三つの世界
人間界と霊界という二つの世界のほかに、もう一つの世界があります。
それは、私達生きている人間の想いの世界、想念界というものです。
人は、言葉や顔にはあらわさなくても、心の中では、絶えずいろいろな思いを巡らし、自問自答を繰り返し、語り続けています。
そして、もう少し突っ込んで言えば、この現界の人間生活においては、私達の姿形という肉体そのものではなくて、想いの世界、その密かな胸の内こそが主導権を握っているのです。
折々にあらわれる人間のさまざまな心模様、その目には見えない「想い」という主役が、現実の人間生活の形をつくっているのであります。
だから、現在のあなたの姿は、あなたの想念がそのまま顕現化されたものだという事なります。
目に見える第一界世界においては、人は他人に見られている、聞かれているという現実にさらされているから、うまいことを言ってみたり、とかく、いい顔をしてしまうものです。
自分に都合の良いウソとか建前が横行する世界です。
これに対して、第二界世界、すなわち心の世界にあっては、何を考えても他人に見られているということがありません。
聞かれるという事もないというわけで、良くも悪くも、とにかく、様々の本根渦巻くことになってしまいます。
しかし、この第二界世界(心)で考えることの全ては、たとえ同僚や隣人には気づかれていなくても、第三界世界(霊界)に住む霊界人たちには筒抜けであることは当然です。
こうして、知恵と諸感覚に支配される第一世界と心という第二世界、そして霊界という第三界とは、常に複雑に絡み合いながら、交流しているのです。
ところで、この三つの世界に対する人間の志向性も、また様々です。
まず、単純なパターンとして、第一界世界の志向性の強い唯物論者、第二界世界志向性の唯心論者、そして、第三界世界志向性の強い霊媒体質者(霊に憑りつかれやすい体質の人)と分けられます。
これに加えて、混合型とでも言うべきものがあります。
第一界・第二界を、あるいは第二界・三界世界を同時に志向するタイプがそれであり、この混合型の中には、非常にバランスよく三つの世界を志向するタイプの人々もいます。
さて、人間が志向する世界による色分けは、ざっと以上のようなものになりますりますが、いずれにしても、私達が気がついていようがいまいが、第三界世界に住む霊界人たちは、わたしたちの心の内をお見通しという事です。
だからこそ、私達は、自分自身の心のあり方に常に十分な注意をはらっていなければならないと、いつも隈本確先生は言っているのです。
人は、その心の動き方次第で、高き神霊のご加護を受けることができたり、また逆に、低級霊の思いがけない憑依を受けて(憑りつかれて)病気になってしまったりもするのです。
現実世界での統合失調症
>この混合型の中には、非常にバランスよく三つの世界を志向するタイプの人々もいます。
このバランスよく三つの世界を志向する混合型、どんなタイプなのか、と考えてみました。
調べてみると、唯物論というのは哲学で、世界の本質と根源を精神的なものに求め、物質的なものはその現象ないし仮象とみなすとあります。
唯物論というのは、唯心論の反対と考えると、この両方が両立することがわかりません。
このどちらの方でも霊が憑依することがあるわけです。
それはわかります。
現実世界は霊媒体質者のことを統合失調症とよんで、精神病院行くことが多いようです。
私はいつも思うのですが、霊媒体質者は浄霊することができれば、普通に生活ができるのに、家族に浄霊という事に理解がないばかり一生を棒に振っている人がいます。
最近知ったのですが、私の中学時代の同級生の弟さんが統合失調症で入院したままだと言います。
何歳の頃から入院をしたのかはわかりませんが、もう60代です。
同級生は結婚をして両親共に亡くなっているので、同級生の実家は空き家で最近は売りたいけれど、買い手がつかないと言っていました。
買いたいと言っているのは、外国人ばかりだと嘆いていました。
もう一人は、知人の息子さんです。
数年前に見かけたことがありますが、常時、薬を飲んでいるせいでしょう。
反応がとても遅く薄いです。
彼も40代ですし、知人は70代です。
知人の方は、浄霊の話を仕掛けた段階で、はっきり断られてしまいました。
同級生の弟さんの件は、知った時点で弟さんが60代だったので、浄霊の話はしませんでした。
それに遠くに離れているので、細かいケアができないので言いませんでしたが、今でも心の中でモヤモヤしています。