聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

オーラの色は変わる

オーラは後光                                                                                                                                                                                                                                                                                

皆様の中には、オーラという言葉をよく知っていらっしゃる方も多い事と思います。

オーラという言葉は、神霊学ならびに超心理学用語の一つでありますが、日本語では霊光とか発気とか訳されています。

そして、そのオーラとはどういうものかと言えば、一般には、人間やその他の生物から発散されている一種の生体発光であると言われています。

昔から、仏教や仏画に表された釈迦や菩薩には、その頭部背後を飾る光背(後光)という光の表現がされていますが、これは西洋のキリストの図像にもみられるものです。

この光背については、美術的にもいろいろな意味がありそうですが、神霊学の立場から見れば、それは聖人のオーラを表現したものということになります。

このオーラと言われるものは、普通の状態では多少とも霊視能力をもった人にしか見えないのですが、形や色は色々で、その状態によって本人の性格や体調、または、その時の気分まで判断することができると言われています。

現在、オーラについての科学的解釈は色々されていますが、オーラがある特殊能力をもった人にしか見えないということから考えて、それは、やはり霊とか人間の心、魂に関係があるものと思われます。

したがって隈本確先生としては、オーラについていうならば、霊光という訳語は適切なものだと思っています。

オーラは一般には霊性が高い人ほど高く大きな立ち上り、その色も黄金色だとか白銀色だとか言われています。

しかし、そのようなオーラを発散させる人であっても、心境が落ちていたり、体調をくずしているようなときには、みすぼらしいものに変化するのが普通であります。

オーラとは、各人の守護神や背後霊がその人間の肉体を通してあらわす霊の光、あるいは、既に高き神霊と同等の力をもった当人自身の魂があらわす霊の光であるとしたなら、それが時に応じて変化するのは当然のことでしょう。

日頃、いくら霊性の高い人であっても、たまたま疲労こんぱいしていたり、不機嫌になっているようなときには、守護神との結びつきも、また当人自身の魂の力も弱まっているので、良い状態のオーラは発散されないのです。

 

 

 

 

私の場合は?

オーラという言葉は、神霊学ならびに超心理学用語の一つでありますが、日本語では霊光とか発気とか訳されています。

 

オーラは、普通によく見たり聞いたりしますが、逆に日本語の霊光とか発気とかは、あまり聞いたことがありません。

 

仏教や仏画に表された釈迦や菩薩には、その頭部背後を飾る光背(後光)という光の表現がされていますが、これは西洋のキリストの図像にもみられるものです。

 

ありますね、仏画にも洋画にもありますね。

 

>オーラがある特殊能力をもった人にしか見えないということから考えて、それは、やはり霊とか人間の心、魂に関係があるものと思われます。

 

時々、人のオーラが見えるという人がいます。

赤だとか紫だとか、青だとか……私は見えたことがありません。

 

>オーラは一般には霊性が高い人ほど高く大きな立ち上り、その色も黄金色だとか白銀色だとか言われています。

>いくら霊性の高い人であっても、たまたま疲労こんぱいしていたり、不機嫌になっているようなときには、守護神との結びつきも、また当人自身の魂の力も弱まっているので、良い状態のオーラは発散されないのです。

 

そうなんですね。

私は、普段は家族以外の人と会うことは比較的少ないせいか、たまに人に会うとけっこう影響があります。

というのは、普段は霊流をひくのに一時間半くらいかかるのですが、人に会った後は霊流が引きづらくなって、もっと時間がかかります。

私は、こうなるということは私がまだ未熟だから、人からの影響を受けやすいのではないか、と思っています。

いずれは、人に左右されないほどの力をもちたいと思っています。

そんなときの私のオーラの色は何色だろうと思います。