聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

高級神霊のお力で低級霊を即浄化

高級神霊をいただいていれば低級霊も大丈夫

 

隈本確先生は、神霊能力者として霊を自分の体にかからせて治療(憑依霊の浄化、救済、それによって病気が治る)するのですから、霊との接触はとても多く、強い霊媒体質者だと言えます。

 

しかし、隈本確先生は強度の霊媒体質ですが、隈本確先生の心身は、一方的に低級霊の憑依を受けて苦しむようなことは皆無です。

 

何故なら、高いご守護神のお力をいただいているおかげで、憑依してきた霊を即座に浄化することができ、体の中にその低級霊が長くとどまらせることがないからです。

 

そのうえ、隈本確先生の魂自身も、悪霊や他から加えられる悪念を跳ね飛ばすだけの十分なパワーがあるのです。

 

でも、若い頃の隈本確先生は違いました。

生まれつき強度の霊媒体質だった隈本確先生は、霊媒体質のための心身の苦しみをたくさん受けてきました。

 

13歳~14才頃から40歳くらいまでの隈本確先生は、肉体の苦しみと精神の苦しみに加えて、予知をはじめとした無数の霊的怪奇現象にあっています。

 

隈本確先生の予知は、毎日で、多い時には10件もあったといいます。

 

 

 

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祖母が死んだ夢を見た

 

私は、今思えば身体的には霊の憑依があったのではないか、思えるものは少しはあったと思いますが、不注意(ドジ?)と思われるものがけっこうありました。

あれも霊の憑依だったのかな……と思います。

今では、ほとんどないのでたぶんそうだったのではないかと思います。

 

霊が見えるとか予知とか聞こえるとか、そういうのは全くありませんでした。

好奇心で自分が大人になったらどんな生活をしているのか、とかどんな人と結婚するのか、という事を知りたいと思ったりもしました

 

ただ、知り合いが亡くなる日時が分かったりするのは嫌だな、と思っていました。

 

子供の頃、祖母が亡くなった夢を見て目が覚めた時の後味の悪いこと、と言ったら本当に気持ちが悪かったです。

 

子供の頃の私は、祖母のことを好きでも嫌いでもありませんでしたが、やっぱり産まれた時から一緒に暮らしている家族が死んだという夢は、イヤなものでした。

 

あまりに嫌な気持ちだったので、母に話したら「人が死んだ夢というのは、逆夢と言っていい夢なんだよ」と言われ、ほっとした覚えがあります。

 

隈本確先生の言う予知というのは、実際に人の死もあててしまう、としたら自分が人殺しをしたわけでもないのに、イヤな気分でしょうね。

 

 

 

 

死の壁に近い人と近い霊

霊媒体質の人

 

霊媒体質の人は、低級霊の憑依を受けて、しょっちゅう病気ばかりしている人がいます

 

病気知らずで健康そのものの人でも、不自然なほどしばしばケガをしたり、不意のアクシデントに見舞われやすい人がいます。

こういう事故傾向のある人も霊媒体質の中に入ります。

 

現界と霊界は死の壁によって分けられています。

と言っても、現界と霊界は本来一つのものです。

 

現界である人間界は、五官(眼、耳、鼻、舌、皮膚)で把握されます。

 

これに対して霊界は、五感(五官によって感じられる五種の感覚)を超えた想念だけの世界で、俗にいう第六感でしか認識されない世界です。

 

霊界でも死の壁に近くにいる霊ほど人間界側に幽霊となってあらわれたり、種々の怪奇現象をあらわす存在なのです。

 

人間の体に憑りついて病気の原因をつくったり、事故を起こさせるのも、これら死の壁付近にたむろしている霊たちです。

 

このように人間界に近づいている霊の多くは、まだ自分が死んで霊界の住人になっていることをはっきり認識していない低級霊なのです。

 

実際は霊界にいるのにもかかわらず、人間界で生活をしていた時の想念をそのまま持ち続けていて、人間界にさかんに介入しようとしているのです。

 

つまり、霊界という存在を認めず、自分が人間である事を主張しようと、さかんにもがいているのです。

 

逆に、この死の壁から遠ざかれば遠ざかるほど、その霊は人間界の想念から遠ざかり、霊界での向上の道を歩んでいます。

 

