聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

次元からの念

次元からの念

 

今回は、念を次元から見てみようと思います。

私達は、三次元の世界に住んでいます。

一次元が直線、二次元が平面で、私達が住んでいる三次元は立体空間です。

私達は、三次元の世界に時間という四次元の観念を導入して生活をしています。

 

ここで、三次元空間に住む私達人間の念を、縦・横・奥行きを持った立方体として考えます。

この場合、三つの次元を構成する要素の各々に念を当てはめますと、一次元・二次元・三次元という分け方ができます。

 

一次元  以前書いたことがある自念・加念・返り念

二次元  高級念・低級念

三次元  即念・持続念

 

ここで分類した一次元念、二次元念、三次元念はそれぞれが単独の念ではなく、一次元念は同時に、二次元念も三次元念も含みます。

二次元も同時に、一次元も三次元も含みます。

三次元念も同時に、二次元念も三次元念も含みます。

したがって、この三種の次元念をひっくるめて、三次元念とよぶこともできます。

というのは、三つとも現界という三次元空間に生きている人間が発する念だからです。

 

 これらの私たちが常に発している念は、とても複雑に絡み交錯しています。

 

人間の三次元念に対して、四次元念というものが霊念の作用です。

奇跡、僥倖のほとんどは、この霊念の働きを受けています。

 

事業が飛躍的に発展したり、思わぬ幸運に恵まれたりするのは、この霊念のはたらきをうけているからです。

もちろん成功の陰には、本人の不断の努力、本人の生来備わった才覚、力量というものがありますが、努力家でしかも実力のある人間がすべて成功しているわけではありません。

 

奇跡を目のあたりにしたかったら、成功を手に入れたかったら、私達は聖の親様あるいは聖なる御霊親様のお力をいただくことです。

十年、二十年と苦しんできたいろいろな疾患を、ものの五分位で治してしまう日神会の神霊治療も高いご守護神のご加護によるものです。

 

ご守護神と一体になりきってしまえばほとんど自然に奇跡の力が出ますが、そのご守護神と一体になりきる努力は、人間である私たち自身の心のありようにかかっているのです。

ここに、想いの技術の難しさと、念の管理の重要性があるのです。

 

念の向上・浄化につとめたために美的な念の波動を持つようになった人、さらにはご守護神と一体になりきる念の技術にたけた人というのは、自己の念の操作によって、他人や自分を自由自在に幸運へと導くことになります。

が、このような人でも、ふとしたはずみに念の用い方を誤ると、他人も自分も不幸のどん底に突き落とすことにもなりかねないのです。

 

不慮の事故や、目に余る悲惨な死、大失敗などの裏には、四次元念(霊念)の作用があることを、私達は忘れてはいけないのです。

 

 

 

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>ご守護神と一体になりきってしまえばほとんど自然に奇跡の力が出ますが、そのご守護神と一体になりきる努力は、人間である私たち自身の心のありようにかかっているのです。

 

 私も30年以上この日神会のご守護神様である聖の親様からのエネルギーをいただいていて思うのは、このことです。

人間が心の底から聖の親様にお願いします、という想いでお力をいただくと驚くほどの結果が出ます。

ところが、人間の想いが弱かったりすると、それに見合ったお力になるように思います。

本当にいつも思うのは、神様に心の底から願い、心の波長を神様に合わせるものにしかお力をいただけない、と実感しています。

 

それと私自身がいつも感じているのは、生活の中で自分自身の人間界での努力も必ず必要だと思っています。

これを怠ると、いつの間にか傲慢高姿勢の気持ちが、でてきやすい気がしています。

 

私達が気を付けなければいけないのが、その奇跡をいただいていることが続くといつの間にか当たり前になってしまい、感謝の気持ちを忘れ、その奇跡の連続を自分の力と勘違いしてしまうことがあるという事です。

 

〇 人が心の底からのお願いしますという気持ちを持つこと

〇 人の心を聖の親様、あるいは聖なる御霊親様に波長を合わせること

〇 人間界の現実的な本人の努力