聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

老年者の霊界志向と霊媒体質者の霊界志向の自殺

前回の続きです。

 

老年者の霊界志向の自殺と霊媒体質者の霊界志向の自殺

人間は、年をとればとるほど霊的感覚が発達し、霊界志向が強くなってきます。

したがって霊界志向の強い老年者にあっては、ある日突然、半睡状態の折、霊界の美しい風景が見えてきたり、妙なる楽の音が聞こえてきたりするのです。

それは、この人間界では見ることも聞くこともかなわぬ美の世界なのです。

—―それに引き換え、この世は何と無残に汚らしいものでしょう。

こうして、霊的感覚の発達した老年者は次第に現界に嫌気がさし、興味がなくなってくるのです。

そのうえ、現実の生活に立ち戻れば、現代の老年者はとかく邪魔者扱いにされ、家族でさえがろくに相手にしてくれないといったありさまです。

老年者が、ふと、夜明け方見たあの美しい世界(霊界)に行こうと思いたつ背景にはこんな現実もあります。

かくて霊的感覚の強い老年者は、自ら、その肉体人間としての生活に終止符を打ってしまうのです。

これが、老年者の霊界志向による自殺なのです。

つぎに、霊媒体質者の霊界志向による自殺ということについて考えてみましょう。

霊媒体質とは霊に憑りつかれやすい体質、すなわち、霊界の波動に対して非常に敏感な体質のことを言います。

霊媒体質者の多くは、しょっちゅう病気になったり、事故にあったりしています。

それというのも、人間界に介入してくる霊のほとんどが未浄化な低級霊だからです。

そして、霊的に敏感な霊媒体質者は、それら低級霊の波動にいちいち感応するものだから大変です。

体のあっちが痛くなったり、こっちが痛くなったり、さらに気味の悪い霊の姿が見えたり、声が聴こえてきたりするのです。

もちろん、それとともに予知現象など、いろいろな霊的現象が自然発生的に心身に沸き上がってくるのです。

これら不幸な霊媒体質者たちは確かに霊界という異次元の世界と交流をもっているわけで、それゆえに一般の人々にはわからないようなことがわかり得る、それが時にはメリットになることもあります。

通常、人間の五感・知覚でとらえることの出来る現象界の出来事というのは、ごく限られた範囲内のものであります。

例えば、周波数が非常に高い超音波を出す犬笛は、犬にはよく聞こえるのに、人間には全く聞こえません。

また、ある種の動物たちは地震に伴うかすかな地鳴りを敏感に感じとったり、いろいろな災害を予知することによって、安全な住処へと移動することが知られています。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

娘の友達のおじいちゃんの死

私の娘の友達のおじいちゃんの話です。

まだ娘が幼稚園の頃の話です。

その頃は、娘の友達親子は2階で寝ていました。

下には、おじいちゃんとおばあちゃんが寝ていました。

朝の6時頃、おじいちゃんとおばあちゃんはたわいもない会話をしていました。

でも、急におじいちゃんの返事がなくなったのです。

しばらく待っていてもおじいちゃんからの返事がないので、おばあちゃんはおじいちゃんに声をかけながら、おじいちゃんのそばに行ってみました。

すると、おじいちゃんは息をしていませんでした。

おばあちゃんは、びっくりして2階にいる若い人たちを大きな声で呼びました。

「おじいちゃんが死んじゃったよ!!!」と。

娘の友達の両親は、驚きました。

おばあちゃんは朝から何を言っているんだろうと。

慌てて下におりました。

家族みんなびっくりです。

おじいちゃんは、昨日までいつもと変わらず元気だったのです。

この話は、娘が幼稚園の頃だったので、幼稚園の送り迎えで毎日娘の友達のお母さんと会っていたのと、おばあちゃんとも親しくしていたので、両方から聞いた話です。

こういう永遠の別れは、家族としては突然すぎて辛いかもしれませんが、当のおじいちゃんからすれば願いが叶ってよかったのかもしれません。

しょっちゅう、家族の世話にならずぽっくり逝きたいと言っていたのだそうです。

とても家族思いのおじいちゃんだったそうです。