聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

怖い悪霊の力と術

悪霊の力と術

 

今回の話は、悪霊の力と術をまざまざと見せつけられるような話です。

 

悪霊・低級霊と言っても、霊界人として強力な力を持ってくると、さまざまの術を使って現界の出来事を自由にコントロールできるのです。

 

今回の話で、霊界のシステムの複雑霊妙さの一端がくみ取ってほしいという事です。

 

神霊治療の長崎道場に、次のような、海外からの速達便が届いたというのです。

 

前略、わたくしは、オーストラリア航路の貨物船の船長をしている田中健二というものです。

幸いにして、このたび、先生の道場のある長崎港に寄港することになりました。

その日は六月二日です。

その日に必ず、先生の道場に伺いいたしますので、どうか、わたくしを、救ってくださいませ。

なにとぞ、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

 

と、内容は、これだけでした。

というのは、日神会での神霊治療を受ける場合は、事前に電話で連絡をして、その際に病気の箇所や症状をはっきりと説明をすることになっているのです。

 

もし、その症状が確先生が行う神霊治療に該当していなければ断り、該当していれば日時を予約をしなければいけないのです。

 

基本日神会の神霊治療は予約制なので、突然道場に訪ねてこられても、原則として受け付けることはできないのです。

 

それなのに田中さんの手紙には、詳しい説明もなく、ただ、6月2日に長崎港に寄港するので、その時は長崎道場に伺う、と一方的に書いてあるだけです。

 

それでもその手紙には、切羽詰まったものを感じるところもありました……

 

田中さんは、手紙に書いてある通りの日にちに長崎道場にやってきました。

 

田中さんはただならぬ様子なので、本来なら予約制なのですが、確先生は他の人たちの神霊治療の合間に田中さんを入れました。

 

田中さんは、せっかく確先生の前に座ったというのに、がっくりと首を折ったまま、顔をあげようともしないのです。

 

そして、振り絞るような切羽詰まった声で言いました。「先生、わたくしを、どうか救ってください」そういって田中さんは、頭を垂れて必死に何ものかに耐えているようでした。

 

この話は長くなりますので、何回かに分けて書きますので、この続きは次回になります。

 

 

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三浦春馬さん

 

今回の田中さんの話は、長くなりますので何回かに分けます。

 

何回かに分けて書くので、私の話も何回かに分けて書く話にしようと思います。

 

今回の話は、最終的には大霊界の話になるのですが、そこまで行くのにエンタメ系と政治系の話も書きますので、嫌な方や苦手な方はスルーしてください。

 

去年の7月18日に三浦春馬さんが亡くなりました。

私は、三浦春馬さんはイケメンの俳優さんという程度の認識でした。

 

彼が10代後半の頃にドラマで主役を演じていた時に素敵な人、と思って毎週楽しみに見ていました。

 

でも、その後彼は大人の男性という感じになったので、王子様系が好きな私は、それで春馬さんのことを気にすることもなくなっていました。

 

三浦春馬さんが亡くなったと聞いて、10年ほど前に好きでドラマを見ていたこともあり、気になってネットでいろいろと調べました。

 

調べた結果、彼のことなど全く知らなかった私は、驚きました。

 

どの人も口をそろえて言うのが、まじめ、ストイック、優しい、気遣いの人、正直亡くなった人だから悪く言えないからかと思って、話半分で聞いていました。

 

その後、一週間後くらいに春馬さんの2枚目のCDのMVが流れるというので、何年ぶりかで音楽番組を見ました。

その番組の最後の曲だったと思います。

 

春馬さんは、白いシャツのボタン2つだけはめて、下は黒というシンプルな姿で踊っているのですが、実に素晴らしいのです。

 

美しく力強く、品があって、色気もあって、歌も実にうまいのです。

思わず娘に「三浦春馬ってこんなに歌もダンスもうまかったの?」と言ってしまいました。

 

私は衝撃を受けて、一瞬でとりこになってしましました。それからは、ほとんど見たことのない動画を見あさるようになりました。

 

ところが、当時の私は春馬さんの動画は見ることができるのに、静止画である写真は辛くて見ることができないのです。

 

今まで、アイドルやスターに夢中になっている人を口には出さないけれど、内心は冷ややかに見ていた私がこの年になって、自分の子供より若い人に入れ込むなどとは思いもしませんでした。

 

その後は、春馬さんのCD2枚と春馬さんの代表的なミュージカル「キンキーブーツ」のCDを次男にスピーカーに内蔵してもらい、毎日仕事をしながら聞き、家事をするときは、タブレットの動画を見ながらの生活が今でも続いています。

 

そんな生活をしていて分かったのですが、春馬さんという人は23歳がターニングポイントになっています。

 

23歳で「永遠のゼロ」という映画に出演をして、その年から毎年靖国神社に参拝をしています。

 

芸能界は、反日の人たちと〇価〇会が多いところです。

春馬さんの所属していた事務所も上層部のほとんどが反日と〇価〇会の人達だといいます。

 

その中での靖国神社参拝です。

春馬さんは愛国というより、日本という国を命を懸けて戦ってくださった方々へ、感謝と畏敬の念をあらわすために参拝をしていたように思います。

 

ところが、反日の人達から見ると、靖国神社参拝というだけで敵視します。

 

そこから春馬さんへの冷遇が始まり、亡くなるまでの7年間続きます。

 

この続きは次回です。