一方人間界側は、死の壁に近づけば近づくほど、その人間は霊のかかりやすい霊媒体質となっていきます。

 

幽体密度の濃い人ほど、死の壁の近くにいます。

このような体質を持った人は、霊との交流が盛んで、人間界にいながら霊の姿が見えたり聞こえたり、霊界の色々な様子が映ってきます。

 

そして、本人の意思にかかわらず、予知現象が頻繁に起こってきます。

 

一般に言われている霊能者や予知能力者と言われる人は、体と心の素質が普通以上に死の壁の近くにいる人です。

つまり霊媒体質です。

 

霊媒体質の濃い人ほど死の壁により近づき、より一層、予知や霊感が盛んに生じてくるのです。

 

霊媒体質の人には、死の壁の向こう側にいるはずの色々な霊がやってきて体に侵入し、普通ではわからないことを教えるからです。

 

例えば、誰それはいつ死ぬとか、あの人はいつどこで、どんな事故にあうとか、五分後に電話がかかってくるとか、現界人の常識ではわからないことをささやきかけてきます。

 

時には、法外な供養を要求をしてきたり、わざと嘘の予知をささやきかけてくることもあります。

 

このようなことは、現界に出没する霊が未浄化な低級霊であると知ると、容易に納得できる現象です。

 

幽体密度の濃い霊媒体質者は、それだけ霊障による病気も多いのです。

 

霊媒体質というのは、生まれつきという事が多いのですが、後天的なこともあります。

 

後天的な原因は、運動不足や睡眠不足など一般的に考えられる不健全な生活は、後天的な霊媒体質をつくります。

 

逆に本来は霊媒体質であっても、規則的な運動や十分な睡眠、心の安定など、気を付けて生活をすると幽体密度の低い健康な体をつくることができます。

 

人間界にあって死の壁から遠ざかったところにいる人は、予知とか霊による怪奇現象など、理解ができません。

 

死の壁から遠ざかれば遠ざかっている人ほど霊の交流は無くなるので、このような人にとっては霊界の存在すら信じられないものになります。

 

 

 

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次男の宗教嫌いの原因は私

 

病気知らずで健康そのものの人でも、不自然なほどしばしばケガをしたり、不意のアクシデントに見舞われやすい人がいます。

こういう事故傾向のある人も霊媒体質の中に入ります。

 

以前、次男が小さい頃によく頭を打って困った、という事を書いたことがあります。

 

次男に他者浄霊をしたことによって、頭を打たなくなりましたので、私が思っていた通り、次男は霊障だったのだと思います。

 

ということで、次男は霊媒体質だったのではないかと今になって思っています。

 

家の子供たちは3人とも病気はほとんどしませんでしたが、細かいケガやミスが多かったので、今思えばやはり3人とも霊媒体質だったのではないかと思います。

 

今は成人して強くなった部分もあるでしょうし、私も子供の頃からズーッと他者浄霊を続けていますので、それも大きいのではないかと思っています。

 

今次男は、宗教という宗教は全く受け付けません。

次男に言わせると、うまくいったときは神様のおかげで、うまくいかない時は信仰が足りないから、なんていうのはおかしい、自分だって努力をしたのに、自分の努力は全く評価されないのはおかしい、と言っています。

 

次男にこんなことを言われても仕方がありません。

次男にこんなことを言わせたのは、私のせいなのです。

 

私としては、聖の親様のお力をわかってほしくて言ったことが、次男を傷つけていたのです。

 

というのは、次男は親の私が言うのもなんですが、大変な努力家です。

 

彼が努力をしてうまくいったときに彼を褒めることを忘れて、必ずと言っていいほど聖の親様のおかげだ、と言っていたのです。

私の想いが裏目に出てしまいました。

 

本当に反省です。

それを知った時もちろん謝りましたが、後のまつりでした。

 

でも私は、うまくいったときは聖の親様のおかげだとは言いましたが、うまくいかなかったときに信仰が足りないとは言ってはおりません。

次男にそこまで信仰は押し付けてはおりません。

 

 

幽体

人間は魂と肉体、頭脳からできている

 

隈本確先生は、いつも人間は魂と肉体、頭脳の三つからできていると言っています。

 

