聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

ごく少数の国だけで信じられている霊的習慣のほとんどは迷信

人間界と霊界とは大きく違う

 

一般に根強く流布されている迷信のうち、すでに動物霊と色情因縁については、見てきました。

 

隈本確先生の目から見て迷信と思われるものは、まだまだ無数あります。

 

例えば、病気や事故の原因を家相や墓相のせいにするなども、日本と、その他のごく限られた国でのみ信じられている悪習なのではないかと思っています。

 

隈本確先生は、常々言っているのですが、日本だけとか、あるいは、ごく少数の国だけで信じられている霊的習慣のほとんどは迷信にすぎないのです。

 

それから、世間一般で行われている法事、法要、その他の祭祀にしても、実在する神霊とはあまりかかわりのない単なる習俗である場合が多いのです。

 

のみならず、現界人の行う祭りごとは、霊界人にとってはしばしば迷惑のタネとなることさえあります。

 

他界した霊魂は、一日も早く霊界での新しい生活になじみ、人間界から遠く離れる事によって、助かり、向上していくものなのです。

 

そうだとすると故人を愛するあまりに、現界に残された人間が嘆き、悲しみ、故人に強い想いを馳せるという事は、かえって、霊界で向上しようとしている霊魂の後ろ髪をひくことにもなってしまいます。

 

法事や法要を行う事で、身内が一堂に会し、その融和を図るのが目的だというのなら話は別ですが、とにかく、人間界と霊界とが全く違った世界であるという認識をもっていないと、大きな混乱を引き起こすことになります。

 

何よりも、人間界で楽しいと思われる盛大な祭りやその他の行事が、霊界人にとっても楽しい事だとは限らないのです。

 

 

  

 

 

法事、法要は習慣

 

>例えば、病気や事故の原因を家相や墓相のせいにするなども、日本と、その他のごく限られた国でのみ信じられている悪習なのではないかと思っています。

 

私もこういうことは、隈本確先生の書かれている通りだと思います。

 

>世間一般で行われている法事、法要、その他の祭祀にしても、実在する神霊とはあまりかかわりのない単なる習俗である場合が多いのです。

 

私も、法事や法要は、内心は必要がないと思っています。

 

でも、一般的には習慣として行われていて当たり前になっているので、その習慣に反対をしてまで異を唱える必要もないと思っています。

 

私などは、実家と離れていますので、法事を理由に姉弟が揃うのもいいのではないかと考えています。

 

それにしても、夫の兄弟は皆県内にいるのに、法事という建前がないと集まらないという……情けない状態です。

 

もう、義母の3年も過ぎたので、こちらも声をかけなくてもいいか、と思いました。

 

それに関しても何も言ってくる気配もないようなので、まあ、いいかなと……

 

>故人を愛するあまりに、現界に残された人間が嘆き、悲しみ、故人に強い想いを馳せるという事は、かえって、霊界で向上しようとしている霊魂の後ろ髪をひくことにもなってしまいます。

 

この件に関しては、生前母が同じことを言っていました。

 

母は、仏教を信じて日神会を知らない人でしたが、日神会と同じようなことを言っていることがありました。

 

人が亡くなっても、特に火葬場では泣くな、と言いました。

 

亡くなった人が成仏ができなくなるから、と言っていました。