人の姿が見えないとは……

 

>世の霊能者の中には、自分の守護神はこんな姿をしているとか、こんなところに住んでいるなどとあたかも自分の知人について説明をしているような調子で語る人がいるけれど、もしそれが事実だとしたら、それは隈本確先生が説くところの真に力がある守護神ではなく、単なる守護霊の一体にすぎません。

 

今まで書いてあることを読むと、そういうことになります。

 

より人間に近い想念を持っている霊は、人間の知覚に入ってくるという事なんですね。

 

低級霊を霊能者自身が、本当の守護神だと信じ切っていると、結構やばいですね。

 

以前このブログでも書いたことがあります。

 

守護神を出してもらってからも引き続き良くないことが続いたので、一所懸命お祈りをしていたら、もっともっと悪いことが起こったという事がありました。

怖いです。

 

>人間一人について直接血のつながりのある先祖だけを考えてみても、二十代前にさかのぼるとざっと二十万人、三十代さかのぼると一億人という数になります。

 

そんなことを考えたこともありませんでしたが、数えるとそうなるんですね。

 

そんな膨大な数の霊の中から最高の守護神を選び出す、という事は大変なことですね。

 

今回の記事とは関係のない話ですが、今日見ていた動画に岡田斗司夫氏を見つけました。

 

その内容が、日神会の会員信者の中でも話題になることの多い輪廻転生のことです。

 

岡田斗司夫氏は、昔よりはるかに世界の人口が増えているのに、計算が合わないというのです。

 

そんな考え方をしたことがなかったので、面白い視点だと思いました。

 

日神会では、輪廻転生はないと言っています。

 

私個人では、輪廻転生は本人に自覚のない冤罪だと思っています。

 

でも、中には輪廻転生を信じることによって、現在置かれている自分の辛い状況を受け入れることができるという人もいます。

 

 

 

守護神の簡単な見分け方

守護神の見分け方

 

守護神の出現という事については、高級霊能者の霊視、または霊界通信によらなければ確認されないし、出現した守護神と言っても当人には見えるわけではありません。

 

しかし、出現した守護神が正しい守護神であったかそうでなかったか、ごく簡単な見分け方があります。

 

もし正しい守護神が出現したのであれば、人は自分の祈り方の力に応じて、その瞬間から運勢全体が好転し始めます。

 

たとえば、病気が快方に向かう、気分が落ち着く、仕事が快調になる、対人関係がスムーズに展開されていく……等々の、良い現象が現れてきます。

 

でも、守護神は出現したもののいっこうに病気が良くならない、運勢全体がパッとしないという事であれば、その守護神は絵に描いた餅だと言われても仕方がないでしょう。

 

逆に、守護神の出現以来、病気がひどくなったり、色々な怪奇現象に見舞われるという事になれば、これはもう、とんでもない悪霊の守護神のお出ましという事になります。

 

しかしながら、病気の原因となっている低級霊の憑依を瞬時にして解くことのできる、また、事故・災難から当人を守ることができる格の高い守護神をさがしだし、当人との結びを深めるという仕事は、どの能力者にもできることではではありません。

 

隈本確先生は、病気治療依頼人に対してその場でパッと守護神を出してあげていますが、このことを可能にしている背後には、隈本確先生の長い年月にわたる心身の極端な苦しみという裏付けがあるのです。

 

加えて、現世的な面では、その研究に投じた莫大な費用という事もあります。

 

どんな道についても言えることなのでしょうが、人より優れた仕事をしようと思えば、その過程において半端ない苦労が伴うものです。

 

隈本確先生の神霊治療能力、および守護神を出す仕事にしても同じで、決してある日突然降ってわいた特殊能力というわけではありません。

 

今でこそ、依頼人の守護神を瞬間的に出すことができますが、それは、隈本確先生の長年にわたる物心両面での大きな犠牲が、そのことを支えているのです。

 

 

   

 

 

物心両面での犠牲のうえでの尊い神霊治療

 

 

>現世的な面では、その研究に投じた莫大な費用という事もあります。

 

確か、教えてもらっていた行者さんには、家を一軒買えるくらいの金額を使ったとか、聞いたことがあります。

 

その頃は隈本確先生は20代ですから、生活は大変だったと思います。

 

わたしたちは今、隈本確先生が物心両面で大変な苦労されて習得されたことを、何の惜しげもなく公開されて、その恩恵にあずかっています。

 

感謝しかありません。

 

隈本確先生の長年にわたる物心両面での大きな犠牲が、そのことを支えているのです。

 

この言葉につきます。

 