そして、その三つの中の魂が主で、肉体及び頭脳は従であるという事も言っています。

 

魂は霊魂であり、生霊でもあり、生命の源であると同時に、意志の発現体でもあります。

 

したがって魂とは、私達人間の日々の生活を牛耳る深奥の司令塔だという事です。

意志エネルギー、あるいは念とは、この魂による決断や命令の持続を言うのです。

 

魂から発せられた強い念に対して、頭脳も肉体も90%以上従順にこれに従っています。

 

魂、肉体、頭脳の三要素は、それぞれ非常に霊妙なやり方で連絡をとっているといいます。

 

三要素のうちの頭脳は、形態的には肉体の一部に属していますが、そこにおいて重要な機能を果たしています。

ですから頭脳は、肉体と同様に現界的な存在と言ってもいいでしょう。

 

魂は、人の中心、核である魂の存在なのです。

この魂というのは、人ひとりに必ず備わっています。

魂の存在こそが、すべての人が霊性を持っているという証なのです。

 

人間の魂と肉体、頭脳という三つ構成要素を神霊学的に見て、非常に重要なもう一つ要素で幽体というものがあります。

 

幽体というのは、人間の生命の源である魂と肉体及び頭脳を結ぶ連結媒体であると同時に、他の霊との媒体役もします。

 

幽体というのは、色々な霊の波動をキャッチして、それを魂に伝える役目をしています。

人の死の瞬間には幽体は魂と共に肉体と頭脳から離れます。

 

健康な人というのは魂、肉体、頭脳が程良いバランスを保ちながら働いている人のことを言います。

そのためには幽体もまた、程よいバランスを保ちつつ機能していなければいけません。

 

幽体密度の濃度には個人差がありますが、濃度が濃い人ほど霊の波動を受けやすい霊媒体質になっていきます。

何故なら、霊の幽体と人間の幽体とがそれぞれの憑依の仲立ちとなっているからです。

 

このような人たちは、本人が気がついていなくても、現界にいながらいつも霊界と接触を持つことになります。

 

その結果、低級霊界の波動を受けて、しょっちゅう体のあちこちが痛んだり、気分がイライラしたり、鬱の状態になるのです。

 

特に、意志の発現体の魂の力が弱く幽体密度の濃い人の場合は心身ともに不安定で、意志薄弱な場合が多いのです。憑りついた憑依霊の種類によっては精神障害に陥ることもあります。

 

言いかえれば、幽体密度が濃いという事は魂の力が弱小で、肉体や知恵に対する支配力が弱いという事です。

 

逆に、幽体密度が薄いという事は、それだけ全身を支配する魂の波動、力が強大だという事です。

 

隈本確先生は、いつも、高級霊は人間の霊視に映らないと言っていますが、高級神霊になればなるほど、人間界にいた時から持ち続けていた幽体が消滅していくので、霊視に映らなくなってきます。

つまり、人間側の幽体に反応するべき幽体がないのです。

 

これに反して、人間界から引きずっていった幽体を死後もそのまま魂に付着させている未浄化の霊は、生者側の幽体に反応して、生者側から見れば、そこに霊の憑依や霊障がおきてくるのです。

 

日神会の神霊治療は、以上の原理を元に行われています。したがって、神霊治療を受けると体に憑依をしていた霊の幽体が浄化されると同時に、当人の幽体密度も薄くなっていきます。

 

もちろん神霊治療後は高級神霊と魂の結びつきも深くなるので、当人のその後の内的成長次第で、この世に奇跡をあらわすことも可能です。

 

 

 

 

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スッポリ抜けていました

 

今こうやって読み返していると、私は読んだはずなのにこの部分はすっぽり抜けていて覚えていませんでした。

反省です。

やっぱり何度も何度も読み返すべきですね。

 

こんなに大事な内容を全く覚えていないとは……

 

>幽体というのは、人間の生命の源である魂と肉体及び頭脳を結ぶ連結媒体であると同時に、他の霊との媒体役もします。

 

幽体が魂と肉体、頭脳を結ぶ連結媒体だとは……

しかも他の霊の媒体役をもしているという事です。

 

>幽体というのは、色々な霊の波動をキャッチして、それを魂に伝える役目をしています。

 

