聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

技術を身につけると、何かをしながらでもできる

前回の続きです。

 

自己の存在を無にし自分の胸中に霊界をつくる

前回書いた神主、僧侶、加持祈祷師、行者等が行う祝詞や教文を脂汗を垂らしながら一心不乱に上げることによって入神状態にに陥り、神、仏、霊が降霊してくる場合もあります。

しかし、そのほとんどは一時間から二時間ぐらいも祝詞や経文を上げ続けて、ようやく自ら降霊の状態に引きずり込んでいく、といったあんばいです。

隈本確先生は、このような長時間祝詞や経文をあげて招神、招霊をした覚えは、ただの一度もありません。

隈本確先生の場合、想いの技術を用いて、ものの二、三秒で招神、招霊をやってのけてしまいます。

目標を定めた相手神霊に対して、自己の存在を無にし、自分自身の体を明け渡す、つまり、自分の体(胸中)に霊界をつくりあげるのです。

そして、最も親しい、最も大好きな、最も大切な人に対してするように、「さあ、どうぞ、いらっしゃあい……」という深い想いの世界をつくりあげると、祝詞、経文、気合の掛け声など、一切の念力に頼ることなく、その相手神霊は即座に隈本確先生の体中に降霊してくるのです。

このような技術を身に着けている隈本確先生は、あぐらをかきながらでも、タバコを吸いながらでも、歩きながらでさえも、自由自在に招神、招霊ができるのです。

情熱をもって、本心から隈本確先生の霊流をひこうと努力しているにもかかわらず、どうしても自己治療に成功しないという人は、以前書いた「娘さんの恵子さんの神霊治療」のくだりをもう一度読み返して、心の技術を習得していただきたいと思います。

リラックスしながらも、情熱と深い想いとをもって、繰り返し練習し、そして病気の自己治療にぜひとも成功していただきたいと思います。

 

 

 

 

 

明日のわが身

>目標を定めた相手神霊に対して、自己の存在を無にし、自分自身の体を明け渡す、つまり、自分の体(胸中)に霊界をつくりあげるのです。

 

そうなんですね。

長い間続けてきたので、どこか自己流になっているところもあるかもしれませんので、改めて初心に帰って霊流をひきたいと思います。

以前は一年に一度、日神会に行って講座を受けていました。

そうすると、自分でも気が付かないうちに自己流になっている部分があったりして、気づかされていました。

気を付けたいと思います。

 

先日、日神会から会報が届きました。

正二郎先生のお母様のことが書かれていました。

ということは、隈本確先生の奥様のことですね。

奥様は、認知症のような症状が出ておられるとのことでした。

もちろん、正二郎先生はお母様に神霊治療をされています。

それでも、霊流を流すと良いようですが、また悪くなったりの繰り返しのようです。

正二郎先生は、あきらめずにその都度神霊治療を行ってほしい、と書かれています。

その言葉の中には、実際に家族が認知症になっている方々の大変さが書かれ、励ましの言葉もあり、とても胸に響く思いで読みました

以前にも書いたことがありますが、私は水彩画を習っていますが、先生は80代後半です。

先生は、認知症の兆候が見られるようになってきました。

私もこっそり、毎日少しづつ先生に霊流を流しておりました。

流していて、少しずつ良くなっている気がしていました。

そして、最近はかなり良い感じだと思っていましたが、先々週に習った数日後に、絵の会の代表者の家に先生から電話がありました。

電話の内容というのは、前回の絵の会のときに先生の作品をみんなに見せた後、それが返ってきていない、ということでした。

代表者はYさんという人です。

Yさんは、自分の記憶では先生の作品は見ていない、と言いましたが、一応みんなに聞いてみます、と言って電話を切ったそうです。

その後、何人かの人に聞いても誰も見ていないといったといいます。

絵の会は、地域の自治会館で月三回行っています。

私が毎回最後の確認をして、自治会館の鍵をかけて出ているので、Yさんは私に先生の作品を見なかったか、聞いてきました。

私も見なかったので、そのことを伝えました。

その後、先生からYさんに電話があり、そのことを伝えると先生は、私たちの誰かが盗んだと決めつけて、

「そんな人たちのところでは、教えることができない」

と言って電話を切ったそうです。

その内容を、Yさんは全員に伝えてくれました。

生徒は全員で10名です。

全員、もうこれではもうこの会も終わりになるか、と覚悟をしていた人も多かったと思います。

でももしかしたら、先生は何事もなかったようにいつも通り来るかも、というようなことを皆で話し合っていたら、先生が何事もなかったように普通に「おはよう」と言ってやってきました。

そして、私たちもいつも通り先生に教わりました。

先生は、そうやって時々おかしくなりますが、指導の内容はいつもと変わらないのです。

指導はとてもうまい先生です。

先生が帰った後、みんなで顔を見合わせてしまいました。

先生、忘れているのか何なのかわかりませんが、でも、ああいうことを言うということは、認知症が一歩進んだのかな……という残念な気持ちになりました。

それでもみんなの中にあるのは、自分もいつか行く道かもしれない、という想いです。

もちろん今も流していますが、これからも、先生に霊流を流す予定でいます。