聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

浄霊と除霊の違い

前回の続きです。

 

日神会は浄霊

 

神霊治療は、高級神霊が有する霊エネルギーに人間が有する念エネルギーがプラスされたことによる効果です。

 

前回に書いた第二としてあげた念エネルギーは、簡単に言うと人間の想いの力です。

 

それも、直接相手の肉体に働きかけるのではなく、目には見えない相手病人憑依霊に対して作用する想いのエネルギーです。

 

神霊治療能力者は治療にあたり、高級神霊(守護神)の力をいただき、さらに自己の意志の力で相手憑依霊に対して強い念エネルギーを発動させなければなりません。

 

すなわち神霊治療とは、極限まで高められた人間の念エネルギーと極めて高度な霊エネルギーとが合体して、瞬時にして病人の体のうえに発揮される奇跡の力なのです。

 

では、この人間の念エネルギーという事について、もう少し詳しく見てみます。

 

それは、何よりも神霊治療能力者が"相手憑依霊をぜひとも浄化、救済してあげよう”また"ぜひとも依頼人の病気を治してあげよう”と強く念じることです。

 

厳密にいえば神霊治療の際に発動される念エネルギーには、二つに内容があるのです。

 

その一つは、今述べた"ぜひとも、依頼人ならびにその憑依霊を救ってあげよう”という強い意志の働きであり、もう一つは、依頼人の憑依霊に対する和の念なのです。

 

だから、日神会が行っている神霊治療では、相手憑依霊を強制的に外したり、無理矢理退散させることはしていません。

 

依頼人にしても、その憑依霊にしても、決して対立的にはしていません。

 

初代会長先生は、だいぶ前から"除霊”という言葉は使わず、〝浄霊”という言葉を使っています。

 

よく神霊を扱う行者のするように物凄い形相で、「エイヤァ!」と掛け声も勇ましく霊を退治しようとするのが除霊なら、日神会が自らの体中で行う一連の神霊治療の作業はやはり浄霊と言うべきでしょう。

 

何故なら、日神会の神霊治療能力者は、体中において、日神会の守護神の霊流で清められた霊は救済され、高き霊界に向上していることになるのですから。

 

次回に続きます。

 

 

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浄霊は神の愛のエネルギー

 

>それは、何よりも神霊治療能力者が"相手憑依霊をぜひとも浄化、救済してあげよう”また"ぜひとも依頼人の病気を治してあげよう”と強く念じることです。

 

自分で浄霊をしている時に気が付くと気がありますが、聖の親様に強くお願いしますという思いで、霊流をひくととてもよく霊流が流れますが、聖の親様に波長があわせることが難しい時などは、流れる霊流は弱い気がします。

 

依頼人ならびにその憑依霊を救ってあげよう”という強い意志の働きであり、もう一つは、依頼人の憑依霊に対する和の念なのです。

 

初代会長先生の、この深い愛の想いが好きです。

これこそが神の心ではないかと思います。

 

>よく神霊を扱う行者のするように物凄い形相で、「エイヤァ!」と掛け声も勇ましく霊を退治しようとするのが除霊なら、日神会が自らの体中で行う一連の神霊治療の作業はやはり浄霊と言うべきでしょう。

 

除霊と浄霊の違い、よくわかります。

除霊は、無理矢理憑依霊を引きはがす行為なのですね。

 

こうやって考えると、除霊は根本から治しているわけではなく、もしかしたらまた除霊をした霊が戻ってくる可能性もあるという言ことですね。

 

浄霊は、神の愛のエネルギーによって浄化された霊が納得した形で、人間から離れていくという事ですね。

 

やっぱり浄霊が良いですね。