聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

生前の姿とは大きく異なる霊の姿

隈本確先生の霊視

 

隈本確先生は、以前資産を築き権力も手中に収めて、大往生をした有名な政治家の霊を招集したそうです。

 

ところが、その様は生きていた頃の様子とは、とても対照的だったそうです。

 

その霊は、地下何千メートルもあろう井戸の底に落ち込み、一寸の身動きすらできない悲惨な思いの世界に閉じ込められていたそうです。

 

それでも、初めのうちは地の底からとどろきわたるような声を張り上げて号泣していました。

 

やがて声もかれ、涙もかれはて、意識すらももうろうとしていく中で、己の想いがなおも存続していることをわずかに感じて、なす術もなく、絶望感と孤独感の入り混じった救いのない悲しみに耐えるばかりでした。

 

このように霊界の奈落の底で苦しむ霊は、生前かかわりのあった人間の音信だけを頼りに、来る日も来る日も、底なしの孤独の想いで過ごしているのです。

 

そして、音信の橋が架かりさえすば、それが最愛の我が子であろうと孫であろうとお構いなしに、その体中に猛然と躍り込んでは、己の苦痛を解消させようとするのです。

 

たとえ自分の親、祖父母であっても、このような状態の霊については゛悪霊”とよんで、かまいません。

 

悪想念を持ちながら死を迎えた霊は悪霊界へ入り、霊界の悪の波動をますます増大させていきます。

 

そして、それが現界の人類の上に襲い掛かってくれば、この世は病苦、事故、災難のるつぼと化します。

 

そのうえ、悪霊によって命を絶たれた人間が霊界では悪霊となり果て悪の波動を増大させ、その悪循環で、やがて人類は滅亡の日を迎えるといいます。

 

この人類滅亡の危機を招くか、回避できるか、それは現在生きている私たち自身に課せられた課題でもあるのです。

 

私達が、もっともっと高級神霊世界の波動を受けることに熱心に勤め、私たち自身の想いの世界から悪想念の全てを追いだすことができれば、高い神霊からの平和と喜びの波動は人類の上に燦然と降り注いてくるはずです、と隈本確先生は言っています。

 

 

 

 

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井戸の意味

 

>その霊は、地下何千メートルもあろう井戸の底に落ち込み、一寸の身動きすらできない悲惨な思いの世界に閉じ込められていたそうです。

 

この状態を私なりに考えてみました。

現在人間の状態で言うと、自分の考えが一番で、人の意見を受け付けない、という人のことをあらわしているのではないか、と考えます。

 

井戸の底に落ち込み、一寸の身動きすらできない、という事は自分の考えが一番正しいという想いが、自分で自分の壁をつくって人の意見を受け付けない、という人を見ることがあります。

そういう人のことではないか、と私は思います。

 

このように人が霊になった時に、その霊の行き場所を読んでいて、その状況というのは、その霊が生前どんな考え方生き方をしてきたんだろうと気になっていました。

 

身近なある人が亡くなりました。

その人の生前はよくなくて、近所の人からは避けられ、友人はほとんどいませんでした。

 

その人の生前は、いつも自己主張が強く人の意見は聞きませんでした。

というか、人の意見を反対することが生きがいになっているような人でした。

 

人のいう事には常に否定をし、自分の意見をごり押しをし、そのくせ人のすることなすことが気になる人でした。

 

私は気になってその人の亡くなってからの姿を見てみました。

体はとても小さくなって、2本足で目は異様に大きく耳も大きく動物の耳のようにとんがっています。

口は目じりの方まで裂けて大きいのです。

 

この人の姿を私なりに分析をしてみました。

体が小さいのは小心者ではないか、と思いました。

 

2本足でちょこちょこ歩くのですが、この意味だけはわかりません。

目が大きいのは、人のやることなすことが気になることではないか、と思いました。

 

耳が大きいのも目と同じで人のいう事が気になってしょうがない、という事ではないかと思っています。

 

口が大きく裂けているのは、自己主張が強い意味かな、と自分なりに分析をしてみました。

 

数十年前の新聞のコラムに、欽ちゃんが書いていました。

 

年をとったら耳を大きくして、口を小さくしなさい、と、これは耳が大きくというのは、人の話を聞きなさい、という事で、口を小さくしなさい、という事は、自分の意見は言っていいけれど、自分の意見のごり押しはいけませんという事でした。

 

私の見た亡くなった霊の姿がその霊のありのままであるのかどうか、もしあっていても私の分析が正しいかどうかはわかりませんが、こんな見方があるとでも思って読んでください。

 

私もこんな姿にはなりたくないので、穏やかな優しい目で、人の話をよく聞けて、自己主張が強くならないように気を付けていきたいと思います。