聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

人のせいにする人は発展性がない

前回の続きです。

 

何でも人のせいにする人

隈本先生は、先祖供養よりも子供供養が大切である、ということを言っています。

このことから理解して欲しいのは、自分の子供を立派に育て上げれば、その子供もやがて親となった時、我が子を立派に育て上げることができるでしょう。

そして、また、その子供も立派な親となるでしょう。

このような良き循環のある人類の環境をつくりをつくりあげることによって、私達人類の未来は、きっと明るいものになっていくはずです。

世界の破壊、人類の破壊が叫ばれている現在、現実をしっかりと見据えて、自分たちの足元から環境を整備していく努力も必要なのではないでしょうか。

ここに、隈本確先生が若い頃から隈本確先生自身への戒めとしている句を記します。

 

己が非を    知らぬ悟らぬ 神だのみ

     非の重ねこそ     因の源(もと)なり

 

 

私たちは、病苦、災難、その他人生上のいろいろな不運な出来事について、たとえそれが霊障であっとしても、また、人知の不足から来たものだったとしても、全て自分自身に、その非の因があることを自覚するべきです。

家庭、職業、社会……と、自分の周囲に起きるいろいろな悪い現象に対して、多くの人たちが、自己の非を反省せず、その原因を他へ転嫁しています。

相手が悪い、環境が悪い、時節が悪かった、とにかく運が悪かった、などなど、しかし、このような想念では、いつまでたっても自己の主体性というものはなく、一生を周囲の事象に押し流され、発展性がないどころか、文字通り不運の生涯を余儀なくされてしまうでしょう。

人生において有終の美を飾りたいと思うならば、人間的なことであれ、霊的なことであれ、自分自身に対して、あらゆる角度からその非を追及して改善していくための努力を怠ってはならないと思います。

 

 

 

 

 

夫の姉夫婦

>相手が悪い、環境が悪い、時節が悪かった、とにかく運が悪かった、などなど、しかし、このような想念では、いつまでたっても自己の主体性というものはなく、一生を周囲の事象に押し流され、発展性がないどころか、文字通り不運の生涯を余儀なくされてしまうでしょう。

 

こういう人っています。

端から見ると、どう見ても 原因は本人なのに、当の本人は自分ではなく他の人が原因だと思っている、ということがあります。

こういう人というのは、話を作ってまで自分ではないと言い通します。

私の体験で言うと、夫の姉夫婦です。

このブログでも何度も書いていますが、夫の姉夫婦の都合で義母を連れて行ったのに、いつの間にか、私が夫の姉夫婦に義母を押し付けたことになっていました。

それを言われた時は、一瞬何を言われているのか理解ができませんでした。

「あんたが○○(夫)を引き連れて、家(夫の姉の家)に来ておばあちゃんを引き取れって、大変だったわよ。✖✖(夫の姉の長男)も迷惑だって言ってたわよ。忘れたの!」と言われました。

いくら否定しても、夫婦でその嘘を突き通して私を責めていました。

それに驚くことに、夫の兄も弟も当時のことを、当時の裏事情を私たち夫婦より知っているのに、兄も弟もその嘘を否定をしませんでした。

その時に感じたのは、夫の兄弟の異常さと、人というのは、自己保身のためには平気でわかりきっていても、嘘を付けるんだと驚きました。

隈本確先生が書いておられるように、こういう人はいつも人のせいにするので、自分自身の成長がないだけでなく、近所の人達も表面上は変わりなくしていますが、裏では、夫の姉とは知らないうちに悪者にされるから、最低限の付き合いにすると言っています。

「▽▽(夫の姉)ちゃん、は怖い」と、近所の人は言っています。

当の夫の姉は近所の人に距離を置かれていることに気がついていません。

自分の生きたようになる、んだと思います。