不幸な生涯を送られた女性の父親からの手紙
人としてこれ以上の苦しみはありえないのではないか、と思われるほど不幸な生涯を送られ、現在は高き霊界にあられる女性の、悲しくも美しい実話です。
この話は、その女性のお父様から実際に隈本確先生に宛てられたお便りと、それに対する隈本確先生の返信とをそのまま公開します。
これから記述していく、感動的なお便りをくださった方は、隈本確先生の著書の読者である斉藤さんという男性の方です。
お便りの書状の公開については、斎藤さんからは「少しでも、世の中の苦しむ人たちのお役にたてば」と気持ちよく快諾してくださいました。
「斉藤さんのご厚意に対しましては、ここで厚く御礼申し上げます」
初めに、隈本確先生から宛てられた書状公開(斉藤さんのお便りの)についてのお願いに対する斉藤さんの承諾のお便りの紹介からです。
拝啓、隈本先生。
度々、ご丁寧なお手紙をいただき、ありがたく存じています。
つきましては、小生どもの心身障碍児・洋子の生前の生活の模様と、死後の霊界での様子を先生の著書中に記されるご予定のおもむきうかがいまして、大変嬉しく存じます。
それが、世の中で普通の方の何倍もの苦労をなさっている心身障碍者の方々や、また、そのご家族の方々に対して、少しでもなんらかの励みになれば、まことに幸甚でございます。
本日、夜中の午前二時から四時頃までの間に、亡き洋子の霊夢がございました。
夢の中では、四国の金毘羅宮のような感じの神社の前に洋子が現れて、わたくしたち夫婦や家族の将来のこと、また、私達が親しくしている方たちのことをいろいろと語ってくれました。
起きてから、不思議な夢だったなとずっと考えておりましたところ、お昼ごろ、先生からのお便りをいただきました。
そこで、改めて、霊の存在と神霊世界の不思議な働きに驚いて知った次第です。
洋子の生前の姿と言えば、重度の心身障害に侵されていたため無能な娘でございました。
けれども、今、人間には見ることのできない神仏と変わらない霊の存在を娘が内在させていることが、確実に信じられるようになりました。
健康に毎日を過ごし、今日、明日の楽しみを求むる方たちには、小生どものような生活は、とても信じがたいことでしょう。
また、普通の方には考えられないような大不幸を背負って生きている方にしてみれば"神も仏もないなんと無情な世の中だろう”と思われることが、度々あるかと思われます。
けれども、ただいまの苦しみの中でもなお神霊の実在を信じ、霊界を信じて、この無情な毎日の生活こそが修行なのだ、普通の方々にはできない修行をさせていただいているのだ、と考えて度量に度量を重ねたら、必ず神のご加護が下ってくる……と、小生はそんなふうに考えております。
なにとぞ、 小生どものことで世の中の方々のためになる材料がございましたら、赤裸々にご報告なされて結構でございます。
恥ずかしいとは、少しも思いません。
先生のご健勝を心からお祈り申し上げます。
そして、この世の中から心の不幸を除くべく、心の光をますます高く掲げてくださいませ。
先生のお力によって、神々のお光を、あまねく世に照らせしめてくださいませ。
御祈念申し上げます。
斉藤 利憲
隈本 確先生
以上が隈本確先生宛ての斉藤さんからのお便りを著書にしたいという申し出に対する、斎藤さんの承諾のお便りです。
次回は、斎藤さんの次女・洋子さんの生前、及び霊界での生活の模様についての、斎藤さんと隈本確先生との往復書簡を、そのまま記載します。
私の姉
初めて書きますが、私の亡くなったすぐ上の姉は障碍者でした。
亡くなるころは腎臓の病気で26歳の若さでなくなりました。
亡くなった姉は、知的障害がありました。
でも、日常生活の中では少し遅いこともありましたが、支障なく生活ができました。
当時、特別学級にいました。
姉は、妹の私が見てもとてもかわいい顔をしていましたし、性格もとても穏やかでした。
そして、目がとても綺麗でした。
姉もはた目から見ても障がい者とわかるくらいでした。
そのせいか、家の中では、私達姉弟は皆仲が良かったし、両親も差別することなくかわいがっていましたが、外の人からは嫌がらせや、いじめがひどかったのです。
ストーブで使う鉄の棒を腕にわざと当てられひどいやけどをしたり、細かいいじめ嫌がらせをずいぶんと受けていたようです。
そういうことがあって、私は子供の頃から人を外見で判断するのは絶対にしない、と決めていました。
そんな中でも、姉はいつも穏やかで優しく一所懸命に生きていました。
感性が豊かだったのでしょう、素敵な詩をいっぱい書いて色んな賞をとっていました。
今の姉は、とても美しく幸せそうです。
そう、生前の辛かったことの何倍も、神様は姉に幸せをくださっている気がします。