聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

霊媒

霊媒とは

 

霊媒という言葉を辞書で調べると、「神霊や死者の霊と意思を通じ得る媒介者」とか「死んだ人の霊に変わって、その意思を伝える力を持った人」などの説明されいます。

 

つまり、霊媒とは現界と霊界の仲介者であり、死者の霊を自己の体に呼び入れて、その霊の想念を言葉やその他のしぐさで表現する一種の霊能力者のことを言うのです。

 

有名な恐山のイタコなども霊媒です。

霊能者が霊の想いの表現として語る言葉や、霊の想いの表現として語る言葉や、動作が、どこまで信憑性があるものかどうかはわかりません。

 

しかし、イタコやその他の巫女、霊能者が霊の想いの表現として語る言葉や、動作が、どこまで信憑性のあるものかわかりません。

 

 というのも、それらの霊界通信が、霊界での極めて低い段階からの通信である場合がほとんどだからです。

霊界と言っても、上は天命界から下は地獄界まで、多くの段階があります。

 

死者は、その霊魂の高低に応じたところに住んでいますので、それぞれ別個の霊界なのです。

 

人間の五感・知覚で感じとられる霊の姿、霊界の模様というのは、大方、低級霊の姿です。

 

浄化された高級神霊になればなるほど人間界から遠ざかり、現界との交渉は全く持たなくなります。

 

高級神霊は、人間界にやたらと姿をあらわしたりはしません。

霊能者と一口に言っても霊界に対する感知交流能力にはそれぞれに違いがあります。

 

無限である霊界の全てを把握する能力者はあり得ないと隈本確先生は言っています。

 

霊能者は、自分の霊界感知能力の範囲内にある霊界しか知ることができません。

 

しかし、現界に住む人間にのりうつって来るような霊の存在が、霊界で救われていない 未浄化の霊であるという認識をしたとき、一般の霊媒がよくする自らの肉体を霊に提供して、霊を乗りうるらせるという行為が高級神霊との接触とは言い難いのです。

 

よく霊媒を行う霊能者や、やたらに予知能力のある人の多くは、自分自身が、いつも肉体の苦痛や精神の不安感に悩まされています。

 

隈本確先生の若い頃がそうだったそうです。

 

 

 

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私の場合

 

私は、以前は全く何もわかりませんでした。

いつごろでしょうか、何となくわかるようになってきました。

 

大霊界」の何巻だったかは覚えていないのですが、全部しっかり覚えているわけではないのですが、だいたいはこんなことを書いてあったと記憶しております。

 

人が住んでいるところには、必ず、住んでいる人の想いが住んでいる部屋の壁や天井、床などの物質に想いのエネルギーがついている、というようなことだったと記憶しています。

 

それから私は、いろんな建物を見ると、エネルギーを感じるかどうかをみるようになりました。

 

そんなことを繰り返しているうちに、エネルギーを感じられるようになりました。

 

そのうちに人のエネルギーを感じるようになりました。

ただ、私が感じるエネルギーは、他人のおおざっぱな感情です。

 

怒っているとか、悲しんでいるとか、喜んでいるということで、なぜ起こっているとか、悲しんでいる理由や喜んでいる内容はわかりません。

 

他には、怒っている度合いはわかります。

すごく怒っているとか、ちょっとむっとしているとか、そういうことはわかります。

 

最近はほとんどテレビを見ないで、もっぱらパソコンで動画を見る事が多いのですが、その動画で怖い霊の動画とかを見ると、その霊の想いが伝わってきてみることができなくなっています。

以前は全然平気だったのですが……

 

ある人が亡くなり、その亡くなった人と仲が良かった人が、亡くなった人のことを言っている動画を見ると、とてもつらく悲しく、胸が痛む感じでした。

 

たぶん、その悲しんでいる人の想いが私に伝わってきているのではないか、と思います。

この状態をどうとらえて良いのか、私にはわかりません。

 

自分にとっていいか悪いかと聞かれても、今の自分にとってはわかりません。きっと死ぬまでの間に答えが出るのではないか、と思っています。