聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

心の想いのチャンネルを合わせればいかなる人もいかなる神霊とも交流が可能

隈本確先生の写真を見て自己浄霊

大霊界3」以降は、カバーと扉に、それぞれ隈本確先生の写真を載せてあります。

隈本確先生は、これらの写真の原版に天命界からひいた隈本確先生の守護神の霊流を念じて、封じ込めてあります。

したがって、読者の方々が「隈本先生、お願いします」という深い祈りの想いをもって隈本確先生に対したならば、その方たちは、瞬時にして大霊界の中で隈本確先生と同じ世界に坐ることになるのです。

この場合、隈本確先生に対する祈りが深ければ深いほど、超意識(霊魂交流帯)の分野でしっかりと隈本確先生と結ばれることになります。

そして、隈本確先生としっかり結ばれた読者には、当然、隈本確先生の守護神の霊流が奔流のごとく流れ込んで行きます。

それにつれて、憑依していた霊は浄化され、高き神霊世界へと向上していったのです。

その結果として、必然的に病人は病苦から解放されることになります。

富士山やアルプスがどんなに高いと言っても、実は、それは独立してあるものではなく地球のしわのほんの一部にしかすぎません。

ここでは、人間の心(想い)の世界についても同様に考えてもらいたいです。

人間一人ひとりの顕在意識というものは、人の顔がそれぞれに違うように千差万別です。

しかし、潜在意識となると、各人、かなり重なる部分が出てきます。

これを突き詰めていくと民族意識とか人類意識と言われるものにも通じていくのです。

さらに、これを掘り下げていくと万人共通の超意識の世界へと続いていきます。

この人間の心の深くに広がっている超意識の世界は、その根底で地球上の全ての人々の心と連結しているばかりでなく、大霊界の中に存するすべての神霊と交流することさえ可能なのです。

超意識帯が霊魂交流帯と言われるゆえんでもあります。

そしてもう一つ、ここで、神霊世界及び想念の世界が、時間と距離とを超越した世界であるということを思い出していただきたいのです。

そうだとすれば、たった今、心の想いのチャンネルと合わせれば、超意識の世界では、いかなる人でも、またいかなる神霊とでも交流が可能になります。

ですから、「大霊界」の著書を通じて、隈本確先生と超意識の世界で結ばれるように、想いの世界で努力をしてみてください。

このことは決して隈本確先生はカリスマ的心情からこのようなことを言っているのではありません。

それは、ただ、日神会に直接来ることができない方々が一人でも多くを救済して差し上げたい、という神霊治療能力者としてのお願いから発しているほかありません。

自ら病気を治してみようという希望に燃える人は、とにかく、隈本確先生の守護神であられる超神霊が放射している天命界からの霊流、その光は、あまねく世界を照らす太陽の光が世の隅々を照らして少しも消耗することがないと同様に、何百万人、何億人の人々がそれに触れようとも、決して消耗することはありません。

願わくば、一人でも多くの方々が隈本確先生を媒体として、隈本確先生の守護神の霊流奉持者たらんことを、そして、心身ともに健やかな日々を送っていただきたいと思います。

 

 

  

  

 

 

 

必死だった私

>読者の方々が「隈本先生、お願いします」という深い祈りの想いをもって隈本確先生に対したならば、その方たちは、瞬時にして大霊界の中で隈本確先生と同じ世界に坐ることになるのです。

 

前回のブログで書いた日神会のご本である「大霊界」に初めて私が出会ってから、必死に自己浄霊をしました。

そう、「大霊界」のご本にある隈本確先生の写真を見て胸に隈本確先生を胸に描いて、必死に自己浄霊をしました。

自己浄霊ができなければ、次男に他者浄霊ができないので、これしかないと思って必死でした。

私が次男に他者浄霊が一日でも早く流せるようにならないと、次男がどんな大怪我をするかもわかりませんから。

何しろ、階段を13段転げ落ちたり、一メール位の高窓から落ちた先にレンガがあり、その角に頭をぶつけて縫うほどのけがをしたりとか、他にも自転車から落ちたりと私の不注意と言われればそうかもしれませんが、下手すると命にもかかわりますし、打ちどころが悪ければ植物人間にもならないとも限りません。

もうちょっと心に余裕があったら、ひけているのかどうか気にしたと思いますが、そんなことを考える余裕もありませんでした。

とにかくひけけるようにならなければ、という思いだけでした。

時間を見つけては、霊流を流していました。

いつ頃だったか、気がついたら頭を打たなくなっていました。

本当に心から感謝の想いでいっぱいでした。

ああ、この子がいつか頭に大怪我をしてどうにかなるんじゃないか、という心配をしなくてすんだという事が嬉しくて嬉しくてしようがありませんでした。