初代会長先生の書かれた「大霊界」のご本や日神会の会報を読んでいて、日常生活でいろんなことがあったり、考えたり感じたり思ったりした時、違うと思う事が全くないのです。

 

すべて、初代会長先生の言っておられた通りだと思う事ばかりなのです。

 

記事の内容と全く違う話ですが、最近、ロシアのプーチン大統領の写真を見ると、気持ちが悪いというか、いやな感じがするんですが、私だけでしょうか。

 

何か、いやな波動を感じるんです。

 

プーチン大統領から、強い強い怒りの想いが伝わってきます。

 

ただその怒りは、彼の直属の部下に向っています。

 

外には向かっていません。

 

私がそういう感じになる時は、よほど強い想いを持っている時です。

 

プーチン大統領、何に怒っているのかわかりませんが……

 

悪いことが起こらなければいいのですが……

 

ネットのニュースで、見る気もないけれどニュースの見出しに写真もついていたりすると、いやでも目に入るのでちょっとまいっています。

 

プーチン大統領は、ウクライナを侵略し始めた頃より目つきが悪くなっている気がするのですが……

 

早く戦争が終わりますように。

 

 

 

 

 

守護神の選別の基準

守護神の出現

 

当時の隈本確先生は、神霊治療を行う際、治療と同時に、必ず依頼人の守護神を出現させていました。

 

原則として個人の守護神として隈本確先生が出現させるのは、当人の無数にいる先祖諸霊のうち、その人の善の意志をもつ最も浄化された格の高い霊界人なのです。

 

(なお、ここで言う先祖諸霊とは直接血のつながりのある先祖ばかりでなく、当人の所有地や家、または家の敷地内で過去に亡くなった人々の諸霊も含んでいる)

 

ここで、無数にいる霊界人の中から守護神を探し出す、その選別の基準についてお話しましょう。

 

まず、生前の自分の名目とか稼業を言ってきたり、自分を供養してほしいと訴えてくる霊界人は、守護神たるべき資格を持ちません。

 

これらの霊は、人間界にいた頃の想念を捨てきれず、逆に人間に頼り、寄りかかってきている未浄化の霊です。

 

いやしくも守護神たりうる神霊とは、高級神霊界で生活され、本来は全く人限界と無縁の存在でなければいけません。

 

 

隈本確先生は以前から言っているのですが、低級霊になればなるほど勝手に人間界に介入してくるのに対して、高級神霊になればなるほど人間界と接触する意思を持たれなくなってきます。

 

だから、出現された守護神に対しては、人間界の強い祈りの力によって無理にでも体中にに滞在していただかなくては、加護がいただけないことになります。

 

それが、守護神に対する想いの世界での深い願いかけが必要な理由なのです。

 

ところが、霊能者によっては低級霊と高級霊の見分けもつかず、たまたま自分と波長が合って霊視に映ってきた低級霊の生前の名前を臆面もなく依頼人に告げて、「この方があなたのご守護神様ですよ。毎日、この方にお経をあげておすがりなさい」などと、とんでもないことを言うのです。

 

まさに、人生破滅へ尾道案内人となります。

 

まことに神霊世界とは恐ろしい世界です。

 

いかにも警戒すべきは霊能者の段階と言うべきでしょう。

 

 

 

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霊能者の段階に警戒

 

>警戒すべきは霊能者の段階と言うべきでしょう。

 

この霊能者の段階によっては、地獄まっしぐらという事は今までも何回も隈本確先生は書いてきました。

 

そのために、悲惨な目にあった人達のことを書いてきました。

 

たとえ悲惨な目にあったとしても、人間界では法律違反でもないので罰せられることはありません。

 

でも、今までもひどい霊能者のために大変な目にあった人の霊の記事を読んできました。

 

わかっていてやっている霊能者もいれば、霊能者自身すらわかっていない、そればかりか霊能者は依頼人を助けるつもりでいて、行っているという場合もありました。

 

本人は、依頼人を助けるために行っていたのですが、ところが霊能者が高級神霊だと思っていた霊が、実は低級霊だったりという事もあるようです。

 

それが以下のことだと思います。

 

>霊能者によっては低級霊と高級霊の見分けもつかず、たまたま自分と波長が合って霊視に映ってきた低級霊の生前の名前を臆面もなく依頼人に告げて、「この方があなたのご守護神様ですよ。毎日、この方にお経をあげておすがりなさい」などと、とんでもないことを言うのです。

 

目に見えない世界というのは、つくづく難しい世界だと思いました。

祈れば祈るほど地獄にまっしぐら

エセ神霊学がまかり通っている現在

 

