聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

怪しげな墓師がやって来た

息子が20歳まで生きられない!?

これからお話する実例は、危ういところで悪徳墓師にしてやられるのを免れた男性の話です。

だいぶ前ですが、隈本確先生はちょっと変わった相談ごとを受けました。

当時は、まだ神霊治療以外にも、多少の相談事に応じていました。

依頼人小野進さんは、隈本確先生の前に座ると語り始めました。

実は、私は呉服屋をしているのですが、ある時、見知らぬ男性がひょっこりと店に入ってきました。

初めは、お客様かと思ったのですが、その男性、つかつかと私のところへ来るといきなり妙なことを言いました。

「お宅には、子供さんがいらっしゃるでしょう」

今から考えれば、私も40代半ば、子供がいて当然なのですが、その時は、急にそんなふうに言われて、一瞬、なぜ自分の家の事を知っているのか、変な気がしたものです。

私はが黙っていると、その男性は、もう一度、

「子供さん、いらっしゃるんでしょう」

と、念をおすように言うのです。

で、私も返事をしました。

「子供いますよ。長男はもうすぐ17歳に……」

「そ、それです。それです。その子供さんですよ」

「え?長男がどうかしたんですか」

「お宅墓はありますか」

「いやあ、墓はまだありませんが」

私がそう言うと、その男性がいかにもしたり顔になって言いました。

「ハハァー、やっぱりィあらわれております。あらわれております」

「いったい、何があらわれているんですか?」

私は、変なことを言う人だなぁと思いつつも、次第にその男性の言葉に引き込まれていました。

「お宅は早く墓をつくって先祖供養をしなければ、その17歳になられる坊ちゃんは、20歳になったら死にますよ」

「エッ、エーッ!!」

「一日でも早く先祖供養をしなければ」

「どうしたらいいんでしょう?」

あまり突然の恐ろしい予言に、わたしはすっかり気が動転して、その見知らぬ男性にすがるような気持ちになってしまいました。

聞けば、その男性は京都の墓師で、墓についていろいろ研究して全国を回っているのだそうです。

で、たまたま、私の店の前を通ったところ、ツッと変な気がしてはいって来たのだというのです。

それから、墓の図面を出して、色々説明したあげくの果てに、

「この図面のような墓をつくって先祖供養をきちんとすれば、坊ちゃんが20歳で死ぬことはありませんよ」

と、このように言うのですね。

費用は、土地なしで150万円(注:当時は今よりずっと物価が安い)ほどかかるそうです。

そして、土地については、私が百坪ほど宅地をもっていることを申しますと、それを使えばいいというのです。

でも、その土地は、将来誰かに売って、事業の拡張資金にしようと思っていたものなんです。

あれやこれやと考えていると全く頭が痛くなってきますが、息子の命にはかえられませんし、本当に弱り果ててしまっているのです。

墓師の男性は、近々に、今度は正式に注文を取りに来ることになっているのですが、いったい、どうしたら良いのでしょう。

次回に続きます。

 

 

 

 

 

我が家にもやって来た不幸を知らせる爺さん

以前にも書いたことがある気がしますが、20年ほど前だったかもっと前だった気もしますが、私も同じような経験をしました。

庭で仕事をしていたら、小柄なおじいさんが我が家の前の道路を歩いました。

そのお爺さんが私に声をかけてきました。

だいぶ前なので、記憶もあやふやになっているので、少し違うところがあるかもしれませんが、大まかなところではあっていると思います。

「お宅に子供さんがいるだろう」と言うので、

「いるよ」と言うと、名前を教えてくれれば

「占ってあげる」というのです。

私は子供の名前など、どこの爺さんかわからない人に教えたくないので、「見てもらわなくてもいい」と答えました。

この爺さん「普通、親なら子供を心配してみてもらうもんだ」とブツブツ言っていました。

「じゃぁ、あんたの手相を見てやる」というのです。

私はいらないと言いましたが、どうしても見てやると言うのです。

しつこい爺さんだと思いながら仕方なく手を出したら、今までは苦労の連続だっただろうけれど、これからもっと苦労が続くだろうと言いました。

私は、「そうだよ、苦労の連続だったし、たぶん、これからもそうだと思うよ。人生なんてそんなもんだよ」とニコニコ笑顔で言いました。

続けて「そう言ってツボを売るの?」と言ったら、その爺さん「やりにくいなぁ」と言いながらどこかに行きました。

こうやって、子供を使って親を心配させるのが、目的だったのでしょう。

おそらく、私が子どもの名前を教えたら、同じように子供の命が危ないとか言うつもりだったのかもしれません。