幽体は、色々な霊の波動を受け取って、それを魂に伝える役割もしている、だから霊の波動を感じるのですね。

 

>人の死の瞬間には幽体は魂と共に肉体と頭脳から離れます。

 

その他にも死ぬときは幽体は魂と一緒に、肉体と頭脳から離れるんですね。

 

私は日神会しか知らないので、他の宗教ではこういう事を言っているのかどうかわかりませんが、私自身は今まで聞いたことも読んだこともありません。

やっぱり隈本確先生は凄い方だと思います。

 

>幽体密度の濃度には個人差がありますが、濃度が濃い人ほど霊の波動を受けやすい霊媒体質になっていきます。

 

もう目からウロコです。

 

>日神会の神霊治療は、以上の原理を元に行われています。したがって、神霊治療を受けると体に憑依をしていた霊の幽体が浄化されると同時に、当人の幽体密度も薄くなっていきます。

 

気持ちを新たに神霊治療を行いたいと思います。

 

 

 

 

霊の存在

霊の存在は″ない”のではなく"認識できない”

 

隈本確先生は目に見えない霊の存在を説明するために、放送局から送られてくる電波とテレビに例えています。

 

「放送局から送られてくる電波は、姿も見えないけれど、テレビという装置を通すと、画面は見えるし音も聞こえますね。実際、私達の周りには、昼夜を問わずものすごい量の電波が飛び交っていて、電波の中で生活をしていると言ってもいいくらいです。

霊というのも、丁度電波と同じように、実際にはあるのに人間の目には見えないんですね。だから、私達は霊界の中で生活をしている人間集団、物質界のほんの一部分を形成している存在にすぎないわけです。霊界こそが全体であって、人間界はその中に含まれる微小な部分にすぎません」

 

特別霊を扱う仕事していない一般の人の中にも、霊が見えるという人はたまにいます。

 

霊の波長とその人自身がもつ波長とがあった場合に、そういう現象は起こるのです。

 

つまり、霊の存在が見えたり聞こえたりする人というのは、霊の波長に対してその人間が受信機の働きをしているのです。

 

そうだとすれば、普通霊の存在が分からないというのは、霊の存在が゛ない”という事ではなく、それが゛認識できない”という事になります。

 

たった今、このブログを読んでいるあなたのすぐ隣にも、ひっそりと息をひそめて霊はいるはずです。

 

隈本確先生が言われるには、霊と人間との共存生活の場です。

霊界と現界とは、全く別の所にあるのではありません。

 

 

 

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まだまだの私

 

さすが隈本確先生、元電気屋さんです。

わかりやすいですね。

 

以前、私の弟がこの隈本確先生の説明がとても分かりやすい、と言っていました。

 

>普通霊の存在が分からないというのは、霊の存在が゛ない”という事ではなく、それが゛認識できない”という事になります。

 

霊の存在が分からないというのは、霊の存在がないという事ではなく、認識できないという事になる、ということはわかります。

 

日神会の会員になっても、霊の存在が認識できませんでしたが、年数がたった今は、少し認識ができるようになりました。

 

でも、私の周りでも霊の話を相手がどう思うか、などと気にしないで話せる人は多くはありません。

話せる人はごく限られています。

 

わたしとしては、霊の話というより、自分が日神会という素晴らしい宗教を信じているという事を、相手にどう思われるかなどと気にしないで言えるようになりたいと思っています。

 

これは、私自身の問題だと思っています。

相手がどう思うが、気にしなければいいのだと思いますが、今の私はまだまだ言えないでいます。

 

この気持ちを持ち続けていれば、いつか言える日が来て、いろんな人に浄霊をしてあげられる日が来ることを願っています。

 

今の私は弱虫ですが、いつかきっといえる日が来ると願っています。私の肉体があるうちに、現実となる日が来ますように……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死者の魂が救われていたら素晴らしいことに

死者の魂が救われていたら・・・

 

隈本確先生が言っています。

もし、死者の魂が霊界で全て救われているとしたら、人間界側に出没しては、生きている人間を苦しめるような悪霊や低級霊の存在はないはずですと。

 

もちろん、人間の病気も約70%くらいは亡くなるでしょうとも言っています。

 

