本当の親子になれた
前回の続きです。
それから一カ月ほどが過ぎた頃でしょうか。
わたくしは、姑さんの表情がとてもやわらかく丸くなっているのに気がつきました。
もう、以前のように険しい顔つきではなく、また、本を読んだ直後の寂しそうな顔つきでもありませんでした。
そればかりか、その頃から姑さんは、わたくしに笑顔すら見せるようになってきたのです。
そんなある日、わたくしとお茶を飲んでいた姑さんが、ちょっとためらいながら、しみじみとした口調で語り始めたのでした。
「隈本先生の書かれたあの本、『念と病気』の中にあった先生のおばあちゃんの話……、死んで地獄に落ちて苦しむのは嫌ですね、米子さん。でも、人間は心を入れ替えた瞬間に救われる、助かる……と、私は、そんなふうにあの本から察しましたよ。
私はあと何年生きられるかわからないけれど、あの世では立派な美しい世界に行かれるように、今までのことを反省していこうと思っています。米子さん、よろしくお願いね」
わたくしは、義母のこの言葉を聞いたとたんに、雷が心臓を走り抜けて行ったような強い衝撃を受けました。
そうして、次の瞬間には目頭が熱くなってきたのでした。
—―反省すべきなのは義母ではなく、このわたくしではなかったのか!
思えば、この家に嫁として来てから三十年近くの日々、その最初の日から、わたくしの方で義母を煙たい存在として、忌避していたのではなったか。
この義母は大変難しそうな人、厳しそうな人と、わたくしの方で最初から決めてかかっていたのではなかったか、わたくしがそういう風に決めていたばっかりに、義母はあんなふうになってしまったのかもしれない。
わたくしは、自分でそう思いあたると、この辛かった三十年近い歳月、その辛さゆえに、ますます義母をいとわしい存在に思っていた自分の心の醜さを知ったのでした。
そこでわたくしは、姑さんが
「米子さん、よろしくお願いね」
といった、その言葉尻に追いすがるようにして、慌てて言いました。
「お願いだなんて、お母さん、とんでもない……。だって、親子じゃないの。子供のわたくしこそ、よろしくお願いします。可愛がってくださいね。わたくしも、お母さんに一生懸命お仕えしていきますから……」
この言葉のやり取りがあって以来、わたくしたち親子は、初めて本当の親子になれたようです。
最近ではもう、義母は「米子さん、米子さん」です。
そして、わたくしも「お母さん、お母さん」で、本当に心楽しい毎日を過ごしております。
以上が嫁である自分が姑さんとの難問を見事に解決した太田米子さんの告白でありますが、相克のしがらみを超越界の想念で、ともどもに乗り越えたわけであります。
これら家庭内の問題は、もはや神霊能力者の仕事の分野ではありません。
それは、あくまでも個々の人間が自由に有する想念世界の問題と言うべきです。
わたくしたち人間がもつたった今の想念いかんでは、この世にありながら、すでに魔界が現出します。
また逆に、その想念いかんでは、この世にありながら、至上の喜びに満ちた生活を約束をされることでしょう。
人は、良くも悪くも、その想念に見合った環境や事態を自ら作り出していくものなのであります。
だからこそ、私達は目に見えないけれども霊界の存在を信じて、そして、将来行くであろう高き神々の住む美しい世界を対象にした毎日の想念の生活を心がけなければならないのです。
実家の祖父の終末
今回の記事に関係ないのですが、大谷選手がドジャース入りに決まりました。
野球に詳しくない私でも、大谷選手の人間的魅力に取りつかれて、2~3年前に大騒ぎをしていました。
何がいいって、お金にとらわれず野球が好きで、野球に全力を尽くす姿は見ていて本当に魅力的な選手です。
あれだけの有名人になると、天狗になってもおかしくないのに、そんな様子もなく淡々といつも通り野球をしています。
日本人だけでなく、アメリカ人もとりこにしたようですね。
敵チームのファンまでもとりこにしてしまう選手なんて、聞いたことがありません。
話は、上の記事の話に戻ります。
>『念と病気』の中にあった先生のおばあちゃんの話……、死んで地獄に落ちて苦しむのは嫌ですね、米子さん。でも、人間は心を入れ替えた瞬間に救われる、助かる……と、私は、そんなふうにあの本から察しましたよ。
私はあと何年生きられるかわからないけれど、あの世では立派な美しい世界に行かれるように、今までのことを反省していこうと思っています。
どんな人でも、人生の終末になると自分の死後を考えるようです。
私の実家の祖父は、とても強い人でした。
自分の考えを押し通すためには、血も涙もなく周囲の人達に恐れられていたと、母から聞いていました。
その代り、気にいった人に対しての面倒見はとても良かったと聞いています。
祖父は、いつも家族ににらみを利かせていました。
どんな寒い日でも少し戸を開けさせ、家族が何をしているのか監視をしていました。
そんな祖父でも、80代半ばになるころは仏教の本をよく読んでいました。
祖父はお経ではなく、お釈迦様の教えを書いた本を読んで片時も離さずにいました。
あの強い祖父でも、こんなふうになるのかと、口には出しませんでしたが、私は内心驚いていました。
祖父は自宅で亡くなり、介護は父が中心に母と共に介護をしていました。
父の自慢は、祖父の床ずれをつくらなかったことでした。
93歳で亡くなりました。
亡くなる前は、夏の軽い布団でさえ重いと言っていたと弟が教えてくれました。