確先生が体験した予知
今回は、隈本確先生の体験した予知の話です。
この話は、確先生がまだお父さんが経営をしていた家庭電気器具の大型販売店で働いていた頃の話です。
確先生は、そのお店で専務として働いていました。
そのため確先生のところには、十数台の保有自動車がありました。
その中にオート三輪自動車というものがありました。
今では見る事がないのですが、当時はとてももてはやされていました。
このオート三輪は、主に従業員の井出さんの仕事でした。ある時、確先生が何気なく会社の倉庫車庫へ行ってみると、井出さんが、在庫品の整理をしているところでした。
確先生は「ああ、井出君、やっているな」、そう思いながら、確先生がそのまま通り過ぎようとした時でした。
確先生は、不意に何かに引っ張られるような感じがしたので、井出さんの後ろ姿から目が離せなくなってしまいました。
と、どうでしょう。
しばらくジーッと井出さんの後ろ姿を見ていた確先生の視界に見えたのは、四輪自動車を運転している姿の井出さんの姿でした。
—―おかしい、井出君は、三輪自動車の免許しか持っていないはずなのに……。
確先生は、そう思いながら、なおも、確先生の心眼に映る井出さんの姿を追ってみると、突然、井出さんが運転している四輪自動車と対抗してきたトラックがガーンと衝突し、さらに、横から突っ走ってきた四輪自動車がこれに突っ込み、三つ巴になった三重衝突の光景がありありと見えてきました。
—―やったな!!
思わず心の中でそう叫んだ確先生は、ハッと我に返りました。
それで、確先生は井出さんに四輪自動車には乗らないようにと注意をしました。
井出さんは、免許もないのに乘るわけもないのに変な専務だと思っていたようです。
「なんだあの専務は、やっぱり噂にたがわず、あの専務は馬鹿ばい。気ちがいばい……」と。
この井出さんの思ったことも、確先生には筒抜けだったようです。
でも、この確先生の予知は的中してしまいました。
長崎の地元新聞の夕刊の一面トップに「松隈電機の車、諌早市で三重衝突」と大々的に報じられたのは、それから10日後でした。
これも、確先生の超意識帯から潜在意識帯を通して、未来に起こる出来事を霊界人がカラーの風景の形で知らせてきた事による予知現象でした。
私のたった一つの予知体験
今の若い人たちに三輪自動車と言ってもわからないかもしれません。
私が子供の頃にもありました。
私が子供の頃には、確先生の頃よりだいぶ少なくなっていましたが、でも普通にありました。
後ろのタイヤは四輪自動車と同じように二つあるのですが、前のタイヤは一つなので合計でタイヤが3つなので三輪自動車と言われていました。
私が知っている限りでは、三輪自動車はトラックしか知りません。
乗用車はあったのかどうかはわかりません。
もしかしたら確先生の頃に、乗用車があったのかもしれませんが、私が知っている限りでは、トラックだけでした。
ただ、私が子供の頃だけでしたので、三輪自動車と四輪自動車の免許が違う事は全く知りませんでした。
話は予知の話です。
私は以前にも書いたことがありますが、予知という事はほとんどと言っていいほど経験がありませんでした。
今から30年位前に一回だけありました。
一瞬です。
まだ子供たちが小さい頃、当時は独身の頃からの仲間たちと、夏には毎年家族同士でバーベキューに行っていました。
わたしたち親子は、Tさんの車に乗せてもらいました。
あの頃は、今ほど飲酒運転には厳しくなかったので、お酒を飲んだ帰りでも普通に車を運転していました。
Tさんは、良い調子でビールを飲んでいました。
そろそろ帰ろうかと、みんなで片づけをしている時に、何気なくTさんを見ると一瞬ですが、Tさんの顔が骸骨に見えました。
私は、えっ!と思って、それから何度もTさんを見るのですが、TさんはTさんの顔でした。
骸骨には見えませんでした。
Tさんにも大丈夫?と聞きましたが、Tさんは自信をもって大丈夫と言っていました。
何だ気のせいかと思って、私はTさんの車の後ろの座席で、次男を膝の上にのせて座っていました。
車は走り出して、10分くらいたったころの交差点で信号待ちの車に追突してしまいました。
あまり速度が出ていなかったので、乗っている私達にはケガも何もなかったのですが、Tさんは追突した車の弁償をしたようです。
Tさんは、飲んだアルコールのせいで、距離感覚が鈍くなっていたようです。
あれも霊界通信だったのでしょうか。
それからは、一切何もありません。
最近は、少し感じることも増えてきましたが、今でもリアルに見えるという事はありません。