隈本確先生と一心同体感を持つこと
隈本確先生の娘さんの恵子さんは病気依頼人を前に、自分の胸中には父である隈本確先生がいると決め、隈本確先生に対して、一心同体の気持ちになり切ったその瞬間に、隈本確先生の神の光が恵子さんの中へ奔流のごとく流れこみ、その場で神霊治療が可能になったのです。
これは、恵子さんが隈本確先生と親子であったがゆえにできたというものではないのです。
ただ、恵子さんが無条件に隈本確先生を信じ、揺らぎない想いの世界を作り上げることができたがゆえに可能になったことなのです。
ということは、同様の想いの世界さえ作ることができれば、たった今、想念界に隈本確先生を介在させて、隈本確先生の会の師範役と同じように、他人の病気治療ができるということです。
隈本確先生を信じて、揺らぎのないあなたになれば、隈本確先生の天命界からの霊流は奔流のごとく、あなたの中に流れこんでいくことでしょう。
それが、霊流捧持の理論でもあるのです。
自己治療、他者治療、いずれを行う場合もとにかく隈本確先生を信じて、隈本確先生と一心同体感を持つことです。
そして自己治療の場合には、隈本先生が自分を治療してくれているのだ、また、他者治療の場合には、隈本先生が自分の体を使って相手病人の治療をしてくれているのだと、はっきりと決めることです。
そのゆるぎない想いの深さこそが、奇跡を表すのです。
このとき、よく多くの人たちが口にするように、
「自分のようなものが、隈本先生と一心同体になるなんて、そんな恐れ多いいこと……」
といった気持ちは、ぜひやめてもらいたいのです。
このように敬いの想いのために心の姿勢が消極的な形で出てくると、それが隈本確先生に対する一つの違和感となって、かえって、自己治療も他者治療も失敗してしまうことになるのです。
次回に続きます。
聖の親様は身近に
>恵子さんが隈本確先生と親子であったがゆえにできたというものではないのです。
私が思っていたことが見事にはずれてしまいました。
>自己治療、他者治療、いずれを行う場合もとにかく隈本確先生を信じて、隈本確先生と一心同体感を持つことです。
そういうことですね。
心から隈本確先生を信じ切るということです。
>「自分のようなものが、隈本先生と一心同体になるなんて、そんな恐れ多いいこと……」
といった気持ちは、ぜひやめてもらいたいのです。これ、本当だと思います。
こういう一見神様を敬っているように見える 想いですが、この想いが神様のエネルギーを妨げる壁になってしまうのです。
思い出すのは、私が霊流をひけるようになりたくて、七転八倒していた時のことを思い出します。
誰にも相談できないし、子供が小さくてなかなか自分の時間が取れず、バタバタしている日常の中で、落ち着いて聖の親様からのエネルギーをいただくことがとても難しかったです。
でも、あきらめずに続けていたら、いつの間にかひけるようになっていました。
一番下の娘が小学生になったころから、毎年、一年に一回日神会に行けるようになりました。
実際に日神会に行くようになって、その時に一緒になった人と少し話すようになってみると、「やっと日神会来れた」という人がとても多かったのです。
全員女性でした。
ほとんどが配偶者が宗教嫌いな人ばかりでした。
反対の人は、なぜかほとんどいないんですよね。