聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

魂の行方は自分次第

自己の魂は大切に磨こう

人は、その生を終えて肉体を捨て去り魂だけの存在となったその瞬間から、霊界の階段を一段一段上っていき、向上していくものです。

それが霊界人としての正しい在り方なのです。

不幸にして、霊界入り後真っ暗闇の地獄界へと下降していく魂もありますが、どちらにしても、死とは、霊界人としての新生活を始めるための最初の関門に違いありません。

こんなふうに言うと、多くの人々は未知の霊界に対して、興味と期待、そしてある種の恐怖を覚えるかもしれません。

ひょっとして、自分は地獄に落ちるのではないか……。

往々にして、罪の自覚のある善人ほど、そんなふうに感じてしまうものです。

しかし、ここでよく考えてみてほしいのです。

死後、魂が高級霊界へ行くも、暗黒の地獄界へ行くも、たった今の現界人として想念のあり方、生活対応によって決定されるのです。そうだとすれば、恐れるべきものは、死でも霊界でもありません。

もし、私たち人間が恐れなければならないものがあるとすれば、それは、ひとえにただ今の現界生活なのです。

そうして、自己の魂をこそ畏れ敬い、たいせつに磨いていかなければならないのです。

なぜなら、人間の魂は生前において、肉体を持ちながら浄化・向上し神の位を得ることもできれば、逆に、地獄の汚辱に染まることもできるからです。

 

 

 

 

 

現実の人間社会

>自己の魂をこそ畏れ敬い、たいせつに磨いていかなければならないのです。

 

このことはよくわかります。

私は子どものころ本が好きで、手当たり次第目の前にある本を読んでいました。

当時は、今ほどどこにも本がある状況ではなかったので、私は学校の図書室の本を片っ端から読んでいました。

私は田舎の小さな学校で学年で一クラスしかなく六年間、クラス替えというものを経験したことがありませんでした。

そんな小さな小学校でしたので、図書室といっても三畳くらいしかない狭い場所に本棚があって、そこに隙間なくいろんな本がありました。

毎日放課後、誰もいない図書室で、外が真っ暗になるまで本を読んでいました。

当時の私が好きだったのは偉人伝とか、小学生向きの小説でした。

そこにはほとんどが、どんな障害があっても正義のために戦うという話が多く、わたしはそんな話が好きでした。

ワクワクしながら読み、私は私は大人になっても汚いことはしないし、絶対曲がったことはしないと思っていました。

ところが、実際に社会に出てみると人間界の汚いこと、正しいことをすること言うことの難しいこと、自分の魂を汚さないことがいかに難しいかということを実感する毎日です。

そして、汚い世界からの誘惑の多さにも痛感しています。

でも、これが神様から与えられた試練なのかな、と思っています。