聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

未浄化の低級霊は、高き神霊の光とエネルギーを浴びて救済される

宗教的儀式で霊が救われることはない

各種の宗教的行為に感応する霊は中にはいます。

例えば、生前熱心な仏教奉持者だった人は死後、霊となっても仏教的祭祀に感応しますし、生前熱心な神道奉持者だった人は死後、霊となっても神道的祭祀に感応することがあります。

そして、そのような霊が生者への憑依を一時的に解くこともあります。

しかし、いずれにしても、声を高々と出して唱えるお経や、いろいろな供物を供えて行う宗教的儀式で、実際に霊が浄化され、救われるということは考えられません。

例えば、私達人間の場合には、お腹がすいている時にどんなにビフテキの栄養価につて聞かされても、あるいは、握りずしの上手さについて説かれても、実際に空になった胃袋が満たされることはありません。

もちろん、レストランのメニューの模型品をずらりと並べられても、お腹が鳴るばかりです。

お腹がすいた時には、とにかく、実際に栄養価の高いものを食べなければならないはずです。

それと同時に、病気を治す、すなわち神霊を救済するという仕事は、地獄でのたうち回っている霊に、実際に高き神霊の光とエネルギーとをどんどん浴びせかけてやらなければならないのです。

浮かばれずに苦しんでいる霊に対して、どんなに高き霊界の素晴らしさ、心地よさを説いても、それは、絵に描いた餅以外の何者でもありません。

未浄化の低級霊は、高き神霊の光とエネルギーとを存分に浴び、吸収することによって、瞬時にして浄化、救済され、霊界の高きに向上していくのです。

それ、すなわち神霊治療であります。

ある宗教では、病気を治すために、依頼人当人に三年間の読経、その他の修行を行わせています。

その三年間で先祖供養が済み、因縁が切れれば病気は治るというのです。

しかし、それで病気が治らなかった場合には、もう三年間修業をしなければなりません。

それでも治らなければ、さらに三年間修業をするのだそうで、その修業はいったい何年先まで続くのかわかりません。

わずかな人生のうちの長い歳月、くる日も来る日も、言われるままに宗教行事に明け暮れている人達、まったくお気の毒なことです。

 

 

 

 

 

日本人が無宗教はわけ

今回は、上の記事とは全く関係のない話です。

今日何気なくネットを見ていたら、面白いことを書いている記事がありました。

日本人の宗教観です。

私自身は、この宗教観に同意できるわけではありませんが、こんな見方があるのかという面で興味深いと感じました。

日本人の意識には宗教の信仰心というものがない。

江戸時代から進んだ生活を送っていた日本人は仕事をして家族が飯を食い平和になり自由が発生し大衆文化が花開き圧政等経験していない世代が長きに渡って続くと当然のごとく人は信仰心を失っていく。

それまでの神社やお寺は人々の「お守り」と変化を遂げる。

神社にお参りに行ってお願い事をしてもそれが叶うとは思わない。

しかし、今でも受験や人生においての節目に出会うと神社に行って手を合わす。

しかし、それはもうすでに慣習、習わしであって儀式のようなもの、おまけに日本は島国だったので、それも大きく関与し、日本人という意識そのものが宗教のようになってしまった。

道徳、礼儀、遵法精神、理屈理論によって行動する、こうなると当然宗教心といったものは必要でなくなる。

しかし、それは自然とそうなったわけだから、誰もそれが人という生き物が進化した姿だとは思わない。

よって、日本人は宗教を必要としない世界でも例のない民族となっている。

争いがなくなり、自由になれば、他の民族の侵略を経験しなかったら、人間という生き物は日本人のようになる。

宗教心のない日本人にはキリスト教は、浸透しなかった。戦後、アメリカは日本人にキリスト教に変えようといろいろやったがそれは全て見事に空振りとなった。

ところが、浸透したのは、見事に在日韓国人だった。

という記事でした。

この人の説が正解なのか何なのかは、私にはわかりませんが、こんな見方をしたことがなかったので、興味深いと思いました。

私の時代では、江戸時代は専制政治士農工商があり身分差別が激しく、市民を圧政していたと教わりましたが、今はだいぶ違うようです。

今は、江戸時代は、市民は自由と平和を謳歌していたと変わっているようです。

神社やお寺が日本人にとって「お守り」になっているという発想はありませんでした。

欧米の人達から見ると、日本人は宗教を信じていないのに、なぜこんなに礼儀正しいのかと驚かれるといいます。

確かに、日本人にキリスト教は浸透しませんでした。

そして、今の日本のキリスト教の教会の9割が在日の人だと読んだことがあります。

この説に違和感を感じる人がいるかもしれませんが、こんな考え方の人もいると読んでいただければ嬉しいです。