聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

日神会の先祖供養と一般の先祖供養

先祖供養

 

「先祖供養」この言葉は、世間一般のものと日神会とではずいぶん違います。

 

というのは、日神会では神霊治療自体が先祖供養になるからです。

 

神霊治療の際に出現された守護神(現在では聖なる御霊親様あるいは聖の親様)を奉持し、周囲にいる無数の霊の憑依を今後受けないように、常に想いの世界で守護神との一体感を深めていく努力を続けていくのです。

 

現在多くの宗教団体では、先祖供養を十分に行って因縁を解除することによって病気が治る、と説いているようです。

 

もちろん、その説は間違いではありません。

先祖供養をすることによって、病気が治るのも事実です。

しかしながら、問題はその先祖供養の方法なのです。

 

例えば、仏教の宗教団体にしても神道系の宗教団体にしても、それぞれ一定の形式にい従った先祖供養の方法があり、その多くは時間がかかったり、複雑だったりします。

 

いろいろな法事や法要と言われるもの、あるいは特殊な宗教的儀式だあったりします。

"人の行”というものがあります。

 

"人の行”とは、主に人間の体を使って行われる行です。

断食行、滝行などの荒行はじめ、読経、写経なども含まれます。

 

さらに、いわゆる宗教的な祭祀、長い歳月をかけて一定の形式を整えてきた多くの宗教的儀式も、この中にはいります。

 

この"人の行”は神霊学的立場から見た場合、それは、生者側の気休め程度の効用はあるでしょうが、霊界に実在する先祖霊を浄化・救済するという真の意味での先祖供養にはなりません。

 

上で"神霊治療を受けて病気が治ったということ自体が、すでに正しい先祖供養を終えたことを意味している”のです。

 

日神会の神霊治療は、だいたい10分くらいで終わってしまいます。

 

普通、一人の治療依頼人に対しては、この約10分の治療を1~2週間開けて再度行って治療を完了させています。日神会では、前後あわせて20分間の神霊治療で先祖供養が完全に成就するのです。

 

依頼人等にに関わる何百年、何千年の歳月にわたる迷える数多くの先祖霊が救われることで病気が治るのですから、それが、すなわち先祖供養なのです。

 

 

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宗教が原因でのもめごと

 

日神会では、神霊治療が先祖供養なんですよね。

日神会会員や信者にとっては、当たり前の話です。

 

でも、一応法事等などの行事は、主催者側に合わせています。

一昨年、実家の両親の法事でしたが、武漢肺炎の流行の為断りました。

 

それで、昨年は東京五輪が終わった後、武漢肺炎も落ち着いたので、姉たちと実家に墓参りに行ってきました。

 

今またオミクロン株の感染拡大が騒がれていますので、いい時に行ってきたと思っています。

 

このように宗教が違っても、主催者側に合わせるのが良いと思っています。

 

私の近所で、親が亡くなって宗教の違いでもめたことがありました。

 

そのお宅は、息子さんが2人と娘さん1人の3人兄妹でした。

 

年寄り夫婦は、長男夫婦と暮らしていて、次男は車で2~3分くらいのところに住んでいて、娘さんは隣の町に嫁いでいます。

 

長男夫婦がクリスチャンです。

そういう事もあって、年寄り夫婦は亡くなったら仏教式のお葬式にしてほしいと、生前から言っていました。

 

おじいちゃんが先に亡くなり、その時喪主が誰だったかは覚えていませんが、後に亡くなったおばあちゃんの時はもめました。

 

おばあちゃんの時の喪主は、クリスチャンの長男夫婦が宗教の違いを理由に、仏教式の葬儀の喪主になることを拒否しました。

 

そのため、おばあちゃんの時は一緒に暮らしていない次男が喪主になりました。

 

葬儀の時は、長男夫婦は出席をしていましたが、それを見ていて宗教って何だろうと考えてしまいました。

 

以前、私の姉弟のことも書いたことがあると思いますが、やっぱりもめました。

 

弟は、前回の記事にも書きましたが、現在は仏教系の宗教を信じています。

実家は、先祖代々浄土真宗です。

 

弟の信じている宗教は、仏教系とはいえ浄土真宗のお葬式とはずいぶん違うようですし、第一お坊さんも弟は、自分の信じている宗教のお坊さんに頼む予定だったようです。

 

実家の方には、先祖代々地元のお坊さんにお願いをしています。

 

そこで、従来通りのお葬式にしたい義妹(弟の妻)と弟で大ゲンカになって、離婚寸前になったらしいです。

 

後で、地元で結婚をした下の姉から聞きました。

弟は私達に内緒で、自分の信じている宗教の方にすでに依頼もしていたようですが、姉である私達3人が反対をして弟もあきらめたようです。

 

義妹の一言であきらめたようです。

「お母さんは、あなたのお母さんだけでなくお姉さんたちのお母さんでもあるんだからね」と、言ってくれました。

 

この義妹は、母の添い寝までして、母によくしてくれた嫁です。

 

今でも、台所に母の写真が飾ってくれています。

感謝しかありません。

 

でも、弟の気持ちもむげにしたくないので、母の戒名は、弟の信じている宗教のお坊さんにお願いをしました。

 

と言うか正直、戒名ならいいか、と誰もそれに対して文句も言いませんでした。

 

そんなことがあって思うのは、宗教は人が幸せになるためのものだと思っていたのですが、その宗教が原因で争いごとになる、というのは何でしょうね……

 

私は、そういう制約がない日神会でよかったと、しみじみ思いました。