守護神とか守護霊、または背後霊という事について、色々と関心の高い人も多いようです。

 

神霊学が一般の人々の中に浸透していくことは、とってもいいことですが、現状を見ていると、どうしても喜びより恐れの方が先行してしまいます。

 

それというのも、あまりにいいかげんで真実の神霊学とはかけ離れたエセ神霊学が、堂々とまかり通っているからです。

 

隈本確先生の言う神霊学とは、古来、神道や仏教で伝承されている諸々の神仏とはまったく異質の存在なのです。

 

つまり、一般の神道、仏教などでさかんに喧伝している神仏が空想による人間界創造物なのに対して、隈本確先生の言う守護神は、あくまでも霊界に実在する神霊だという事なのです。

 

昔から伝わる神道や仏教が、いかに物々しい神々の名を述べ連ねたところで、"絵に描いたモチ”の神では、私達人間がご加護をいただけるはずはありません。

 

また、人は伝承された空想の神々の他に、しばしば、特定宗教の開祖を信仰の対象としているのです。

 

ですが、ここに至ってはまさに迷信、私達の心を混乱させる迷妄の信仰というほかはありません。

 

多くの宗教の開祖は、単に人間界で他人とちょっと違った自己の発想を、もっともらしく言っているだけです。

 

もちろん、その開祖に従い続く人々も永遠に続く霊界の模様などつゆほども知らず、ひたすら開祖の教えに熱狂しています。

 

大変不幸なことです。

さらに言えば、現在あがめられている多くの宗教の開祖たちが、ただいま、霊界でどのような生活を送っているのかという事も大いに問題なのです。

 

はたして、彼らは霊界で助かっていると言えるのでしょうか。

 

霊界のどのあたりに位置しているのでしょう。

 

生前、聖職者として沢山の信者にかしずかれ、それがために心の中に傲慢・不遜の想いを宿したまま他界した人間であれば、高き霊界の住人になる見込みは全くないのが道理と言うものであります。

 

最悪の場合は、生前の開祖様転じて悪霊となり、地獄でのたうち回っているという事さえもあります。

 

このことは、隈本確先生が行った某宗教開祖の招霊体験でも実証されています。

 

そうしてみると、地獄に落ちた開祖を信仰している信者こそいい迷惑です。

 

熱心に祈れば祈るほど地獄へ向かってまっしぐら、という事になります。

 

このあたりまで考えてくると、私達が奉持しなければならない守護神とは、神道や仏教による架空の霊界人ではなく、また、それぞれの宗教の開祖でもない、という事が分かってきます。

 

守護神とは、現に霊界に、その存在がはっきりと確認された私達の先輩である霊界人でなければいけません。

 

言い換えれば、かつて人間界に生を享け、人間としての生活を経験し、他界して霊界人となった神霊です。

 

しかし、その先輩である霊界人と言っても、それこそピンからキリまであります。

 

たとえ、霊界入りしてから千年、二千年とたっていても地獄でのたうち回っている霊もあれば、未だに霊界人としても自覚がなく人間界に出没している霊もあります。

 

そうかと思えば、霊界入り後わずか二~三百年そこそこで霊界人としての大いなる開眼を果し、高き神界の住人となっている霊もあります。

 

そうしてみると、この広大無辺の霊界で生活している無数の霊界人の中から、真に格の高い力のある守護神をさがし出す仕事は実に生易しいことであはありません。

 

 

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同じ仏教でも家によって違う

 

何度も書きますが、このころの日神会は、依頼人の先祖霊の中からもっとも格が高く強い神霊にお願いをして、依頼人の守護神になってもらっていました。

 

大変なお仕事だったと思います。

 

私の実家でも仏教でした。

 

結婚して今の家でも仏教です。

実家では、仏教を熱心に信じていました。

 

食事の前に仏壇にお供えするときにお経を読んでいました。

 

生活の中に仏教が当たり前にありましたし、実家の大人からは常に仏教の教えを語られました。

 

だから、しつけも仏教の教えと共にしつけられたと思います。

 

私はそれが当たり前だと思っていました。

 

結婚をして今の家に入って一番驚いたのが、人間の生活と宗教というのは全くの別ものだったことです。

 

この家の人たちというのは、どんなに良い教えでも、それを実生活の中に取り入れるという事がありません。

 

生き方や考え方が、実生活の中でいかに自分が優位に立つか、それには他を蹴落としてもいいという考えです。

 

それを知った時、これは動物的心だと思いました。

まさに弱肉強食です。

 

もっとも私の実家が特殊だったのかもしれません。

 

