隈本確先生の苦労
隈本確先生は、大変苦労をされています。
人間社会のどん底から強運者と言われるまでになったという経験です。
隈本確先生は、二十歳過ぎにあることから今の神霊と出会います。
それから二十年位の間は、精神的、肉体的の両面に様々な障害に苦しめられます。
それは、神霊能力が開発されると同時に付帯条件として起こってくる霊現象なのだそうです。
その間は、全身の猛烈な悪寒、痛み、不安感等にさいなまれていたそうです。
隈本確先生は、当時病院にも行かれたようですが、どこも悪くない、気のせいだと言われたそうです。
当時は、そんな調子なので寝たり起きたりで、あまり仕事もできない状態だったそうですが、実家が大きな電気店を経営をしていて、そこの専務という肩書があったので、生活には困っていなかったそうです。
お父さんの経営する電気店があまりに繁盛するので、お父さんはどんどんお店を増やしていったそうです。
隈本確先生は予知能力があったので、ある時期からもう増やさないほうがいいと忠告をしたのですが、お父さんはどんどん増やし続け、とうとう隈本先生の予言通り、2年後には倒産をしました。
つい先日まで゛専務、専務”とよばれていたのに、一失業者になった隈本先生には、世間は冷たかったそうです。
まあ、隈本先生もご自分で書いていますが、専務時代の隈本先生の言動はひどかったようですから、そういう事もあったようです。
世間の手のひら返しは、ひどかったようです。
でも、隈本先生は人間社会で見捨てられても「守護神」がいらっしゃる、と書いています。
その気持ちは持ち続けて、日神会があるようです。
隈本確先生は、人間社会からは完全に葬り去られてしまったけれど、しかし、私にはご守護神がおられる。
このご守護神様が、必ず、私の道を開き、導きをしてくださる!
この想いを持ち続け、念を心の中に強く、強く持つことに努力をしました。
隈本先生は、人間界のどん底に叩き落されてばこそ、求むるものは守護神ただ一筋、何の混じりけもなく、一心不乱に守護神にすがることのできたのかもしれせん。
隈本先生は、失業保険の給付期間が終わりに近づいたころ、釣り堀の経営を始めます。
住んでいた家を手放し、2~3年も買い手のつかないままの土地付きのあばら家を購入して、5年間繁盛し続けたそうです。
その後、同じ場所に、釣り堀をたたんで、スマートボールの遊技場の経営を始めましたが、5年間これがあたりにあたったのだそうです。
隈本先生は、釣り堀の時もスマートボールの時も、神霊治療を続けていたのだそうです。
隈本先生の神霊治療が評判になり、週刊誌にも紹介されたりして、だんだん全国区に知れ渡っていきます。
隈本先生には念願があり、それがかないました。
それは、゛この場所にビルを建て、そのビルの家賃収入で生活を安定させ、将来は神霊治療能力者としての道を進みたい”という事でした。
もちろん、念願かなって私達信者会員がよく知っている、あの長崎道場と東京道場です。
今は、長崎聖地、東京聖地という名前に変わっていますが。
私は受け身だった
隈本確先生は、大変苦労されました。人間社会でどん底だけでなく、心身ともに様々な苦労もされます。その中にあっても
私にはご守護神がおられる。
このご守護神様が、必ず、私の道を開き、導きをしてくださる!
という想いは常に持っていたと言われています。
ここが私と大きく違うと思います。
私が日神会に出会うきっかけは何度も書いていますが、次男が幼い頃にあまりに頭を打つので、それはほとんど毎日で、大きな事故は3カ月に1回くらいのペースでした。
これは絶対に霊の仕業だ、と思うのですが、どうしたらいいのかわかりませんでした。
そんな時に偶然入った本屋さんで、「大霊界」の本に引き付けられるように、その場所に行きました。
もちろんそこにある本を3冊全て買って帰りました。その晩、夜はほとんど眠らず読み切ってしまいました。
その後、自分できるかどうかなんて考える気持ち的余裕もなく、必死で隈本先生のお写真を胸に描いてお祈りをしました(当時は隈本確先生のお写真を胸に描くという方法だった)。
不思議なことに次男があんなに毎日頭を打っていたのに、ピタッと頭を打たなくなったのです。
もちろん3カ月に一度くらいの割合で打っていた頭もすっかりなくなっていました。
私はありがたくてありがたくて、毎日いろんな事を手あたり次第隈本先生にお願いをしていました。
それから35年以上たちますが、未だに私は聖の親様にお願いをしていました。
私はそれでいいと思っていましたが、今又「大霊界」のご本を読み返してみると、それだけじゃ足りなかったんだという事に気がつきました。
そうなんです、私の魂の親さんが願っていたのは、隈本確先生のように
神霊への想いを持ち続け、念を心の中に強く、強く持つ努力だったのです。
私はただただお願いをするだけで、自分から自分を強く持つという事をせず、いつも受け身だったのです。
自分から聖の親様を求め、自分の魂を強く美しくしようという強い思いがなかったのです。
何度も書きます。
魂は常に輝き、活動的な想念だけを充満させておくことです。