暗示と催眠術にかかった低級霊能者と依頼人と憑依霊
ある時、隈本確先生はテレビを見ていると、ある霊能者の坊さんと依頼人とのやり取りが映っていました。
立っている霊能者の坊さんの足もとに、依頼人の男性がうずくまっていました。
それから、その坊さんと、すでにトランス状態(入神状態)に入っている依頼人とのやり取りが始まりました。
坊さんが厳かな口調で言いました。
「あなたにはネコの霊が憑いていますね」
すると、坊さんの足元にうずくまっていた依頼人は、いかにも、その通りだといった調子で、手をモヤモヤッと動かして、「ニャン、ニャン」というのでした。
「あなたは、この人に憑りついている猫の魂ですね」
「ニャン、ニャーン、はい、そうです」
「ハハァー、あなたは、この人間の七代前の先祖さんに殺された猫ですね。」
「ニャーン、ニャン、ニャン、はい、そうです」
と、こんなおかしな対話があった後、さらに、テレビ画面には、坊さんが短いお経をあげた後、ネコの霊なるものにいろいろと指導、アドバイスをして、あげくの果てには
「一日も早く成仏をするように……」
などと言っていました。
まことに腹ただしい状態が映し出されていました。
これは、いったいどういう事なのかというと、要するに、霊能者を自認するその坊さんが、低級段階での霊視にまどわされていた、という事なのです。
その坊さんは、単に自己の潜在意識の奥深く内蔵していた「猫の描かれたカード」を自ら顕在意識に引き出して、彼自身何の疑いもなく、それを「霊視」として語っていたにすぎません。
動物霊について語る低級霊能者の多くは、かつて自分が受けた教え、思想の影響によって既に自己の潜在意識に“ネコの描かれたカード、キツネの描かれたカード”を内蔵しており、時に応じて、これを無意識のうちに顕在意識に引き出しては、やれネコの霊だ、キツネの霊だと喧伝しているいるのです。
この坊さんに限らず、多くの霊能者が、自己の潜在意識を顕在意識化して、それを霊視能力であると勘違いしているのです。
したがって、テレビ出演していたその霊能者なる坊さんにしても、何の疑いもなく、依頼人にはネコの霊が憑依しているとすっかり思い込んでしまっているのです。
言ってみれば、坊さん自身がすでに錯覚に陥ってしまっているか、あるいは、暗示か催眠術にかかった状態になってしまっているのです。
そして、自分ではそれと気づかずに暗示にかかっている坊さんが、まことしやかに「ネコの霊が憑いている」などと言い、さらに依頼人に対して暗示、もしくは催眠術をかけているのだから、ややこしいのです。
また一方、低級霊能者である坊さんに暗示をかけられたその依頼人自らも、すっかりその気になってしまって、自分には確かにネコの霊が憑いている、と思い込んでしまっているのです。
坊さんも、依頼人も、どちらも真実を知らずに、催眠術の世界でただただ遊んでいるばかりで何ともお粗末な話であります。
が、話はそれで終わりません。
まだ始末の悪い事には、ここでは、その依頼人に憑依している憑依霊自体が、自分は生前ネコであった、現在はネコの魂である、と思い込んでしまっているのです。
まことに、やっかいなことなのです。
要するに、この話をまとめると、低級霊能者である坊さん、依頼人、そして、依頼人に憑依している人霊、この三者が共々に暗示にかかり、催眠術の世界で三つ巴となって、ネコじゃ、ネコじゃと踊り狂っている、というのが実際のところでなのです。
私が隈本確先生を尊敬する理由
何ともすごい話ですが、私が隈本確先生を心から信じ尊敬をするのは、こういうところです。
というのは、私が子供の頃よく聞いた動物霊の話、当たり前だと思っていたものを、これだけわかりやすく、それだけでなく、低級霊能者も依頼人も依頼人に憑依している霊までも、暗示にかかり、催眠術の世界で三つ巴になって踊り狂ってる、と、ここまで解明をしてくださったことです。
ここまで解明したという話は、他に聞いたことがありません。
こういう風に解明するには、相当の冷静さというか、自分の感情を全て捨て去って、真実を想いの世界でみるという事は、実はとても難しいことです。
一ミリも自分の思い込み、感情、願望を入れてはなりません。
少しでも思い込み、感情、願望を入れてしまうと、こういう結果は出ません。
いつか私も隈本確先生のように、想いの世界で、真実を見る事ができるようになりたいと願っています。
それは、非常に自分に厳しくなければできないことです。