不慮の事故派はグッと減り、霊的怪奇現象もずいぶんと減るでしょう。

 

でも、現実は病気で苦しむ人はとても多いです。

人は死を迎えると、魂だけが肉体を離れ、霊界に移行します。

 

その死者の魂の広い霊界の行き先は、当人が肉体人間として現界で過ごした最終日までの想念によって、自動的に決定されます。

 

そこで、霊界のある程度のところに移行した魂は、霊界人としての自覚をもって、以降、霊界のより高い段階に向かって向上していくことになります。

 

ところが、霊界でも地獄霊界のような低級霊界に移行した魂は、霊界人としての自覚もなく、自らの向上の道を見出すことができないでいます。

 

その結果、それ他の迷える低級霊たちは、死の壁を逆に突き破って、人間界にあらわれるという霊界人としては邪道の行為を行うのです。

 

 

 一旦霊界入りした霊が、古巣である人間界に逆戻りしてくるところに、低級霊の人間に対するさまざまの憑依現象が生じてくるのです。

 

このように、すでに霊界に入っていながら完全な霊界人となれなかった低級霊の中には、まだ自分が死んでいることすら悟っていない霊も多いのです。

 

そういう霊は、だいたい、生前、唯物論的思考の持ち主で死後の世界の存在を否定し神、仏、霊を信じなかったものほど、霊界での目覚めは遅いのです。

 

そして、死の自覚がないので、人間界にあらわれては、生きている人間にいろいろなことを語りかけてきたりするといいます。

 

いわゆる幽霊とか怪奇現象の多くは、、これらの霊界と人間界とを行ったり来たりしている見浄化の霊の姿なのです。

 

現界人に対して、己の欲求するままにやたらに供養を要求してきたりするのも、霊界人として未浄化な低級霊の仕業です。さらに、病気、事故、災難の多くは、地獄でのたうち回る霊が、その苦しみを現界に棲む人間に転嫁して解消しようとするところに生じた現象です。

 

こうして、この現象界に特有の色々な苦しみ、つまり、病気、事故、不慮の災難などが発生してくるのですが、それが現界にUターンしてきた低級霊の仕業としたら、病気がちの人ほど霊の憑依をより多く受けていることになります。

 

よく事故にあう人ほど、より多くの低級霊と交流を持っていることになります。

 

 

 

 

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私が日神会と出会ったきっかけ

 

私が日神会と出会ったきっかけは、今までも何度か書いていますが、次男がきっかけでした。

 

次男が、生後一年ほど過ぎたあたりから、よく頭を打つのです。

本当に毎日です。

 

そのうえ、3カ月に一度は階段を十数段転げ落ちるとか、長男と次男が闘いごっこをしていてその時に網戸が外れて外に落ちて、落ちたところにレンガがあって頭を打ち、針で縫うけがをしたり、他にも書きだすとキリがない、というくらい頭を打っていました。

そのたびに病院です。

 

母親の私が一緒にいる時は気を付けているのですが、私も忙しいので、四六時中次男に張り付いているわけにもいかず、本当に大変でした。

 

そのうえ、次男は夜泣きがひどく、そんな状態でも夫は「俺は明日仕事だ!泣かすな!」と言って、私一人で次男をもうろうとしながらあやしていた状態でした。

 

今思うと悪循環でした。

もう目の前のことをこなすことでいっぱいいっぱいで、夫に怒る気力もありませんでした。

 

今思えば、たぶん次男や私に、そして、家の中にも悪霊だらけで悪霊の住み家だったのではないか、と思います。

 

あの時私が思っていたのは、とにかく次男が頭を打たなくなってほしい。端から見たら私の不注意に見えるとは思うけれど、きっと悪霊のせいだ、と私は思っていました。

 

でも、次男に憑いている悪霊を祓う、といってもどこにお願いをすればいいのか、全く見当もつきません。

 

漠然とですが、変なところに行ったら危ない、という事だけは思っていたので、動けませんでした。

 

そんな時でした、たまに行く本屋さんに何気なく寄ったら、「大霊界」のご本があったのです。

 

私は、導かれるように、「大霊界」のご本の前に立ち、ご本を手に取りました。

 

