聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

霊の存在

霊の存在は″ない”のではなく"認識できない”

 

隈本確先生は目に見えない霊の存在を説明するために、放送局から送られてくる電波とテレビに例えています。

 

「放送局から送られてくる電波は、姿も見えないけれど、テレビという装置を通すと、画面は見えるし音も聞こえますね。実際、私達の周りには、昼夜を問わずものすごい量の電波が飛び交っていて、電波の中で生活をしていると言ってもいいくらいです。

霊というのも、丁度電波と同じように、実際にはあるのに人間の目には見えないんですね。だから、私達は霊界の中で生活をしている人間集団、物質界のほんの一部分を形成している存在にすぎないわけです。霊界こそが全体であって、人間界はその中に含まれる微小な部分にすぎません」

 

特別霊を扱う仕事していない一般の人の中にも、霊が見えるという人はたまにいます。

 

霊の波長とその人自身がもつ波長とがあった場合に、そういう現象は起こるのです。

 

つまり、霊の存在が見えたり聞こえたりする人というのは、霊の波長に対してその人間が受信機の働きをしているのです。

 

そうだとすれば、普通霊の存在が分からないというのは、霊の存在が゛ない”という事ではなく、それが゛認識できない”という事になります。

 

たった今、このブログを読んでいるあなたのすぐ隣にも、ひっそりと息をひそめて霊はいるはずです。

 

隈本確先生が言われるには、霊と人間との共存生活の場です。

霊界と現界とは、全く別の所にあるのではありません。

 

 

 

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まだまだの私

 

さすが隈本確先生、元電気屋さんです。

わかりやすいですね。

 

以前、私の弟がこの隈本確先生の説明がとても分かりやすい、と言っていました。

 

>普通霊の存在が分からないというのは、霊の存在が゛ない”という事ではなく、それが゛認識できない”という事になります。

 

霊の存在が分からないというのは、霊の存在がないという事ではなく、認識できないという事になる、ということはわかります。

 

日神会の会員になっても、霊の存在が認識できませんでしたが、年数がたった今は、少し認識ができるようになりました。

 

でも、私の周りでも霊の話を相手がどう思うか、などと気にしないで話せる人は多くはありません。

話せる人はごく限られています。

 

わたしとしては、霊の話というより、自分が日神会という素晴らしい宗教を信じているという事を、相手にどう思われるかなどと気にしないで言えるようになりたいと思っています。

 

これは、私自身の問題だと思っています。

相手がどう思うが、気にしなければいいのだと思いますが、今の私はまだまだ言えないでいます。

 

この気持ちを持ち続けていれば、いつか言える日が来て、いろんな人に浄霊をしてあげられる日が来ることを願っています。

 

今の私は弱虫ですが、いつかきっといえる日が来ると願っています。私の肉体があるうちに、現実となる日が来ますように……