確先生の13歳の頃の体験談
隈本確先生の13歳くらいの時の体験談です。
朝方のことです。
夢ではなく、はっきりとある光景を見たのです。
確先生の目の前を、5人くらいの大人たちが戸板を担いで通り過ぎていきました。
確先生は布団の中にいたのですが、この状態をどういうことなのかよくわからないまま、確先生は戸板の上を見ると、その戸板の上にいたのは、幼友達の清和君でした。
清和君は、その頃の4年ほど前まで、確先生の家の隣に住んでいたので、ずいぶん仲良く遊んだ子でした。
その後、清和君は少し離れたところに引っ越して行ってしまったので、時々風の便りに清和君の近況を聞くことがある程度でした。
戸板の上で仰向けになって、土色になった清和君が、確先生の目の前を通り過ぎるようにして運ばれていった清和君は、死んでいました。
確先生は布団の中にいたけれど、あまりにはっきりしていたので、決して夢ではなかったと思いました。
それはあまりに生々しい映像として、確先生の眼に焼き付いていたので、口に出さずにはいられませんでした。
それで、夕食の支度をしていたお母さんにそのことを言いました。
それを聞いていた家族が、〝まさか”というような、非難の顔を確先生にいっせいに向けました。
「また変なことを言う。気持ち悪か(悪い)。家族同士だからまだいいようなものの、人にそんなことを言ったらいけないよ。気違いだと言われるよ。」と、ご飯をよそいながら、お母さんが確先生に厳しく言いました。
確先生は、この頃からよく予知がよくあたるようになっていました。
家族にしてみると、確先生の予知がよく当たるのでよけいに気持ちが悪く、一層疎ましいものになっていたのかもしれません。
清和君が亡くなったという知らせが、翌日の昼過ぎに届きました。
その後も、いろんな人の亡くなる予知があり、それらがよく当たったようです。
あまりに的中するので、確先生のお母さんは眉を吊り上げて、「もう人の死ぬこと言うのやめてちょうだい!」と言ったといいます。
人の死の予知は見た者も聞いた者も嫌な気持ち
確先生の予知があたると、イヤあたらなくても人の死の予知とは気持ちが悪いと思います。
前回の記事に私は夢で祖母の死んだ夢を見て、イヤにリアルに葬式まで見たので、本当に気持ちが悪かったです。
祖母は、そんなに好きでもない人というか、母をいじめる嫌な人という感じてみていたので、あまりいい感情をもっていなかった家族であっても、イヤなものです。
それが、他人の死の予知がことごとく当たるとなると嫌でしょうね。
そりゃ、確先生は口に出さずにはいられないと思いますし、お母さんや家族もまた聞きたくないことだと思います。
私の場合は一回だけ祖母の死んだ夢でしたし、祖母が死んだ夢は母の言った通り逆夢で、祖母は認知症でしたが92歳まで長生きをしました。
確先生の予知は、よく当たっていたらよけいに辛いですよね。
誰かに言わずにいられないと思います。
でも、聞かされる方も気持ちが悪いので、聞きたくないのもわかります。
私が若かった頃、「ノストラダムスの大予言」にはまったことがあります。
読まなければいいのに、気になってつい読んで心配で夜眠れないということがよくありました。
そのノストラダムスですが、あまりに当たるので当時の王様に、命を狙われそうになったというようなことを読んだ記憶があります。
そのためにノストラダムスは、自分の予言をはっきりと書かなかったとか、だから彼の書いたものは、ぼかしすぎてどうとでも受け取れる内容だという事に気が付いた私は、そこでノストラダムスを卒業しました。