弱心障がい者の存在
前回まで、上条鈴恵さんという悪霊に憑りつかれて怪奇現象が現れた実例を紹介しました。
霊障と一口に言っても、一般の病気から事故、不運、怪奇現象といったように、色々な形で現れます。
霊障に関して言えば、どの場合も、初代会長先生は病気治療と同じように神霊治療を行うことによって、全て解消を果しています。
依頼人の全身を浄霊し、さらに部分的に憑依している霊を浄霊をします。
それから、初代会長先生の出現させた当人の守護神に力を与えます。
これが基本パターンです。
この一連の神霊治療によって、あらゆる霊障のほとんどは解消されます。
ここで一つ重要な問題が生じてきます。
それは、依頼人側の心の持ち方で大きく変わってくることです。
高い守護神と魂で直結している人間は低級霊、悪霊の憑依を受け付けません。
想いの世界において常に守護神と強く結ばれている人は、当人の体を通して守護神の霊流をそのまま自己の周囲にも放射しているという事です。
したがって、この守護神の霊流の及ぶ範囲内には、悪霊といえども入ってくることはできません。
前回までの記事の上条鈴恵さんの神霊治療後の状態が、丁度その状態でした。
体の中に悪霊が入り込んで来ようとするたびに、鈴恵さんは命の限り守護神を念じました。
その結果、悪霊は鈴恵さんを取り巻く目に見えない霊流の防壁に邪魔されて、鈴恵さんに襲い掛かろうとするたびに、逆にバーン、バーンと跳ね飛ばされることになってしまったのです。
しかしもし、この時鈴恵さんの守護神に対する念じ方がいい加減なものであったなら、悪霊は退散しなかったかもしれません。
何度も言うように、高き神霊は自ら低き人間界に下り、救いの手を差し伸べるようなことは決してなさらないのです。
高き神霊のご加護をいただきたければ、自らの意思の力で、念じて、念じて、念じまくらなければなりません。
たとえどこにいようとも、ひたすら神の実在を信じ、念ずるところに、事実、奇跡は起こるのです。
ここに、目に見えない想いの世界の不思議を深く感ずるとともに、改めて祈りという事の重要性を認識しないわけにはいきません。
このことに付属して一言いうなら、初代会長先生の神霊治療を立て続けに5回も6回も受けに来る人が稀にいます。
治療を受けると、その時は信じられないくらい良くなるのに、時間がたつと又ぶり返すというのです。
結局、このような人は自己の想いの力が弱く、せっかく守護神を出したものの魂と守護神との結合が弱いために、祓っても祓っても、何度でも低級霊がやってきます。
このように魂の力が弱く、心身の状態が霊に対して空き家同然の人を、初代会長先生は弱心障がい者と呼んでいます。
いずれにしても、神霊治療を受け、その場で快方に向かっても、数時間後、または後日再び例の憑依を受け、痛み、苦しむという霊媒体質、および弱心障がい者の方たちの神霊治療に遭遇することがありますが、これらの方たちの治療は、神霊治療能力者の泣き所でもあります。
日神会を否定する人は、弱心障がい者?
>霊障と一口に言っても、一般の病気から事故、不運、怪奇現象といったように、色々な形で現れます。
このことですが、以前にも書いたことがありますが、私が日神会と出会うきっかけになった、次男が毎日頭を打つという状態の時はただ母親の直感で、これは霊障だと思っていましたが、そのことを人に話してもわかってもらえるとは思えないので、人に言ったことはありませんでした。
今でこそ、次男に神霊治療を行ったことで、次男が頭を打つことが無くなったので、ここで書いていますが、今でも日神会を信じる人以外には言っても通じないだろうと思っていますので、一般の人に言っていません。
今でも、自分の人生を振り返ると、病気や事故、怪奇現象は少ないのですが、不運はメチャクチャたくさんあったと思います。
今でこそおそらく霊が原因だっただろうと思う事は沢山ありますが、その当時はそんなことを思いもしませんでした。
だから今思うのは、あれが霊障だとわかっていたら霊流を流していただろうに、そうすればもっと早く解決できたのではないかと思う事が沢山あります。
>このように魂の力が弱く、心身の状態が霊に対して空き家同然の人を、初代会長先生は弱心障がい者と呼んでいます。
ネットで「日神会」と検索をすると、必ずと言っていいほど「日神会」の神霊治療なんて嘘だ、自分も熱心に神霊治療をしたけれどダメだった、あんなのは嘘だ、インチキだという記事を見かけることがあります
もしかしたら、こういう人たちは弱心障がい者だったのではないかと思ったりします。