パラパラとめくって少し読むと、私が今まで不思議に思っていた霊のことや、他にも疑問に感じていたことなど、いろいろ書いてあって、この本は絶対に読みたいと思い、3冊を買って帰りました。

 

その日の晩は、「大霊界」のご本を読んでいて、ほとんど眠っていなかったと思います。

 

次男を救うのはこれしかない、と思い、即自己浄霊を行い、それからうまくいくのかどうかも考える余裕もなく、これで次男を救うしかない、そんな思いで次男に他者神霊治療をを行いました。

 

自分でエネルギーが流れているのか流れていないのか、感覚としては全くわかりませんでした。

夢中でした。

 

次男に浄霊を流して数日後には、あんなに頭を打っていたのに、嘘のように頭を打たなくなっていました。

 

やっぱり次男には悪霊がついていたのだと思います。

本当にうれしかったです。

 

その次男が、日神会に救われたというのに、宗教をはっきりと否定していて残念です。

 

わたしとしては、次男だけでなく、子供たちは全員霊界の高いところに行ってもらいたいのですが……

 

思うようにはいかないものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魂が総元締め

死とは怖くない

 

人間は、肉体と頭脳と心(魂、想念)の三つから成り立っています。

この三つの総元締めと言える存在が、心です。

 

心(魂)が、健康に機能していないと、肉体と頭脳の健全な活動はあり得ないと、隈本確先生は言っています。

 

もっとはっきり言うと、肉体とは、心を包むカラのようなものだそうです。

 

だから、人はこの世で一定の期間を過ごすと、古びたカラを捨てて魂だけの存在になって、永遠の霊界へと旅立つのです。

 

死とは、肉体と頭脳の滅亡を意味しますが、同時に魂の霊界への誕生を告げるものでもあるのです。

 

゛この心”゛この想い”が、永久の霊界で生き続けるものだとしたら――。

 

死とは、そんなに怖くないのではないでしょうか。

死に対する恐怖は、現界にしか通用しない頭脳によって生み出された観念なのです。

 

夜、隈本確先生が魂を霊界に飛ばして霊界探訪をしたとき、隈本確先生に霊界のすばらしさを訴えてくる霊人がいるそうです。

 

「こんな素晴らしい、美しい霊界にあなたも早く来ませんか」と言われるそうです。

 

それらの霊人はこういう事も言うそうです。

「あんな汚れた現界には、もう二度と帰りたくない」だそうです。

 

ただこういう霊界を賛美している霊人は、すでに霊界である程度の地位と格を得ている存在なのだそうです。

霊界は、実はそういうところばかりではありません。

 

 

 

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水原一平さんは縁の下の力持ち

 

今回の話は、上に書いた話とだいぶ違うかもしれませんが、私的にはほっこりした話なので、ほっこりした気持ちを忘れないうちにここに書きたいと思います

 

私は、スポーツ観戦にはほとんど興味がありませんでした。

 

というか、今でもほとんど興味がないので見ませんが、最近の大谷翔平選手だけは気になって、今まで日本の野球すらほとんど見たことがないのに、大リーグの野球をネットの動画を夢中になって見ています。

 

夫がヤクルトスワローズが好きだったので、お付き合いで神宮球場に何度か応援に行ったことがある程度です。

 

一応野球のルールは知っています。

サッカーよりはルールを知っています。

 

大谷翔平選手が好きな理由は、ものすごい才能の持ち主で、それを鼻にかけることもなく、いつも穏やかで野球にはとてもストイックだというところです。

 

よくゴミを拾っていますが、彼がゴミを拾う理由が面白いです。

人が捨てた福を拾っているのだそうです。

 

彼は、今まで誰も成し遂げたことがない凄いことをしているというのに、実に淡々と目の前のことをこなしている、というところが好きです。

 

そんな大谷翔平選手ですが、少し前の話ですが、ダグアウトにいた時に、ファールボールが飛んできて、大谷選手が頭を守ろうとした際に、ボールが右手親指に当たったという事でした。

 

そのため大谷選手は打者としては出場できるけれど、投手は出場できないという事でした。

 

そのせいだと思うのですが、私が見た動画に珍しくイライラしている大谷選手が映っていました。

 

