聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

瑠璃波留の国

観音菩薩の風情

前回の続きです。

 

大地王界も、やはり静寂の美の世界でありました。

ここには、その透明な空気を乱すわずかな物音もなく、ただどこまでも、透き通る水晶の沈黙の世界が続くばかりです。

まさに、瑠璃の国、波留の国とよぶべきでしょうか。

ふと霊眼を凝らしてみると、ここで生活する神霊たちもまた透明な水晶の輝きをもち、その風貌は観音像のそれです。

そして神霊同士、無息、無言の会話を交わしています。

この地に住む神霊たちは、音声には出さず想念だけで自由自在に会話ができるのです。

想念界で自在に操ることができるのは、会話だけではありませんでした。ここ大地王界の神霊にあっては、何億キロという距離の行き来も自由自在でありました。

今目の前にいるかと思えばすぐに掻き消え、瞬時にして何億キロの彼方に到着しています。

また、瞬時にして何億キロの彼方から飛来してきては、無息無音の声で、神霊同士、想念の交流をはかっています。

それにしても、それら神々の行動の全ては、なんと優美で気高く、神秘の美を醸し出しているのでしょうか。

隈本確先生は、この瑠璃波留の国・大地王界の中でも、ひときわ目立つ水晶の神秘に踏み入った、そこに、大地王界の中心となる超神霊の存在がありました。

その容貌は、やはりきらきらと静の輝きに荘厳された聖観音像のそれでありました。

端正な、この上なく端正な、典雅な風貌です。

この超神霊・大地王の姿に接して、隈本確先生は、東洋人が太古の昔からいだき続けてきた聖観音像に対する無意識的な情憬について、ふと思い当たることがありました。

そこには、代々受け継がれてきた人類の遺伝的想念とでもよべるものが流れているのではないかと――。

 

 

 

 

 

 

どちらも事実

大地王界の素晴らしい様子を知り嬉しくなりましたが、現実の人間界は、やはり地獄霊と神霊の世界が一緒くたになった世界だと痛感しました。

パリオリンピックが、行われています。

世界中の選手の皆さんが3年の間、頑張って来た成果を出せる時で、選手の皆さんには全員にエールを送りたいと思います。

私は以前から言っておりますが、数年前からテレビ新聞を見ておりません。

だからほとんどがネット情報です。

今回のパリオリンピックの開会式も、ネット情報を見ていました。

ネットではひどいと言って、炎上していました。

そうなんです、ネットだけを見ていると血だらけのマリーアントワネットの斬首首、ミケランジェロの「最後の晩餐」のパロディ化、男性らしきものの露出等々、ありました。

そこで、地上波ではどう放送をしているのか、私が仲のいい人たちの2グループに聞いてみました。

最初のグループの人達は、まあいいんじゃない、という感じで、斬首は見たと言っていました。

あれは、フランスの歴史の一部だからと素直に受け取っていました。

別のグループでは、とても素晴らしかった、特にエッフェル塔の場面と聖火の点火が良かったと言っていました。

どちらも「最後の晩餐」のパロディ化は知らないと言っていました。

どちらのグループも真剣に見ていたわけではなく、家事をしながら見ていたから、見逃していたかもしれないと言っていました。

ネットの情報も地上波の放送もどちらも、長い開会式の中のものを切り取って流しているのです。

自分たちが切り取りたいものを選んでいるわけです。

どちらも、自分たちの意図するように流せるわけです。

見方によっては、どちらも事実です。

でも切り取り方で、真反対の見方になります。

とても考えさせられました。