聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

夫婦の性格の違いから考えてみる

夫婦間の違い

次に、浮気の要因の一つとしての、性格の相違ということについて考えてみましょう。

夫婦と言ってももともとは他人同士、普通、生まれてから20年なり30年なりという歳月は、それぞれ全く別々の環境で生活しているものです。

夫婦といえども別個の人間であれば、性格も個性も違って当然です。

けれども、多くの場合、結婚当初は互いに相手をたてるように気を使い、自分自身を抑えているから問題は起こらないのです。

趣味や考え方の違いにしても、違うなりに認めることができます。

もちろん、夫婦がその根底で認め合い、尊敬しあっていれば、性格の相違という事が直接浮気に結びつくという事は、本来考えにくい事です。

しかしながら、結婚生活も5年、10年と続いてくると、互いの心の戒律が崩れ、それに伴って、相手を受け入れようという襟度も狭くなってきます。

すでに結婚以前の生活でつちかわれてきていた個性や性格がむき出しになってくるのは、このような時であります。

こうなると、夫婦でありながら二人の間は、たがいに自分の性格をもろに出して主張を始めます。

例えば、こんな夫婦がいます。

一方は何事にも深く考えてからでなければ行動に移さないのに対して、一方はとにかく敏速で行動するタイプだった場合、一方は思い切りよく一か八かのようなことをするのに対して、一方は石橋を二度も三度も叩いてから渡るというタイプだった場合です。

一方は社交家でにぎやかなことが好きなのに対して、一方は静かで落ち着いた生活を好んでいるといった場合です。

この他、おしゃべりと無口、情熱家と冷静沈着ない人です

浪費家と倹約家……などなど上げ連ねればきりがありません。

また、趣味を一つとってもそうです。

まず、趣味と無趣味人、そして、芸術愛好家とスポーツ愛好家、読書三昧と麻雀狂……

などなど、これまた、きりのない話です。

夫婦が5年、10年と続いてきた共同生活の中で心の張りを失い、自己の心の管理を怠り始めた時、それぞれの性格や個性の違いというものが互いに鼻につくようになってくるものです。

また、こうなってくると、もう、相手の自分と違っている部分が嫌で嫌でたまらないという無意識の想念が沸き上がってきてしまいます。

互いに相手を忌み嫌い始めることにもなってしまいます。

つまり、夫婦のそれぞれがいだく内在意識の闘争という事です。

この夫婦間の性格の相違による不和ということについては、夫と妻が互いにその性格的相違を違うなりに認め合ったうえで、それぞれの個性を大切にしながら暮らしていく以外に解決法はないと思われます。

 

 

 

 

 

+男と女の違い

>夫婦が5年、10年と続いてきた共同生活の中で心の張りを失い、自己の心の管理を怠り始めた時、それぞれの性格や個性の違いというものが互いに鼻につくようになってくるものです。

また、こうなってくると、もう、相手の自分と違っている部分が嫌で嫌でたまらないという無意識の想念が沸き上がってきてしまいます。

 

面白いもので、結婚前は自分とは真反対とのところがとても魅力的に見えたのに、結婚していろんなことがあり、その度にあの魅力的だったところがダメなところに見えてく来て、とても嫌な奴に見えてくるから不思議です。

こんなことを書いている時に、面白い記事を見つけました。

事実婚夫婦の話です。

「気遣い」よりも「舐められない」ことが大事な男社会育ちの夫と、話がかみ合わない理由が理解できた妻の話です。

夫にしてみれば、「実家」に行くのに手土産なんかいらないけれど、妻からすれば実家だろうが義実家だろうが手ぶらでは遊びにけません。

男社会では「舐められないにする」「強い奴が仕切れる」というルールがあるために、家の中でも同じように妻や子供に振るまってしまうのかもしれないと気づいた妻です。

でも、女性社会のルールでは「許容範囲を超える気遣いのなさ」があったら、相手を排除するか縁を切るかのどちらか、妻の周りでも「離婚」はそういうパターンだなあ、と改めて実感しました。

確かに、夫婦間の性格の相違だけでなく、もともと持っている男と女の性の違いということもあるでしょうね。

 

>この夫婦間の性格の相違による不和ということについては、夫と妻が互いにその性格的相違を違うなりに認め合ったうえで、それぞれの個性を大切にしながら暮らしていく以外に解決法はないと思われます。

 

最終的にはこれしかないですね。