大谷選手がほとんどしたことがないと思われることをしていました。

飲み干したペットボトルを投げつけたのです。

 

そんな大谷選手を心配をして色んな選手が、そばに座ったり、いつもならちょっかいを出す選手も黙って、大谷選手を心配そうに見ています。

 

もちろん彼の通訳をしている水原一平さんも彼のそばに座ったり、少し離れたところから心配そうに彼を見ています。

 

一平さんが大谷選手のそばに座っていた時でした。

またファールボールが、ダグアウトに飛んできました。

 

その時は、大谷選手の前にコーチが座っていました。

一平さんがファールボールに気がついて、すぐに大谷選手の前に立ちました。

 

一平さんがなぜ大谷選手の前に立ったかというと、大谷選手をファールボールから守ろうとしたのです。

 

結局その時のボールは、目の前にいたコーチが取ったので、一平さんも大谷選手も無事でした。

 

最初、大谷選手は事の状態が分からなかったようですが、しばらくして一平さんがじぶん守ってくれたと気が付いたようでした。

 

大谷選手はしばらく怖い顔をして一平さんを見ていましたが、その後はいつもの大谷選手に戻り、一平さんとおしゃべりをしていました。

 

 

 

大谷選手が大活躍できるのは、一平さんの力も大きいのかもしれません。

病気の約70%は霊障

病気の約70%は霊障

 

隈本確先生は、病気の約70%は霊障だと言っています。

低級霊が人体の色々な箇所に憑依をして肉体上の疾患を引き起こしているといいます。

人体のほとんどの箇所が神霊治療で治せます。

 

私達人間が気づいていなくても、目に見えない無数の霊が、私達人間の生活の中に入っているのです。

 

どんなに健康に自信がある人でも、二回や三回は体のどこかが具合が悪くなった経験はあるでしょう。

 

隈本確先生は、言っています。

そうした体の故障の約半数までは、霊が原因しているのだそうです。

 

というのは、隈本確先生のところに来る病人の半数以上の人たちが、日神会の会員による神霊治療で治ってしまうからです。

 

病気あるいは、病気とまで言えないまでも体の不調の多くは、迷える霊の救われたい一心の自己主張と受け取っていいそうです。

 

すでに肉体が無くなって、その魂は霊界にありながら、霊界での向上の道を進むことのできない低級霊は生きている人間の体に入り込んで、己の苦しみを解消しようとしているのです。

 

しかも、霊というのは、人間の日常生活のいたるところにいるのですから、日頃からかなり健康に自信のある人でも、何かの拍子に不意に霊をしょい込んで、寝込んでしまうようなことも起こってきます。

 

古い神社、仏閣、深い森の中にある祠の塚ばかりが、霊の住処ではありません。

 

家の中でも、道でも、電車にも、レストランにも、公園にも、霊はうようよひしめいているのだそうです。

 

 

 

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霊はどこにでもいる 

 

家の中でも、道でも、電車にも、レストランにも、公園にも、霊はうようよひしめいているのだそうです。

 

普段生活をしていて私は、ほとんど霊の存在を意識をしたことがありませんが、こんなふうに書かれると、いつも誰かに見られているのかと思うと不気味ですね。

 

霊媒体質の人は、霊にみられているという事を常に感じているとしたら、ある意味盗撮されている感じにも似ているのでしょうか?

 

ありがたいことに私は、そういう感じはありません。

自分が知りたいと思ったときに、チャンネルを合わせると、感じるという感じです。

 

2チャンネルのまとめで読んだことがあります。

強迫神経症の人でした。

 

色んな動作の後に必ずドアノブに触らないといけない、という声が聴こえるというものでした。

 

自分の頭では、そんな必要などない、とわかっていても触れ!という声が聴こえてきて、触ってしまう、というものでした。

 

端からは何でそんなにドアノブばかり触っているのかわからないので、変な人扱いされて、その声のいう事を聞かなければいい、とわかっていても触ってしまうという事で本人は大変悩んでいたけれど、病院に入院をして治ったという事でした。

 

こういうのは、その声のいう事を聞かない、という事と自己浄霊をすると、割と簡単に治りそうです。

 

でも世間ではそういう事を知らない人が、多いですよね。残念です。