実家の弟の妻である義妹が、私の実家は一昔前の考え方だと言ったそうなので、私の実家が特殊だったのかもしれません。

 

あの時は昭和だったので、義妹にしてみれば大正時代に見えたのかもしれません。

 

そんな中でも義妹は、実家で嫁としてよく頑張ってくれました。

 

実家の父が古臭い人だったので、大変だったと思います。

 

古臭かったけれど、年を重ねた今は、実家の両親が言っていたことは、ほぼ正しかったと思いますし、私達子供たちは今になって、実家の両親から教えられたことは人として生きていくのに、ごく真っ当なことを教えてもらったと思ています。

 

確かに私が子供の頃教えられたことは、実在の神とは無縁だったとは思います。

 

だからでしょう、実家では常に何か悪い事やトラブルが続いていました。

 

今にして思えば霊が原因のトラブルだったと思います。

 

でも、人としてきちんと生きていく基本は教えてもらったと思っています。

 

何故守護神が必要か

守護神の必要性

 

私達人間は生きている限り、誰でも毎日健康に過ごしたいと願っています。

 

また、ほとんどの人たちが、半ば本能的になるべく長生きをしたい、死ぬにしても苦しみながら死んでいくのは嫌だ、不慮の事故などで死ぬのは嫌だと、と思っています。

 

そして、多くの人たちは、それぞれスポーツをしたり、バランスの良い食事や規則正しい生活習慣を身につけることによって、自分自身を安全へと導こうとしているのです。

 

このことも、大変重要なことです。

 

だからこそ、隈本確先生は日常生活における心構えとか留意点など一見当たり前に思われるようなことについて、色々と述べてきたのです。

 

しかし、隈本確先生はここで、さらに厳しい現実についても、目をそらすわけにはいかないと言っています。

 

それは、私達が人間としていかに努力をしようとも、個人の力では、偉大なる力をもった悪霊や低級霊に立ち向かう事が非常に難しいのです。

 

人は、ふとしたきっかけでひとたび悪霊とかかわりを持つようになると、不可抗的に不幸のどん底へと突き落とされていくことが多いのです。

 

霊界と現界とを行き来しているある種の強力な悪霊に対して、残念ながら、人間は赤子ほどの力も持たないのです。

 

そこで、私達人間は、どうしても守護神という神格の高い、強大な力を持たれる神霊の力を借りなければならないことになってくるのです。

 

もちろん、隈本確先生が行う神霊治療にしても、高き守護神の力があればこそのものです。

 

結論を先に言っていしまいますと、私達人間は、病気による痛み、苦しみから逃れ、あらゆる事故、災難、不運から逃れるためには、どうしても守護神の出現を仰ぎ、これを奉持していかなければなりません。

 

 

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20年位は試練の連続

 

>私達人間は、病気による痛み、苦しみから逃れ、あらゆる事故、災難、不運から逃れるためには、どうしても守護神の出現を仰ぎ、これを奉持していかなければなりません。

 

これにつきます。

 

私も日神会の守護神様である「聖の親様」に出会っていなければ、今の私もありませんし、我が家の家族もどうなっていたかわかりません。

 

結婚をして、長男が生まれ次男も生まれ、そこまでは必死でした。

 

次男があまりに頭を打つので困っていたところで、偶然入った本屋さんにあった「大霊界」のご本でした。

 

その本屋さんにあった「大霊界」のご本3冊を買って、その日の夜読みました。

 

内容が私の中にどんどん入ってきて、気が付いたら朝になっていました。

 

殆ど徹夜状態だったのに、朝はさわやかだったことをよく覚えています。

 

それからは、必死の想いで自己治療を練習をして、霊流が流れているのか流れていないのかよくわからないまま、続けていました。

 

気が付いたら、次男は頭を打たなくなっていました。

それからは、何かあれば霊流をひいていました。

 

何かあれば聖の親様にお願いができる、という事は私にとっては、本当に心強かったです。

 

その後も、なぜこんなにというほど色々ありましたが、私が日神会と出会ってから20年ほどしたころから、少しづつ悪い出来事が減ってきたように思います。

 

今でも、何にもなく全てがうまくいっているというわけではありませんが、心穏やかに暮らせる日々が続いています。 

 

私が毎年日神会に他者神霊治療能力者養成講座を受けに行っていた頃に出会った人達も、言っていました。

 

本当になんでこんなにいろんなことが次から次へとあるのか、と思っていたけれど、20年くらい過ぎたあたりからぐっと減ったと言っていました。

 

これも神様のお力なのかもしれません。