聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

生前に行うこと

神・仏・霊は先輩

 

神・仏・霊ともに元は私達人間の先輩です。

私達人間もいずれは神・仏・霊になります。

 

その時に、私達の魂は高級神霊に迎えられるか、低級霊界に引きずり込まれるか、それは、私達自身が決めることです。

 

この人間界で、家族がとても優しくいつも自分の願いを聞いてくれたり、面倒を見てくれていたとしても、肉体消滅後の行き先は、高級神霊界へ導いてくれたり、低級霊界から引き戻すという事はできません。

 

また、亡くなってからのお葬式がどんなに立派なものであっても、霊界で苦しむ霊の救済にはなりません。

 

人は生前、自己の霊障をなくし、因縁を解除し(痛み、苦しみをなくすこと)、現世を守護神に守られて喜びと平和に満たされて過ごすこと、そして、死後は、その満ち足りた想念を持ったまま霊界に移行することが重要になってきます。

 

私達が生前、念の管理をしっかりとし、魂の育成をしなければならないという、それが大きな理由です。

 

まずは自分の言葉や行動を気を付けましょう

人に不快な念を起こさせない事や、人の心を傷つけないことです。

 

それは、私達が自分自身について反省する習慣をしっかりと身につけることです。

知らず知らずのうちに相手の心を傷つけた時、知らず知らずのうちに魂にいろいろな悪想念を住まわせる……

 

それがいつの間にか爆発して、世間を震撼とさせる事件につながるかもしれません。

 

親殺し、子殺し、理由なき殺人……どれもこれも、潜行し凝り固まった悪念が、外界にふきだしてきた現象です。

 

また国と国との集団による不快の念は、人々を戦争へと駆り立てて、人類破滅の道を滑り落ちていこうとしているようにも見えます。

でも、こんな意見がありそうです。

 

「自分にはちっとも不都合なことは怒っていないし、それに、人間が心の中でちょっとくらい羽目を外して、イヤな奴を蹴落とそうが、消しちまおうが構わないではないか。現実生活では、やりたいことや言いたいことの半分もしていないのだから……」と。

 

このような人は、現界を去った後で、さらに長い長い霊界での生活があることを深く認識してほしいと思います。

 

心の中に宿した小さな悪の想いの積み重ねが、やがては魂にかさぶたのようにこびりつき、それが死後、霊界での向上を妨げる重り、足かせとなるという事実を忘れないでほしいのです。

 

もう一つですが、人間が心の中で思ったことというのは、いつかは現実のものとなって現象界にあらわれてくる可能性が非常に高いのです。

それが人間の念の働きというものです。

 

 

 

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私の驚いたこと

 

こういう事と関係がないでもないと思いますが、私がとても驚いたことがあります。知人にAさんとBさんという人がいます。

 

Aさんは争いごとが大嫌い、という事でした。

争いごとが嫌いというのは悪いことではありませんが、Aさんは徹底していました。

 

Aさんは、とてもいい人でしたので、人の役に立つことにいつも頑張っていました。

 

Cさんという人がいますが、Cさんも私にとっては知人です。

 

CさんはAさんに親切にしてもらっていましたが、CさんにとってはAさんの親切が、とてもあるときからイヤなことに感じられるようになりました。

Cさんは、Aさんに怒りだしました。

 

普通ならここで、Aさんが気に障ったのならごめんなさい、で終わりだと思うのですが、Aさんは何故かそんなに怒らせるほどのことをしたつもりはない、と言ってそのまま引っ込んでしまいました。

 

Aさんの代わりにBさんがCさんの相手をするようになりましたが、Aさんが一切出てこなくなり、Cさんまたまた怒り出してしまいました。

 

私には、その3人ともが理解ができないので、AさんにCさんときちんと話をしたほうがいいのではないか、というようなことを言ったのですが、Aさんは「わたしは争いごとが嫌いだから」という事で拒否されました。

 

原因が良かれと思ってしたことであってもCさんを不愉快にさせたわけだから、きちんと向きあったほうがいいのでは、と思ったのですが、一切聞き入れることはありませんでした。

 

Bさんも自分のことでもないのに、Aさんの代わりとか、それじゃよけいCさんを怒らせるだろうに、と思いましたが、Bさんは自分がAさんを助けなければ、と思っているようでした。

 

Cさんには、Aさんは悪気ではなく、逆に良かれと思ってやったのだから、そこまで怒らなくてもいいのではないか、というようなことをオブラートに包んでいってみましたが、全く効き目はありませんでした。

 

この話はあまり関係のない話かもしれませんが、この時に思ったのは、いくら平和主義者だとしても、良かれと思ってしたことでも相手を怒らせたら、気を悪くさせてすみません、くらいは言ってもいいと思うのですが、これって逆に平和主義者になっていないのではないか、と思いました。